フォトジェニック旋風の中で思うこと
時代はフォトジェニックである。
どこかしこでフォトジェニック。
何をするにもフォトジェニック。
もうなにもかもが、photogenic。
おしゃれな壁だのかわいいお店だの、わたしだって女子の端くれだからそれらを写真におさめたくなる気持ちはよっくわかる。
そうじゃなくて、その単語の定着具合というか万能性というか、そういうところにちょっとうんざりしてしまうのだ。
その気持ちは徐々にわたしの中で大きくなってゆき、ついには「もう、フォトジェニックとかええやん」感が出てきてしまったらしい。
食べ物の写真とか、以前に比べてあんまり撮らなくなったなあ。
写真に収めたいよりも、はやく食べたい気持ちが勝ってしまうからである。
そんな気持ちって表れるんだろな。
この間撮ったかき氷の写真なんて酷かったよ。
ゆがんでるし。
上のほう切れちゃってるし。
まるで「はやく食べたいよう」って写真が訴えかけてくるかのようである。
さて、長々と書いてしまったが本題に入ろう。
先日コンビニで見かけた雑誌の表紙が、結構なインパクトでわたしの中に飛び込んできた。
曰く、
『フォトジェニックな女の子になりたい♡』
まじか、と思った。
フォトジェニックを収めるだけでは飽き足らず、ついに被写体自ら写真映えを求めるようになってきてんか、と。
いや、ちょっと待てよ。
ここで、わたしの脳内に一種の混乱が生じた。
フォトジェニックとは、"モノ" に対して「写真映えのする」という意味で使う言葉だと認識していたからである。
フォトジェニックな壁とかスイーツとか、食器とか雑貨とかお花とか。
なのに、『フォトジェニックな女の子』とは!
どういうことなん?
それを言うならば、顔が可愛いとかスタイルがいいとか、もう根本的にどうしようもない被写体の力量にかかってるんじゃないの?と思ったのだ。
ううむ、なんだろうこの強烈な違和感は。
もやもやしながら夜を迎え、ふと恋人(「もっぱら」に「雲原」という字を当ててどや顔をしたこの人)にその話をしてみた。
フォトジェニックとはそもそも物体に対して使う表現であって、生き物に使うのはおかしいのではないか。
「写真写りのいい女になりたい」だったらわかるけど、「写真映えする女になりたい」って意味不明ではないか。
だって「フォトジェニックな犬」とか言わへんやん!
と、鼻息も荒く次々まくし立てると、
『じゃあ例えば、毛をまっピンクに染められた犬は?
なんかすごいトリマーの手で、お尻の毛がハート形になってる犬は?』
と言われ、言葉に詰まってしまった。
う、確かに。それは「フォトジェニックな犬」と言えそうだ。
『その雑誌の表紙も、そうやって「え、"フォトジェニックな女" ってなに?」って思わせることで手にとってもらおうとしてるんかもしれへんで。
例えば「フォトジェニックな "帽子の" 女」とか、「フォトジェニックな "サングラスの" 女」とかが特集されとるんかもよ』
なんだか煙に巻かれた感じがしなくもないが、この時わたしはいたく感心してしまった。
「フォトジェニックな女? 何それおかしい!」
で切り捨てるんじゃなくて、まずは一旦受け入れてみて、あれこれ思いを巡らせてみる。
その寛容さは見習いたいなあと思い、その話をする前よりもちょっと多めに好きになった(なんの話)。
ともあれ、見もせずにぐちぐち言うのは確かにだめだと思ったわたしは、さっそく翌日その雑誌を探しに本屋さんへと向かった。
あったあった。
いかにもきらきらした女子大生向けの、きらきらした感じの雑誌である。
表紙をきちんと確認したところによると、
メイク、小物、表情、ポージングで盛る!
フォトジェニックな女の子になりたい♡
ほう。確かに、わたしが抱いた「フォトジェニックな女の子とは」という疑問に対する説明がきちんとなされていた。
まあとりあえずそれは良しとして、そのままぱらぱらとページをめくる。
曰く、
チラ見せすることで見る側の想像をかきたてるフォトジェニックテク
可愛いワタシを永遠に残しちゃおう
この文字列を目にしただけで「お、おう……」と129歩くらい下がってしまう現役女子大生はわたしである。
そうかあ、チラ見せか。
『この格好で街を歩けない(下半身はパンツ一丁。そらな)からこそインスタグラムでチラ見せ!』か。
そしてそれがフォトジェニックか、、、
うん、もうちょっと頭がついていかない。
可愛いワタシを永遠に残しちゃおう
自己顕示欲をぼろぼろ出してるわたしが言うのもなんだけど、
いや、どんだけ自分好きやねん。
まあ、「チラ見せ」しても許される肉体(って言うたらしばかれそう)改めボディを持ち、モデルばりのきれいな顔をしていればそりゃ永遠に残しちゃいたくもなるわな。…なるかな。
余談ですが、
あーかわいくなりたい
極太足晒してごめんなさい>_<
ていう明らかに「カワイイ」「細い」待ちのタグ、
あるいは
ootd
とかそういう(他に思いつかなかった)オシャレ系のタグをつけまくって、「フォトジェニックなワタシ♡」の写真をインスタグラムに上げまくる人々を痛烈に皮肉ったしげみさんの記事がめちゃめちゃ面白いです。ぜひ。
なんだかぐったりしてその雑誌を置き、ふと隣の雑誌の表紙を見ると、
「絵になる私♡」を作る、服と写真
さらにその下にある雑誌の表紙には、
「この夏、かわいい思い出残したい!」
かわいい思い出、か。
「思い出はいつもキレイ」とか言うもんな、って一瞬納得しかけたけど、いやいやこれは全くの別物だと思い直す。
『 かわいい思い出
= フォトジェニックな思い出♡ 』
という、暗黙の了解が込められているのである。
『スマホがないと恋もできないのかよ!』
みたいな言葉をどこかで見かけたことがあるのだけど、わたしはこう言いたい。
フォトジェニックじゃないと思い出も作れないのかよ!!!
と、ここまで強気に書いたあとで「フォトジェニック」をググってみると、衝撃的な事実を知ってしまった。
てっきり、「フォトジェニック=(モノに対して)写真映えのする」という意味だと思い込んでいたのだが、どのサイトを見てもばっちり「写真写りの良い。人物などに使う」と書かれているではないか。
一説によると、英語では「She is photogenic.」なんて言うのが一般的なのだとか。
いや、まじか。
ここまで書いて、ただの恥さらしである。
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