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幸福な憂鬱

教室で、ばったり後輩と会った。

本当に久しぶりな感じがしたのでわやわやと話していると「あっ、そういえばお誕生日おめでとうございます!」と言ってくれたので、とっても嬉しい気持ちになった。ありがとう。


一年でいちばんわくわくする日はいつですか?

21にもなって大変恥ずかしながら、わたしはやっぱり自分の誕生日。

いっぱしの女子らしくクリスマスとかそういうイベントも大好きなんだけど、そういうのはまあ祝わなくたってやり過ごせる自信はある。

でも、誕生日だけは嫌だ。
だって絶対寂しいもん。

「おめでとう!」って無条件にお祝いしてもらえるあの感じ。
仲良しの友達からお祝いしてもらえるのは勿論めちゃくちゃ嬉しいし、しばらく会っていなかった人たちからもそう言ってもらえると、胸のここら辺がじわあっとあったかくなってくる。

5歳児程度の子供っぽさであることを承知で言うと、「自分だけが特別」な日であることの誇らしさ。
やっぱりいくつになっても嬉しいものである。


しかしながら、わたしの周りの大人たちは(未だにどうしても自分は大人だと思うことができない)、みな誕生日が来るたび憂鬱そうにしている。

「もうこの歳になって誕生日なんて嬉しいもんじゃないよ」こぞってそんなことを言う。

二つ年上の恋人もまた、自分の誕生日にはびっくりするほど無頓着であった。
え、普通にバイトするけど…なんで? と言われた時には、えーーーそれこそなんで!!! と叫んでしまった。心の中でだけだけど。


ここで、一つの仮説を立ててみる。

自分の誕生日に無関心でいられる=大人になった、という風には考えられないだろうか。

意識せず期待せず「あ、そういえば今日誕生日だったわ」くらいのテンションでいられる、わたしにはそんな人たちが猛烈にかっこよく見えて仕方ないのだ。

同い年の友人にも、そういう人はいる。
特別なことをするわけでもなく、ただ学校に行ったりバイトに行ったり、ふらっと買い物に行ったりして1日を過ごす。
わたしには、そういうのが大人っぽく思えて仕方ない。うわーかっこいいなあと憧れる。


子供っぽさを露呈するような話だけれど(再び)、わたしはやっぱり特別に過ごしたいし、特に何もなければちょっと特別な予定を自ら入れにかかってしまう。

リビングをかわいく飾ってもらい、朝ごはんには特別なホットケーキ、夜はハンバーグなどの好物を作ってもらい、電気を消してケーキの蝋燭を吹き消すと「おめでとうー!」という家族の声に包まれる。

わたしは、そんな幸福な記憶に未だ縛られてしまっている気がするのだ。
すごく贅沢な悩みなのかもしれないけど。


文句なしにまるっと特別だった今年の誕生日の写真を見返すと、わたしはどれも「にへーっ」と笑っている。
大好きなアンパンマンを目にした3歳児ばりの幼い笑顔である。

いつかわたしも、大人っぽく微笑むことができるようになるだろうか。
もしくは、「あ、そういえば今日誕生日だ」とさりげなく過ごせるようになるだろうか。


ま、今のところはこれでいっか、と思う。
どうがんばっても童顔だしな。


とりあえず、もしも将来子供が生まれたら「特別な日だよ」って刷り込むほどに盛大なお祝いをしてあげようと思う。

そしてその子は20年後、わたしと同じように悩めばよろしいのだ。


#エッセイ #誕生日

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