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東国三社巡り カミは建物の中にはいない

香取神宮
鹿島神宮
息栖神社
の三社を巡り気がついたこと。
 
鹿島神宮
香取神宮は
伊勢神宮とならび、最古の神宮であり、かつては神宮と呼ばれる社はこの3つしかなかった。
 
伊勢神宮は天皇家の社であり、鹿島・香取は当時、強い力を現した中臣家(藤原家)の社だ。
当時、利根川と霞ヶ浦は水運の要とされ、北には平定すべき蝦夷民族がいる。ここを中臣家が押さえることは、とても重要な政だった。
 
日本書紀や古事記に書かれる三社建立の神様話しは、どうも人間くさい。結局のところ領地拡大の、武力的な抗争の話が中心だ。
 
けれど三社を訪れれば、人間の謀を超越した何かを感じる。それは何なのか?
 
色々と調べてみると、鹿島神宮の本殿には神様はいない。と言っている人がいる。香取神宮の本殿も??らしい。
そりゃそうだ。あんな頑強で暗い建物の中にずっと神様が閉じこもっているはずない。
神様は、基本的には外にいる。外で太陽の光を浴び、水の音を聴き、風に吹かれ、神社の森の中を散歩しているに決まってる。
大きな神様も小さな神様も、森の中にいる。
そうに決まってる。
 
東国三社や伊勢神宮の良いところは、本殿や奥宮までのアプローチが長いこと。その間、なんとも気持ちいい森の中をゆったりと歩くことが出来ることだ。
 
コンクリートで固められてイケテナイ所もあるけれど(特に鹿島神宮)、丁寧に丁寧に護られている森は、どこも気持ちよく風がそよぎ、水の流れる小さな音が耳に入るように作られていて、青々とした苔がむした場所も必ず見つけられる。
 
東国三社を巡るなら必ず行って欲しいのは、鹿島・香取の要石と、息栖の井戸。
どれも不思議な雰囲気を帯びていて、周辺のパワーがすごい。特に中央構造線の末端にあると言われる鹿島神宮の要石は、近づくとピリピリするし、影響を受けやすい旦那さんはクラクラしていて、無言になる。
 
国造りが始まるもっと前、地域の人たちが祀り守ってきたのは、この何の変哲もない石や井戸なんだ。現在の人たちよりも何倍も感性が豊かで、感じること、みること、聞くことが出来た先人たちが、このカミのいる森を大切に守った。
そこに、政好きな人たちが遠くから現れて、そもそもあった崇拝の場に、自分たちの神様を、荘厳な建物と共に祀った。
 
要石や井戸が元来のカミだと考えると、どの社も本殿の配置がなんとなくおかしい。
鹿島神宮は、元の表門だったと思われる御手洗池側の鳥居から入ると、静謐な湧水で身体を清め、階段を登ると奥宮が正面にあり、その後ろには要石が配置されている。
この鳥居から海まで結ばれる縦のラインが、とても気持ちが良いのにも関わらず、本殿は奥宮と同じ並びの西側、森から出たところにあり、やけに整備が行き届いていて、神社らしい奥ゆかしい雰囲気がない。
明らかに神域は、奥宮と要石のある森から始まっている。
 
香取神宮は、鹿島ほどではないが、やっぱり要石と奥宮が本殿から離れた場所にあるし、息栖神社は、とても気持ちがいい率直な神社だけれど、井戸の後ろに本殿がまるで奥宮のように配置されているのが謎だ。
 
元来のカミの近くに神社を建立するにあたり、全く全てを内包して土地の人たちの反感を買いたくなかったのか?
風水やレイラインなどの観点から建物は少し離す必要があったのか?
 
三社の建物はどれも素晴らしい。
武運を祈った徳川家などが建造したもので、どれも歴史深く、細工も素晴らしい。
けれど三社のカミが、地域のカミがいるのは、森の中。静謐な水を浴び、苔のベッドで眠っている。
 
国造人「ここに社を建てますよ」

先住民「へ?なんで??」

国造人「ここに神を祀って、武運を立てるため」

先住民「ブウン?」

国造人「国を拡げるため」

先住民「クニ?」

国造人「ここらが平定されれば、みんなが豊かになるでしょう?!この森は、あなたたちが大切にしてる場所でしょう?!だから、社を建てて神様を祀ってあげるって言ってるんですよ。」

先住民「はぁ…カミさんは、そこかしこにいてそれを一つに入れることは出来ねぇと思うけんど、、土地はいっぱいあるんでな。そこらへんに、あんたらのカミさんも入れてあげたらええんでねぇ?」
 

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