積極財政の終息(前半)

今日ドル円が6ヶ月ぶり140円/ドルとなった。円が安くなってドルが高くなったことから「円安ドル高」ということです。

なんら専門でもない一般大衆ですが、なぜか経済状況について語りたいyukanです。

さて。「税金は誰のものですか?」という質問をしてみたい。あなたはどのように答えますか?


積極財政派と呼ばれる人々は税は財源ではない。という場合があります。先ほどの質問にそって解釈すると、税金は国のものではないと言った意味になるかな。

税金だけで国の全ての事業を回そうとしたら、給料が全て税金になってもたらなくなる計算になるようです。

そういった中でも、未来への投資も行なっていく必要があるので、研究機関、大学などへ税金を投入していき、その役割を果たしています。

そこまでは分かっていたのですが、2015年頃から、投資としてはもちろん現在の生活に対しても投資する必要があるということが私の生活の範囲の情報として言われていたと思います。

2015年は35歳であり団塊世代Jr.の真ん中でしたので、良い歳になってから金融の意識変化が発信したということです。

氷河期世代の特別なきびしさはともかくとしても、もう少し経済的余裕がないというのは人生にとって大きな不安となってのしかかってくるものだといえます。

今冷静に考えてみると、団塊世代Jr.が社会を立て直してくれることがどこかで前提になっていて、つまりは社会の歯車として機能することが一つのゴールとなっていたのではないでしょうか?

そんなことにも"気がつくこと"もなかったのですが、山本太郎のような政治家により、積極的に個人への政府支出をすることで経済がはじめてよくなるのだという考え方になりました。

これには、なんだか肩すかしで、複雑な心境になった。たぶん、積極財政派の人でさえ、私たちのような世代が一人の人間として見られているかを不安視しているのだ。


話を戻しつつ、積極財政のこの流れみたいなものがこれからも続くとは限りません。むしろ突然終わることにも歴史などから想像は難しくはないのです。

私がいう歴史について1970年代ヒッピー文化や、フランスの自由主義などは案外あっけない幕切れと言えると思います。

新しい経済観念をもたらそうとするならばまずは小さな実験とそこへの検証を重ねていくことが最も信頼を得られるのであり、それが同時に広告となり論証しなくても誰にでもわかりやすくなるはずです。

相手あっての経済だからお互いを尊重しなければなにも始まらない。実際の経済だけで全てを語ったような気になるのが全てを物語ってくれます。

後半へ続く

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