分かる事と知る事。

もう20年前以上の事になるが僕の通っていた高校は都内の進学校で廻りは育ちの良いおぼっちゃまばっかりだった。その中で僕は中々環境に馴染めず、また勉強するのが嫌で仕方なく、サッカーと読書に明け暮れていた。
サッカーに関しては自分に才能がない事を思い知らされ人生初の挫折を味わう破目となる。(因みに一緒にサッカーをやっていたチームメイトは日本代表まで上り詰める)
読書に関しては、ドストエフスキー、安倍公房、芥川龍之介等高校生の僕には少し難解な本が多かったように思う。当時は意味もわからず読んでいたが、世界史の教師に言われた「名作を読め」という言葉が頭にひっかかり、難解な本を選んで読んでいた。

当時読んでいた本の世界観が今、ふとした瞬間に頭にもたげ、まるで天から降ってきたように分かることがある。

時間を経て、意味をわかることができたのだ。

キザないい回しになるが、人は一瞬にして知ることもあれば、時間をかけてわかるもある。知る事が能動的、身体的なものである一方、わかる事は受動的で超越的な枠組みに分類できるのではないだろうか?

分かる事と知る事どちらが欠けてもいけない

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