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親との間に放置した問題に直面しながら、介護ごとその問題を解決していく

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“私が母親を介護したのはもう一度母親と向き合うためでした。認知症が少しずつ進む母親に戸惑いながら、母親に聞いてみたいことがありました。私を産んだことを後悔していないかという点です。 母親の介護を通して、私の存在を認めてくれるのでは? そんな期待もありました。案の定、母親の答えは「本当は産みたくなかった」という答えでした。”

人それぞれ介護の理由はある。当たり前だが、人生の計画に介護を組み入れていない人がほとんど。そう、ほとんどの介護は突然始まる。

そうして突然介護を余儀なくされた人が、ある時腹をくくる。それが上記記事の「介護しようと思った」というタイミングになるのだろう。

私は最初、父の認知症に気が付かなかった。父が私の前ではしっかりしていたからだ。そして母にとって、それはゆるやかな変化であり「いつもこうだよ」と。むしろ、4年ぶりに会った父の変化を「急激な老い」と感じた私の感覚の方が正しかったのかもしれない。

妹は実家の側にいて、たまに帰るだけの私に、「お姉ちゃんはずるい」と言った。それが私のターニングポイントとなった。生き直しのタイミングだったように思う。

「介護しようと思った」は「介護とちゃんと向き合った」こと。そこに自分なりのきちんとした理由を見つけて、覚悟をした時のこと。

ところで、ほとんどの人は、親との問題を未解決にしたまま介護に突入する。自分も世帯を持った、または親から独立した気になっていても、親との関係は一生残っている。それをもう一度見せつけられるのが介護だ。

介護とは最後の子育て。本当によく言ったものだ。

私は、今、親と自分の間に放置した問題に直面しながら、すごいエネルギーで介護ごとその問題を解決していっている。もう、考えたくない、あわよくば来世まで持ち越そうと思っていた課題。それを乗り越えないと介護はできないし、介護はそのラストチャンスなのかもしれない。

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