紀州

紀州〈名〉⇨きい(紀伊)

旅行会社の案内などでよく耳にしていたにも関わらず、歴史・地理が大の苦手だった私は(中高ともに英語の成績だけで支えられており、今こうして文章を書いているにも関わらず国語は苦手科目の一つだった)、『紀州』地方がそもそも日本のどの地域にあたるのかを知らなかった。この歳になってヒジョーにお恥ずかしい話である。ソクラテス的に言うならば無知の知であり、つまり知らないことを認めるだけでもいいでしょう、なんて強く押してもよいかしらん。

紀伊ともあるが、これは紀伊国(きいのくに)を指し、紀州藩の統治していた和歌山県、三重県南部あたりの地域を指すらしい。紀州藩は浅野幸長が藩主となった1600年から始まり、版籍奉還により和歌山の名が誕生する1869年までがその歴史の長さということになるようだ(実質的には、のちに版籍奉還では力が足りないと感じた明治政府が廃藩置県を発令した段階が、最終的な藩の終焉となったようだが)。

紀州の場所は知らなかったが、梅干し好きな私は「紀州梅」のおかげで、梅が有名であるということぐらいはかろうじて知っていた。その土地に興味のない人間にまで遠く届くとは、食の持つ力の強さたるや。そういえば、日本だろうと外国だろうと、生まれと育ちが違う人々が集まる場では、ほとんど必ずと言ってよいほど「なんの食べ物が有名なの?」という質問が出てくる。その質問を繰り出す人間には恐らく二種類いて、本当に食文化に興味があるか、もしくは他に話題がなくなったか、のどちらかだ。後者の場合、その考えは周囲にも伝わっているはずで、それを一人一人が受け取りつつ、皆で必死になって盛り上げようとしている感じがあったりして、そういうのは滑稽でありながらも結構愛らしかったりする。いずれにせよ、とりあえずしばらくはそのお題で場がもつことは確かであり、つまり食というのはやはり尊い。

私は宮崎出身なので、チキン南蛮、冷や汁、といったところが代表格となるわけだが、冷や汁に関しては実は、まだ食べたことがない。その理由は単純明快、食べる気が別にしないから。だって、冷えた汁をどのような状況で欲するというのか。おかげで未だに、みやざき大使の仕事が回ってこないはずである。最近では宮崎マンゴーの旨さについて立て続けに訊かれることがあったが、これも残念ながらまだ未食である。まだこの世には地元出身者特典破格割引というものが存在しないからである。チキン南蛮に関しては、宮崎ではおぐらという店が発祥の店ということで有名らしいが、ここにもまだ行ったことがない。つまり私は、宮崎を代表する食文化の何にも、まだ与したことがないのである。切り札のなくなった気まずさから逃れるため、私は大抵「鹿児島寄りだから」ということにしている(実際に私の生まれ育った都城は元はと言えば薩摩藩だった地域であり、私は帰郷の度に必ず鹿児島空港を使用するので、この反論は正しいはずだ)。

紀州地方には梅以外にどんなご当地グルメがあるのかと思い検索してみると、某大手旅行会社のウェブサイトに「東紀州のご当地グルメ!」というランキングページがあり、第2位に堂々とモスバーガーが君臨していた。我が目を疑い、世もついに世紀末かと思ってしまった。しかしそのあと和歌山経済新聞がご当地グルメ「紀州梅バーガー」を紹介しており、それが果たして和歌山県のモスバーガーに置いてあるのかは定かでないが、少しだけホッと胸をなでおろした。これは是非梅好きとしてはチェックしておきたいグルメである。

和歌山には一度だけ行ったことがある。かれこれ6年ほど前のことだと記憶している。アメリカの大学に通っていた頃の友人が和歌山に戻っており、その年の年末の一週間を関西で過ごすことになっていた私は、久しぶりに友人を訪ねてみることにした。色々な場所へ案内され、美味しいものを食し、楽しい時間が展開されたのであろうが、記憶に残っているのはただ一つ、高野山のことのみである。

霊感があるというほどでもないが、昔から「気」のようなものを察知する感受体が私にはある。私が察知できるのは、主に二種類の気である。一つは邪悪なエネルギー、そしてもう一つはスピリチュアルエネルギーである(これも意外とその能力がないとなかなか察知するのは難しい)。まずは邪悪エネルギーにまつわる話を少し。

アメリカに住んでいた大学時代、それまでお世話になっていたホームステイ先をそろそろ出ようとなり、知り合いを通して知り合った中国人の女の子とふたりで家を探すことになった。いくつか物件を見てみたもののなかなか決まらず、ホームステイ先を出る期限も近づいていた頃、とあるアパートを見に行った。それなりに広いし、部屋もきちんと二つある。アメリカの家にしては、まあまあ綺麗。立地も特に問題ないし、値段もきちんと予算内におさまっていた。もうこの家を蹴ってしまうと他に選択肢はないぞ、というところまできていた中で、その物件はまさに残された福に感じられた。

その家の浴室のドアを開けるまでは。

薄水色のタイルが貼られたその浴室は、綺麗さのレベルでいえばかなり綺麗。陽もたっぷりと入る。広さもある。同居予定の女の子も喜んでいる。ああ、ここ決まりですね。そんな雰囲気が隅々まで漂っている。やたら「ナイス、ナイス」と繰り返している。しかし、私にとっては全然「ナイス、ナイス」ではなかった。

不可視なものの話なのでなんと説明すれば良いのか分からないが、とにかくドアを開けた瞬間に、ぬるっとした不気味さを身体全体に感じたのである。ああいう時に立つ鳥肌は、妙に細かく、肌の上を小さな砂粒がザザザザと走っていく感じがする。過ぎ去りながら余韻を残していくから、いつまでたってもそのざらつきが残っている。運動会の時の、いつまでたっても砂が髪の毛から口の中まで纏わりついてくるような、あのうざったさと居心地の悪さといえば、3パーセントは伝わらないだろうか。ざっくりと、チョベリバ(90年代後半の流行語であり、超ベリーバッドの略)な感じだ。しかしそんな気持ちとは裏腹に、その時の私は絶対にここに住みたくないと言えなかった。実際私にも時間的余裕はなかったし、何より隣で「ナイス」を連発して喜んでいる同居予定の彼女に、ここでわがままを言うべきではないと判断したのだ。当時は周囲の人間から恐らく生意気の塊だと思われていただろう私だったが、そういう時になると日本人らしく空気を読んだのである。不安を残したまま、私たちはその場で大家と契約を交わした。

しかし、エンディングのネタバラシを先にしてしまうと、私は救われることになる。

不思議なのだが、私はいつも自分がノレない状況に立たされると、最終的に外的要因により(つまり私から発しているわけではないのにも関わらず)予定がキャンセルになってしまうことが多い。これまでの経験則からいうと、ほぼ百パーセントの確率である。不安を抱えて迎えた引越し当日の朝、急に大家から電話が入り、やはりこの家には自分の娘家族を住まわせることにした、と言われたのだ。そんなことってある⁈そう思うだろうが、これがあったのである。正直、海外だと特に珍しくもないことだ。気が変わったんだもん、仕方ないよね、ふふふ。そんなものである。同居予定だったその女の子は、案の定「オーマイガー!」である。私も逆の意味で「オーマイガー!」である。

幸運は続いた。その日になって急遽仲の良い友人の紹介で、ちょうど知り合いの家にルームメイトの空きが出るのだが入らないか?という連絡が入ったのだ。見に行くとまさに私の探していたような部屋と条件で、ほとんど即決でお願いして入居することになった。自己中心的な人間なので、一緒に住む予定だったあの女の子がその後どうなったかについてはすっかり忘れてしまったが、ともかくあの日は救われたという気持ちでいっぱいだった。日頃の行いが良いというわけでもなさそうなので、単純に私の放つイヤだイヤだのネガティヴ感情が、案の定勝ってしまうのだろう。そういう意味では役に立つ、私のマイナス思考である。ちなみに、人間はポジティブな願いよりも、ネガティヴな願いを叶える力の方が圧倒的に強いと聞いたことがある。恨みや嫉みのような悪の感情には、特に気をつけたいと思うこの頃だ。 

そうそう、なんだっけ。そう、高野山。高野山に入った時に感じたのは、後者のエネルギー、スピリチュアルエネルギーだった。これは俗にいうパワースポットなどで感じられるエネルギーの種なので、ざっくりと善のエネルギーである。しかしそういうエネルギーにも、ある種の恐怖感のようなものが含まれているもので、それは邪悪な意味でのそれではなく、太刀打ちできない存在を目の前にした時に感じる、その種の恐怖感である。FF(ファイナル・ファンタジー)のラスボスを14回くらい挑戦しているにも関わらず、繰り返し負け続けた時に感じる、あの無力な感じである。神聖過ぎてほとんどおぞましいのだ。

表現の乏しさを丸出しに、高野山に一歩入った瞬間の心の声を言葉にするならば「なんじゃこりゃあ!」である。「なんじゃこりゃあ!」と頭で思った瞬間に「なんじゃこりゃあ!」という雑な言葉をそんな神聖な存在に対して思ってしまったことでバチがあたるんじゃなかろうかとビビっちゃった私は、即座に「なんじゃこりゃ!」を取り消そうとしたのだが、魂レベルが中の下くらい(希望申請中)な私はあえなく失敗し、結局「なんじゃこりゃあ!」で終わってしまうという残念な結果となったわけだが、あの場でそんな不毛な戦いに挫けていたのは恐らく私一人だったことだろう。つまり私が言いたいのは、それほどまでに強く尊い場所だったということである。

自分で企画して作っているzine(ジン=自主制作冊子)のため、サンフランシスコを拠点に活動するアメリカ人アーティスト、ジョン・フィリックス・アーノルド・サードをインタビューした時にも、高野山の話になった。彼は長年アルコール依存症に苦しんだ末、サンフランシスコにある寺院で行われていたメディテーションセッション(スピリチュアル・プラクティス)に出会った。そのプログラムを通して少しずつ回復に進んだ彼は、自然と仏教の世界に興味を持ち始め(入信はしていない)、以降来日の際には必ず寺院を廻っているらしく、高野山にもこれまでに三度訪れているらしい。私が「あの場所、なんか怖くない?」と言うと、「え、本当?僕はそんなことなかったけどね」とのこと。私の魂はスピリチュアル・プラクティスが足りていないがために、高野山の持つ力に耐えうるだけの体力を持ち合わせていないだけなのかもしれない。それでも空海の墓付近では彼も、力強いエネルギーの中に少しだけ恐怖感を抱いた、と言っていた(実際には空海は、入定といって即身仏として永遠の瞑想に入っているという説が強いらしいので、実際には死んでいないということにはなる)。あの場で感じる巨大な不可視な存在は、仏教信仰を超えた、人間の自然的根源に訴えてくる何かがあるに違いない。あんな場所で空海は電気なども存在していなかった時代に、純真にあのエネルギーと向き合っていたのかと考えると、それもまたある意味恐ろしい話である。普通の人間の境地でそれを体験したら、間違いなく発狂するだろう。その境界線を越えられるような精神の持ち主になりたいと願うが、結局は映画「呪怨」さえ直視できず、観ればそのあと風呂にもゆっくり入れないような人間なので、これは死ぬまでに相当な訓練を積まなければ叶えられそうもない。

なんの話だったか。ああ、そうそう、紀州。紀州梅の紀州。紀州梅バーガーの紀州。今度紀州地方を訪れることがあれば、まずはモスバーガーへいってみることにしよう。

あれ?結局梅以外のご当地グルメとかいいつつ、梅バーガーって梅で終わってんじゃん。とお思いのあなた。感が鋭い。それが、この話の落ちである。

山田くん、座布団まだ?

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