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n3q?インタビュー(ヒップホップミュージシャン)

「東京から宮崎にお客さんが来て、客入りが倍になったっていうのを俺らはやんなきゃいけない」

この記事は、zine Pursuit vol.1に掲載している記事のオンライン版です。
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 MC TEN、Ba. KENJI、Syn/Prg. KUBOKEN、Dr. ryosukeのメンバーで構成される宮崎発HipHopバンドn3q?(ナゾ・サード・クエスチョン)。2018年7月4日にファーストアルバム「n3q?」をリリースし、県外でも積極的に活動を広げている。宮崎という場所で、このメンバーだからこそ生まれるオリジナリティ。その一点を追求する彼らには全く恐れがない。
 メディアで最初に彼らの音楽を聴いて以来接触の機会をずっとうかがっていた中、ついに2018年12月23日、宮崎SoundGarageMONSTERで行われたライブ前にインタビュー実現。
 結成から今後に向けての想いについて話を聞かせてもらった。

文中:T=TEN, K=KENJI, KK=KUBOKEN, R=ryosuke

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n3q?結成

--まず現在のバンド体制になった経緯から教えて下さい。
TEN (以下T)「元々は僕とKUBOKENさんと(当時メンバーだった)もう一人の3人で始めたんですけど、その時みんなそれぞれ違うバンドをやってたんですよ。そんなんだから企画バンドみたいな感じで一回やってみようかって集まったんですね。それでやってみたら良い感じだねって話してた時にKENJIさんが入って」
--KUBOKENさんとはそもそもどういう繋がりだったんですか?
KUBOKEN(以下KK)「最初は面識なかったんですよ」 
T「なんなら最初電話で…」
--電話?!(笑)
KK「ああ、電話やったね(笑)」 
T「その元メンバーからもう一人のメンバー決まったからって連絡がきて、「もしもしー」って (KUBOKENが) すごい低姿勢できたんですけど、俺の方からしたら何かわけ分からん奴から電話きたなーって思って「あーなんすか、ヒップホップとかやってんすか?」って感じで」
--チャレンジする感じだったんですね(笑)
KK「お互いのバンドは知ってたから、もちろん全く知らないわけではなかったんですけど」
--何年くらい前ですか?
T「もう5年くらい前かな」
--じゃあそこにKENJIさんが加わったんですね。 
T「この人(KENJI)が俺たち3人でライブしてる時にDJでいて」
KENJI (以下K)「そうそう、同じイベントに出てたんですよね僕も。立ち位置としてはそこでライブをずーっと観てたんですよ」
T「会社が一緒だったから次の日会社で会うなり「俺ベースやりてー」って来て」
--え、ベースをずっとやってたんですか?
K「14年やってなかったっす」
--14年?!(笑)DJはやってたけどベースはやっていなかった段階で挙手したんですか?
T「挙手です自分から。それで「あぁ、はい」って言ったら(KENJIが)「てかベース買ったから」って。すごいんですよ」 
--弾けました?
K「いや、全然弾けなかったです」
T「初ライブがその3ヶ月後ぐらいで」
K「ライブの1週間前に謎の胃痛発生しました。1週間ずっとお腹下してたんですよ、汚い話なんですけど (笑)それでライブ当日に止まりました。もう超プレッシャーっすよね、精神的なやつ」
--ライブ自体は成功したんですか?
T「全然覚えてないっすね。終わった後(KENJIが)椅子に座っておじいちゃんみたいになってた」
K「(笑)」
T「その時ryosukeは別で、宮崎じゃ知らない人はいないような有名なバンドをやってたんですよ」 
--何系のバンドをやってたんですか?
ryosuke (以下R)「日本語ロックです。今のシーンで流行っているような音楽をやってて、それをずっと4年くらいやってたんですよ。それである時n3q?と対バンすることになって。元々名前は知ってたし音源も聴いたりはしてたんですけど、ライブをずっと観てみたくって。それでライブ観てたらめっちゃ格好いいバンドいるやん宮崎にって思って。その日の打ち上げ前にKUBOKENさんとふたりで話してて「俺にドラムやらせてよ」って (笑)」
--それは自分のバンドとどちらもやるつもりで言ったんですか?
R「そんなのも全然考えてなくて。ただ単に目の前にお寿司があったから食べたいっていう」
全員「(笑)」
--じゃあ皆さん食べられたんですね(笑)
T「誰がイクラ?誰がトロ?(笑)」
全員「(笑)」
T「ちょうど僕らもドラム探してた時で、KUBOKENさんから連絡があって「あのryosukeがドラムやりたいって言ってるけどどうする?」ってなって、こっちはもうザワっとして。「マジで?」って」
KK「それまで暫くは打ち込みで、ドラム流しっぱなしでライブやってたんですけど、やっぱりなんかなぁって思ってて」
T「そういう流れがあって今の体制になったっていう。この体制になってからは2年くらいですね」
--n3q?っていう名前は最初からあったものなんですか?
T「元々漢字で謎3Q?だったんですよ」
KK「そもそも何で(脱退メンバー含めた)この3人でバンド?っていうので謎3Q?だったんですよね」
T「ryosukeが入った時に、彼からもうちょっとスタイリッシュにしようっていう提案があって、n3q?になったんで す」
--1回聞くとかなりキャッチーですよね。
T「そうですか?じゃあ良かったねーって話やね」
全員「(笑)」

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宮崎のGAGLE

--それぞれ楽器を始めたきっかけを教えてもらってもいいですか?
R「俺は小学校の時に、お母さんの同級生のバンドがスタジオで練習してるからって見に行ったんですよ。その時に「なんか楽器やってみる?」って言われて、パッと見てできそうなのって叩いたら鳴るドラムくらいで。そこからひとりでスティックを家で触ったりしていて。中学校に入ったタイミングで吹奏楽部に入って、最初トランペットをやりたかったんですけど、なんか人が少ねーって理由でパーカッションにさせられて。でも本格的に始めたのは高校入ってすぐくらいで、今たぶん8年目くらいですかね」 
--吹奏楽部のドラムとこういう音楽のドラムって全然違うじゃないですか。何か教室に通ったりはしたんですか?
R「あ、でも半年だけ習うことになって通った教室も、音符で教えるとかじゃなくて、この曲に合うドラムは何?っていう感じで教えるところで。グルーヴだけで教えてくれる人達だったんです」
--じゃあ、ジャムするのに使えるようなドラムだったんですね。
R「そうです。そこでだいぶ色んなジャンルを広く浅く知れましたね」
--KUBOKENさんはどういうきっかけだったんですか?
KK「ちょうど中学、高校くらいの時にバンドブームがあって。ハイスタ(Hi-Standard)とか流行ってた時期で、みんなスリーピースバンドをやっていたんですよ。だた俺の中では、周りがやっていない楽器をしたいっていうのがあって、それでキーボードなんですよね」
--でもハイスタとかだとキーボードはないですもんね。
KK「そうなんですよ。それで周りの大人達に、結構簡単やからコピーを始めるならこれから始めろって言われて、ビートルズのLet It Beとか」
T「やーっば!じゃあ今度それやろ」 
--新しいn3q?(笑)
KK「うちの姉がエレクトーンをやってたんですよ。それで触り始めて、暫くしてオリジナルバンドを始めてっていう。それもちょっとロック寄りでBEAT CRUSADERSとか、その辺にどうにか寄っていこうって感じでやってたんです」
--TENさんに関してはなかなかラップやってる人っていないですよね。ふざけて真似する人はたぶんいると思うんですけど、自分でリリック書く人はあまりいないんじゃないかなって。
T「僕の時代にもハイスタとか流行ってたんですけど、それと同時にRIP SLYMEとかNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDとか出てきてたんですよ。日本語ヒップホップ第3世代みたいなのが来ててそれで始めたんです。中学2、3年とかでした。でもNITROみたいなのじゃねーやろって思って、そしたらREAL RHYME TRAXのコンピ盤がちょうど出てたんですよその頃。そこにはGAGLEとかRIPとかトリカブトがいて、それを聴いてじゃあこういうラップしようってなって。そこから始めて中3か高1の時に1回ステージに立ちました」
--リリックの書き方はどこから始めたんですか?すんなりできました?
 
T「できないですよ。一番最初に書いた曲はもう・・・」
--聴いてみたい(笑)最初はこのラッパーの書き方を真似してみたとか?
R「めっちゃ根掘り葉掘り聞く(笑)」
全員「(笑)」
T「でも今だにちゃんと聴いてるのがRIP SLYMEの『FIVE』ですね。あれはずっと聴いていて、そこがルーツ」
--KENJIさんはどういう音楽の道を辿っていらっしゃるんですか?
K「僕は一番年上なんですけど、中2ぐらいの時にブルーハーツが出てきてて。最初のバンドブームが始まったぐらいですよね。その時にコピーバンドでベースをやってました」
--そこからDJ…
K「20代後半までバンドを続けてて、30代後半くらいからDJ活動みたいなこと始めたんですよ。ロック系を回してました」
--でも今はヒップホップをやってますよね。KUBOKENさんとかryosukeさんもビートルズにジャパニーズロックっていうルーツですし、TENさんはメンバーに最初何か勧めたりしたんですか?
T「GAGLEと環ROYですね」
--あの…どう思われるかは分からないんですけど、実は友達にn3q?を紹介する時に『宮崎のGAGLE』って私言ってて… 
全員「おー!うれしー。素晴らしいっすね!(笑)」
--あーじゃあ間違ってなかったんですね私(笑)
T「GAGLEはいつか一緒にやってみたいアーティストですね」

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プロセス

--制作過程について訊いていきたいんですけど、楽曲はどういうプロセスで出来ていくんですか?
T「KUBOKENがトラックを持ってきますね」
KK「僕が作ったものに対して、それぞれのパートがこうしたいとか意見を言っていって、まとめていくっていう感じです」
--TENさんが次こういうリリック書きたいからっていうリクエストをすることはあるんですか?
T「実はこのアルバムを作る時にも、先に全部リリックを書いてそれにトラックをつけたいって言われたんですけど、それはできないって言って」
--先に曲をもらって聴きながらリリックを書くっていう流れなんですね。
T「全部そうですね」
--じゃあKUBOKENさんは結構自由にできるんですね。
T「今回のファーストアルバムは、メンバーそれぞれがこういう感じの曲をやりたいっていう他のアーティストの曲を、1回KUBOKENさんに投げたんですよ」
KK「結構バラバラで(笑)でも作るにあたってはヒップホップっていうのはあんまり意識しないですね正直。TENくんほど掘り下げて聴けているわけでもないし、今までヒップホップのバンドをやってたわけでもないし。軸にしているのは、ラップに対してどんな音楽にするかっていうのは一応意識してますね」
--アルバムの全体的な流れとかは最初の段階から考えてたんですか?
KK「いや、もう全然ランダムに作りました。1曲目とかは最後の方にできましたし」
--まず最初に気になったのがアルバムの1曲目のタイトルが『fin.』となっていて、「終わり(fin.)」で始まっているっていうことだったんですよね。私がこのアルバムを読み解いた時に、映画なり小説なり何でもいいんですけど、エンディングのワンシーンをまずパッと見せて、そこに至るまでの経緯を2曲目から最後の曲にかけて説明して、またエンディングに戻ってくるっていう構成をイメージしたんですね。1曲目で『ブレイクスルー、突破口は今』って言っていて、そこで意気込みを見せているし、でもその後の曲ではわりと生活の中での迷いだったり、それを抜けた時にもう自分はこれをやらざるを得ないから流れに任せてでもやるっていう意思も伝わってくるし。だからTENさんの中でリリックの流れを考えた上で書き始めたのかなとか。そういう意図はあったんですか?
T「なかったです…や、でも本当言われてみたらそうですね…」
R「これを俺らが出さないといけなかったのに(笑)今度のインタビューで使おう(笑)」
全員「(笑)」
T「っていうくらいの、ラフな感じで全部作っていってたんです」
KK「1曲目に関してはどこにも持っていけんから、最初に持ってくればっていう(笑)」
全員「(笑)」
--アルバム自体はどれくらいで完成したんですか?
R「半年くらいですかね。作る前から4曲くらいは先にできていて、じゃあ残りをどうするかってなって。実際の取り掛かりは半年前くらいでした」
--7月4日リリースだったので、大体年末くらいですね。
T「そうですね。去年の今頃はもう俺、誰とも連絡とりたくなかったです。ずっと歌詞書かなきゃいけなかったから」
--歌詞を書く時には基本的に何も情報は入れたくないんですか?
T「お酒も呑まないです。ひたすら家に籠ってます」
--えーそうなんですねー。繊細なんですね意外と。
T「もう宮崎のトップに入るくらい(笑)」
--編曲とかは誰が担当されたんですか?
R「ほぼほぼ僕とKUBOKENさんふたりとか」
KK「まあでも最終的にはみんなでやりますね」
--今回プロデューサーは自分達ですか?
T「自分達だけです」
--結構終わりが決められないから、自分達でやるの大変って言いますよね。
T「今回の〆切はここまでに終わらせないとミックスができませんって言われてたので、超急ピッチでやりました」
KK「もうちょっと早く曲も出来上がってたら良かったんですけど」
R「だって普通ボーカル撮り終わった時点でミックス繋げるのに、ボーカル終わって編曲してましたもん」
T「だからライブ終わって渡されて聴いたら、ぜっんぜん違うトラックに俺のラップ乗ってて、あれ?!全然テイストちげーよ!って(笑)でもまたそれが良かったんですけど。『blue』だったんですけどねちなみに」
--TENさんとKENJIさんがそれに口を出すって言うことはないんですか?
T「ほぼないですね」
K「全然違うのがあがってくるけどそれが毎回良いので」

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ミュージックビデオ---スタジオ石MMM

--今回(『Life』の)ミュージックビデオも作っていらっしゃいますよね。個人的に田我流が好きで、『Life』を撮ったのが田我流の『ゆれる』のミュージックビデオと同じスタジオ石のMMMさんということでびっくりしたんですけど。これはどういう経緯でお願いしたんですか?
T「僕たちが元々仲良くしている長山くんっていう先輩がいて、長山くんが宮崎に初めてstillichimiyaを呼んだんですよ。それでPV撮ろうってなった時に長山くんにお願いして、stillichimiyaに連絡をとってもらったらトントン拍子で決まって。マジ?!みたいな感じでした」
--8時間くらいで撮り終わったって聞いてるんですけど。 
T「本当はあれ宮崎の街中で撮る予定だったんですよ。それが去年広島で大雨が降った日で、宮崎も大雨でこれ撮れないねってなってたんですけど、そこで長山くんが登場ですよ。「うちの実家民宿やってます」って(笑)長山くんさまさまです。前日に決まりました」
--でもビデオの中では晴れてましたよね?
T「そう、それが奇跡的に晴れたんですよ午後から」
じゃあせっかくだしってことで外に楽器出して撮ったんですか?
T「そうです」
--4人並んで行進もしてらして。なかなか4人揃って外歩くことないっていうのも聞いたんですけど。
T「ないです(笑)」
--じゃあシナリオもガラッと変えなきゃいけなかったんですね。
T「コンテもなかったし、MMMさんが次あーしてこーしてって指示しながら撮ってたんで」
R「最初はいつ撮り始めるんだ?って空気感で」
--じゃあコミュニケーションをとりながら撮影されたんですね。
T「めっちゃ話しましたよ。最後とか帰る途中で寂しかったですもん」
--結構演技要素もありましたね。TENさんが最初にハッと起きるところから始まって。
R「たぶんあれが一番時間かかりましたよ(笑)」 

東京を宮崎に

--今このアルバムを出したタイミングの意図みたいな、今ががっつり前に押していく、助走がついた時期っていう認識なんかはあったんですか?
T「あります」
R「なんかタイミングって自分達で作れるというのを証明したかったっていうのはあります、この宮崎で。やっぱり宮崎でバンドをやってる人達って、どうしても内気というか。片田舎だから仕方ないみたいなスタンスの人間が多い中で、誰かがアクションを起こせば誰かがついてきてくれるっていうのをあまり実感できない土地なんですよね。だから、そこを逆に利用して一歩大きい事してしまえばみんなが見てくれる、じゃないですけど…きっかけを誰かに見つけてもらうんじゃなくて、俺らから作っていこうっていうスタンスの下、今回のアルバムを作ったので。出した事によってそれなりに周りからの反応があって、そういうの見た時に、あー間違ってなかったっていうのはあって」
--みんなどんな印象を受けてるんでしょうね。
T「そもそもヒップホップバンドっていうのが宮崎にいないし、そういうのがあるっちゃーっていうのは言われました。浸透は速かった印象ですね」
--でもそこから宮崎だけではない場所にも出てますよね。東京と福岡にもライブに行ってますし。実際に私も東京のライブに行って、お客さんもいっぱい入ってたし。2016年に初めて東京ではライブをされてますが、2018年の時には何か東京の印象って変わりましたか?
T「19歳の時に宮崎から東京に向けたアクションを起こそうって一緒にやってた奴がいたんですけど、結局そいつは東京に行って、じゃあ俺は宮崎から発信するわって言って俺はここに残って。その頃から、宮崎から何か東京に向けたアクションを絶対に起こせるって信じてたんで。今回のアルバムを出すにあたって、それが一歩動いたなっていう気はしてたんです。それを2016年にライブした時に口にしていたので、次に東京に行く時には次の段階で何かやらないとなっていう想いはありました。今回東京でライブして反応も良かったし、PVもみんなちゃんと観てくれてたし盛り上がってくれて…でもその環境に甘んじたらダメだなって思ったし。今度は東京から宮崎にお客さん が来て、客入りが倍になったっていうのを俺らはやんなきゃいけないなっていうのを、すごく実感はしてましたねあのライブで」
--今ってインターネットもあるし、正直どこでも関係なく、田舎にいたって発信して成果も得られる。何の差もないですよね。でも実際に皆さんの周りには今のところ、n3q?と同じようなことをやっている人達が宮崎にはいないと思うので、そんな中でどうやって切磋琢磨というかモチベーションを高めていっているのかなって。
T「オリジナルとして、とりあえずはもう誰にも真似できないことやるっていうことなのかな」
--次にこれをやろうっていう何か計画はありますか?
T「んー、でもやっぱり一番は宮崎から発信するっていうことが全てだと思っているので。今回のアルバムを出してからヒップホップバンドっていう名前をつけてもらったので、それとして何が出来るかっていうことなんじゃないのかな」
--チャレンジしたいことは?
R「俺は前のバンドからずっと抱えてるのが「東京が来い」っていう。こっちで活動してて俺らが行くって、一般的に当たり前じゃないですか。じゃなくて、東京が来いよって」
T「でも本当その通りやんな」
R「こっちが待つ側っていうスタンスはいずれ変えていきたいですね」 T「あと宮崎はスターが出てないんですよ。県民がみんな知っているっていう全国区レベルのバンドとかいないので、そこは取りたいなと」
K「こっちから向こう(東京)に出てっていうパターンはあるんですけど、こっちに在住のパターンはないので」
T「そういう存在にはなりたいです。ニシタチ(西橘通り)を風切って歩けるようになりたい」
全員「(笑)」 

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n3q? (ナゾ・サード・クエスチョン)
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interview by 厚地由佳子
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