つつもたせ

つつもたせ【美人局】〈名〉男が妻や愛人にほかの男を誘惑させ、それを種に相手の男から金品をゆすりとること。類ーハニートラップ

高校の頃にハマっていた日本の映画監督に、西川美和監督がいる。私も多くの人と同じように香川照之とオダギリジョーのダブル主演した「ゆれる」が導入点だったわけだが、彼女の作品の中で一番個人的にくらったのは、間違いなく「蛇イチゴ」である。話の中心となる長男の放蕩息子を演じたのは、雨上がり決死隊の宮迫博之。話の筋はいまいち覚えていないが、腹が立ってしょうがなかった、という記憶はなんとなくある。こいつ阿保か!字義通り匙を投げつけてやりたくなるようなふざけた奴で、そう思わされている時点で、完全に私は西川監督に負けてしまっていたのである。作品に対し男女感など持ち出す必要もないのだが、率直に女性監督が撮った作品だということをつい忘れていた。というのも、特にこの作品に関しては、痛快感とおふざけ感に男性的な何かを強く感じていたからだ。音楽がファンキーだったこともあるのかもしれない。めちゃくちゃ恰好いい!と目を輝かせていた高校生の私がいた。

そんな西川監督が2012年に撮った作品「夢売るふたり」。松たか子が妻一澤里子を、阿部サダヲが夫一澤貫也を演じた。一澤夫婦は、ふたりで切り盛りしていた小料理店がある日全焼してしまい、全てを失ってしまう。途方に暮れる中、貫也が店の常連だった女と浮気。そのことをきっかけに手にした手切れ金に目をつけた里子は、再建のためと考えつき、夫を様々な女の元に送り結婚詐欺を繰り返し金を手にしてゆく、というのがざっくりとしたあらすじだ。『つつもたせ』という言葉は、中国で近世後期頃には存在していた言葉らしいが、その当時生きていた人々に、いやいや男が女を使う時代は終わりですよ。これからは女が男を遣わせて金品ゆする時代ですよ、なんて言えば、皆さぞかし驚くことだろう。そういえば近頃は女が男を買う時代にもなったというし、いよいよ時代はそこまできたか、という気もしてくる。いや、もしかするとそういうことは昔から社会に存在していたのだが、今になってただ単に明るみに出てきただけというだけのことかもしれない。時代は変われど、内側を見てみれば、実情はそこまで大きく変わっていないということが我々人間世界では多い。狂った人間も犯罪も増えたと騒がれたりするが、実際のところ犯罪件数はディケイド単位でみると、少なくなっているという話も聞いたことがある。表面に出てきている事実が正しいとは、限らないのである。

ふと思ったが、「女を買う」と「男を買う」という表現には、性を入れ替えたというだけでない、聞こえの受け取り方に何か大きな差があるような気がする。性差別だと指を指されても仕方ないと諦めて明言するならば、「男を買う」という言葉には「女を買う」という言葉と比べて下品さが少なく、どちらかというと、そんなことする女ってクールじゃん、なんていう印象が少々含まれてはいやしないか。はて、私だけだろうか。そこで思い出されたのは、一ヶ月ほど前に私の働く会社の社長と新宿のヒルトンホテルのバーで打ち合わせをしている時に、社長が思い出したように話してくれた、あるエピソードだ。

ビジネスパートナーとの打ち合わせで同じバーで呑んでいた時、座っていたカウンター席の真後ろ(彼は必ず同じ席に座る)にある丸テーブルに、女一人を囲むようにして、五人の男たちが座っていた。そこだけホストクラブかのような異様な空気感が漂い、気になった社長は思わず、仲の良いバーテンを呼びこっそりその女が誰なのかを訊ねてみた。きくところによると、某大手外資系企業でマネージャーを務めている”超できる女”であるとのこと。見ていると確かに、男たちは女の下男にしかみえない。彼女が煙草を口に咥えれば、競って男たちが火を差し出そうである。話を聴いている私の頭には、完全に「男女逆転『大奥』」が浮かぶ(観たことはないが)。ある程度の話が済んだ段階で、女はその中にいる男一人に向けて指をさし「この前買った(高級ブランド)のスーツに今すぐ着替えてきなさい。(高級レストラン)で食事にするわよ」と言った。指示された男はほとんど指示されたと同時に立ち上がり、サササーと何処かへ消えていった。恐らく部屋に戻り指定された買い与えられたスーツに着替えるのだろう。続いて女が立つと、残りの男たちもほぼ同時に立ち上がり、女を筆頭にずらずらと金魚の糞のように続いていったらしい。支払いはもちろん、彼女がカード一枚で済ましていった。

「恰好いいよね」と社長も思い出し話を聴かせながら、また興奮していた。「ほえ~そんな女性本当にいるんだね~」なんて私は返答しながら、頭の中で(これが果たして男女逆だったら社長はどんな印象を持ったのだろうか)と考えていた。もしかすると社長は、輪の中心で部下に向かって指示したり羽振りを利かせているのが男だったとしたら、いけ好かない奴、と思ったのではないだろうか。心優しい社長はそんなこと思わず、私がただ性格が悪い故に思うことなのかもしれないが。ともかく、女のそういう言動は、男のそれよりも嫌味少なく、キレの良さを感じさせる気がしてならない。フェミニズムに関心のない私でさえそう思ってしまうことに、少々落胆する。私も十分、世間のバイアスにのみこまれているのだろう。

『つつもたせ』の当て字である『美人局』は『筒持たせ』とも書き、「筒」は男性器もしくは女性器を表す隠語だったという説もあるらしい。最初にこの言葉が使われた時代は女がゆすり役として使われることが主だったため「美人」という言葉があてられたのだろう。どちらの性も可能性があり得るとなった現代においては、調整の必要があるのだろうか。いや待てよ。近頃では美人という表現を用いても何ら不思議ではないほど美しい男性も多いではないか。数ヶ月前に友人である男が、最近ハマっている化粧水の話をしていたのを思い出す。化粧水すらつけずに布団に入ることも多い私には、いやはや耳の痛い話である。私が女であろうと男として生まれてきていただろうと、生涯かけて『つつもたせ』に関わることはなさそうである。良いのか悪いのか、クワバラクワバラ。

類語に書かれている『ハニートラップ』が和製英語でないか気になったので、グーグルで検索してみる。トップページでまず最初に目についたのは、あるニュースの動画記事。インドのマディヤ・プラデーシュ州で政治家などの裕福層を狙った『ハニートラップ』事件が起こったというニュースだった。たったの二日前に投稿されているということは、この言葉は正しい英語表現なのだろう。しかしさらに興味を引いたのは、この事件に関しては若い女性たちを使いトラップを仕掛けていたのが、なんと五人の女たちだったということだ。なんて思いながら、また別の自分の中に組み込まれたバイアスに気づいてしまう。別に男女間だけの話でなく、男男間、女女間でもおかしくない話なのに。本来ならば、人間が動物をまた別の人間に送ってつつもたせしていた、となって初めて驚くくらいでなければならない。まだまだだな私も、と少し反省。何はともあれ、やはり胸糞が悪いニュースではある。しかし、インドという国柄を考えると、胸糞が悪いという言葉で一蹴するのも少し気が引ける。この五人の女たちは、イスラム教の国で女として自立する術が他に見当たらず、苦肉の策としてこの案を思いついたのだろうか。それとも単純な心ない金稼ぎが目的だったのか、もしくは実はこの五人の女ですら裏で男たちに操作されていた、なんてこともなくはないのだろうか。一度その渦に入り込むと、ムムム、と黙ってしまう私がいる。

物事の真実を知るには、幾重もの層をかい潜り、しかし大体においてはどれだけ剥いだところでなかなか中心核には至れないものだ。なんだかなあ、と思いながら、インド訛りの英語ニュースをぼんやりと観ていた。いずれにせよ、『つつもたせ』の目的は最初から最後まで金であり、金に対する人間の執着と欲望は、この話によると最低でも近世後期頃から何も変わっていないということになる。どれだけ科学技術が進歩しても人間の核部分は変わらない。そうでなければ、何百年も昔の哲学者たちが、いまだに大学で学ばれることはないだろう。近頃、個人的なことでお金との関わり方について考える機会も多い私だが、必要なものとわかりながら、そのものだけにすがり求め生きているというだけではやはり人生はつまらないなと、莫大な規模の敵と戦う日々である。答えは曖昧模糊。クワバラクワバラ。

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