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6月13日(日)

 最近の私的ビッグニュースはといえば、ついに来月末で今働いている会社を辞めるということだ。これまでに2回退職を切り出したものの、その都度困ると言われありがたく新たなオファーを受け止まってきたけれど、2週間前、月曜日の朝に目が覚めて一発目に頭に「よし辞めよう」と浮かんで、その日に退職を告げた。急に浮かんだということでもなく、溜まりに溜まったものが最高潮まで達したというだけに過ぎない。とはいえ実際に口にするまでビクビクしていたけれど、言ってしまった後に風が通り抜けたので、ああとりあえずこれは正しい選択のひとつなのだと知った。

 じゃあ今度どうするのか。それが何も決まっていないのである。

 そういえば前職を辞めた時もそうだった。朝に会議をしていて色々とくだらない話や空気が充満していて、その途中でいきなり話をふられた際に「今後のことは私は対応できないと思います。辞めようと思っているので。」と自分の意識よりも速いスピードで口が先に言葉を放っていた。言って瞬時に「あれ、今なんて言った?」という感じだった。その日家に帰って、家族にそのことを話して、どうしようかなと空を見ていて「そうだ、30歳になる前に行ったことない場所に旅に行こう」と思い、その1ヶ月後にタイ・ヨーロッパ3ヶ月旅行に出掛けた。私の中ではそれなりの過程を踏んで出している結論なのだが、周囲の人にとっては衝動的動物にしか映らないだろう。

 つまり、これからどうするか。まだ今月と来月入れて1ヶ月半残されているのでうまく頭がついていっていないが、まあ、どうしようかなと、馬鹿みたいにその言葉を繰り返す毎日。自分がやりたいことは明確だが、それをどう実現できるのかが全くわかっていない。もう『とりあえず』な会社に所属するのは嫌だということははっきりしているが、じゃあ生きていく金はあるのかと訊かれると何も答えられない。中途半端で無責任なところは、小さい頃からの性格だから変わらない。もう32歳なんだから、ということはわかっていても、もう興味のないことのために頑張りたくはない。意思ははっきりしているのに打開策はないという、なんとも困った奴だ。

 正直にいうと、今すぐは無理だとしても、フリーランサーとして生きていくというのがとりあえずの目標だ。その武器1は「書く」。自由に書くでも、翻訳でも、言葉に向かうことを選びたい。なんでかというと、それをしている時には時間を忘れるから。自分の存在をその間忘れているから。だからこそ自分をよく知ることができる。結局のところ、私は自分自身から自由になりたい想いが一番強い。解き放たれた時の私は、とても、なんというか、最高なのだ。その忘却の中に現れる自分をもっと見たい。金銭的リスクよりも、そんな自分を置いてけぼりにしてしまって、心がずれたまま生きていくリスクの方を回避しなければならない。

 書くだけでなく、武器2や3として、分野問わず挑戦していきたい。「これをする人」という限定的な枠は私には重荷だし、つまらない。昔から集中力がないから、あれもこれもといろんなことを同時にしていたいタイプだ。何かを極めるという意味では足りないのだろうが、分野を渡り歩くからこそ生み出せる強みもある。昔は色々と自分の至らなさを卑下していたが、歳をとるごとにその無意味さに気付いていった。今目の前にあるものに感謝せよと言うが、今持っている手札が全てなら、その手札でどんな面白いゲームを展開できるかを考える方が楽しい。重要なのはどんな手札を逃したかではなく、これからどんな手札に変えていけるかを期待することだ。

 そう、つまりこれからどうするか。答えははっきりしている。

さあ、知らない。

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