(創作大賞2024)大正浪漫チックな花嫁は恋する夫とお勉強がしたい【第二十三話】
食堂から二階へ上がった私は、洗面所で口をゆすいで、口紅を塗り直す。
あぁ、あんなに怒った顔の藤孝様、見たことないわ。
後ろめたいことがあるのを、黙っている私が悪いのですもの。
誠心誠意、お詫び申し上げよう。
鏡に映った私は、眉根を寄せて、藤孝様に嫌われてしまったかもしれないことに、悲しんでいた。
言い訳などせず、すべてお話しようと心に決めて、藤孝様の部屋のドアを叩く。
「はい」
いつもよりも機嫌が悪そうに聞こえる藤孝様の返事に、自分の部屋へ戻りたくなるが、大きく息を吸って、腹を据えた。
「……櫻子です」
ゆっくりと開いたドアから、背の高い藤孝様が現れる。
私には、いつも笑顔を向けてくださるのに、無表情に見おろされていることに、涙が出そうになる。
泣いてはいけないわ。
悪いのは、私なんだもの。
部屋に入れてもらい、いつものように私はソファーに座り、藤孝様は勉強机の椅子をソファーに向けて座った。
「……櫻子さん、僕に隠し事がある?」
いきなり、きたっ。
膝の上で重ねている手を、ギュッと握りしめて、ゴクリと唾を飲む。
「……ございますわ」
藤孝様は目を細め、唇を噛みしめた後に、絞り出すような声を出した。
「征之介さんと……浮気、してるの?」
苦しそうな目を、私からそらした藤孝様は、下を向いて自分の握りこぶしを見つめている。
浮気……。
いえ、浮気ではないわ。
……一瞬だけ、気持ちがグラついてしまったけれど、征之介様に心変わりしたわけではない。
私は藤孝様のことだけを、好きなんですもの。
「浮気はしていませんわ。
ワタクシが好きなのは、藤孝様です」
私の言葉に藤孝様は、ぱあっと光が差したような顔を上げた。
「じゃあ、僕に隠していることって何?」
一瞬明るくなった表情を、また怪訝に変えて私に尋ねる。
「……ワタクシ、先日猫を助けて川に落ちたと申しましたでしょう?」
藤孝様が頷いたのを見て、とうとう内緒にしていたことを口に出した。
「実はそれはウソで、本当は入水自殺しようとなさっている征之介様を、止めようとしたのですわ」
これまで、猫を助けて風邪までひいてしまったと思っていた藤孝様は、心底ビックリしたように目を見開く。
「自殺って? 征さんが?」
私は頷いて話を続ける。
「お付き合いなさっている女性と、愛情があるのなら一緒に死のうとお約束されて、川で待ち合わせしたのに、女性は来なかったのですって」
その女性が既婚者であることは、言わなかった。
征之介様が夫のある女性でも厭わない(※行動することをためらわないこと)と知ると、余計、藤孝様は心配しそうだもの。
「だけど、征之介様は本気で死ぬ気はなかったみたいで、浅瀬のゆるい川を選んだとおっしゃっていましたわ」
藤孝様は、私の顔をまっすぐに見て、話を聞いている。
「待ちぼうけを食らった征之介様は、自暴自棄になられて、川に入られたところを、ちょうどワタクシが通りかかって。
下駄をキレイにそろえて川に入られたから、きっと身を投げるおつもりなんだと、ワタクシ必死で川に入ってお止めしたのです」
「それならそうと、言ってくれればよかったのに」
藤孝様は、ホッと息をつきながら、少し表情を柔らかくした。
「だって征之介様が、一井家の花嫁に手を出す不埒な画家だから、秘密にしておけと仰るから……」
藤孝様が安堵するような上手い言い方が見つからず、征之介様がおっしゃった通りに話してしまう。
「……何っ? 『手を出す』?」
せっかく和らいだ顔になった藤孝様が、再び険しくなった。
どうして私は口上手に言えないのかしら?
つい真正直に、言葉が出ちゃう。
「手を出すと言っても抱きしめられて、まだ左頬と右の手首に口づけされただけですわ」
藤孝様の顔色に慌てるが、余計墓穴を掘ってしまう。
あぁぁ、また藤孝様に嫌われちゃう。
なんて言えば……。
口を手で覆って、冷や汗が出るくらい頭を働かせている私を見つめながら、藤孝様は椅子から立ち上がった。
そして私のそばへ来て両膝をつくと、ソファーに座った私の膝に頭をのせて抱きついた。
「ふ、藤孝様?」
勢いよく頭を上げた藤孝様は険しい顔のまま、私の右手首を制服の袖で拭き始め、左頬も手でゴシゴシと擦られる。
「やだっ、おしろいが取れてしまいます」
頬を擦る手を止めるように、藤孝様の手をとると、そのまま強引に引き寄せられて口づけされた。
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