(創作大賞2024)大正浪漫チックな花嫁は恋する夫とお勉強がしたい【第二十八話】
「お友達ならば、ずっと好きでいられましてよ。
征之介様はもう、ワタクシと藤孝様の深い友情愛をお持ちですわ」
「フ、ハハハハ……。
本当に君は面白くて、優しい子だな」
これまでに見たことのない、穏やかな顔で微笑む征之介様に、私と藤孝様も顔を見合わせて笑いあった。
「いい絵が描けそうな気がするよ。
じゃあ、また来週の日曜日に。
三人での『お勉強』には、いつでも誘ってくれ」
征之介様は、藤孝様を見上げてニヤリと笑う。
「三人でなんて、やりませんっ」
顔を真っ赤にした藤孝様を、私も少しからかってみたくなる。
「あら、でも、みんなでやっても楽しそうではありませんこと?」
「さ、櫻子っ!」
「アハハハハ」
きれいな顔を、無邪気に明るい笑顔でいっぱいにして、征之介様は帰って行った。
黄土色のカンバスと、イーゼルを残して。
しかし、次の日曜日、征之介様が来ることはなかった。
ーーーー
「遅いですわね、征之介様」
次の日曜日。
私と、藤孝様の肖像画の続きを描く予定なのに、時間になっても、迎えに行った使用人が戻って来ない。
「そうだな、何かあったんだろうか」
一時間ほど待って、何やら廊下の方が騒がしくなった。
征之介様がいらっしゃったのかと思ったが、悲鳴まで聞こえる。
応接間で待っていた私と藤孝様は、顔を見合わせて玄関へ向かった。
お客様や私たちが使う正面玄関には、誰もいない。
使用人たちが利用する裏玄関の方へ、女中が集まっているのが見えた。
そちらへ向かうと、騒然とした中で、征之介様を迎えに行った使用人、木村さんが立っている。
しかし、その両手は血まみれで、灰色のコートにもべったりと血のりがついていた。
「木村っ、どうしたんだっ?」
狭い裏玄関は騒がしくごった返し、藤孝様の声も通らない。
女中の一人は、その木村さんの壮絶な姿に気絶し、それを介抱する者もいれば、その血が付いたコートを、ひとまず脱がそうとする女中や、血がついてキャーキャー騒ぐ女中もいる。
たらいに水を張って持ってくる女中と、他の慌てた女中がぶつかって水をぶちまけたりと、てんやわんやだ。
「わ、わ、若様、た、大変……大変で、ござ……」
木村さんは、藤孝様の顔を見つけて、何か言おうとしているが、震えて言葉が続かない様子だった。
余計、大騒動になり、収集がつかなくなった、その時。
「落ち着きなさいっ」
女中頭のトキさんの一喝で、みんな静まった。
的確なトキさんの指示で、あっという間に裏玄関は何事もなかったかのように落ち着く。
さすが、大財閥一井家の、大人数の女中や使用人を束ねる女中頭だけある。
肝が座っているというか、動じない。
トキさんから、私たちも再び応接間で待つように促され、すぐに温かいお茶が出される。
その後、木村さんはきちんと着替えて私たちに報告しに来た。
木村さんは、征之介様を迎えに行ったはず。
それなのに、征之介様の姿は見えず、木村さんは血まみれ。
一体どうしたというの?
「若様、若奥様、大変な事態になりましてございます」
大変なことは分かったから、何なの?
「一体、どうしたんだ? 征之介さんは?」
「松原 鳳雪先生は、女に刺されて重傷でございます」
使用人の木村さんの報告に、私も藤孝様も息を飲んだ。
「どういうことだ」
前のめりに、ソファーに座った藤孝様は、青い顔をして今にも倒れそうな木村さんに問いただす。
「松原先生の画室(※アトリエ)に……お、お迎えに上がりましたら、先生が女と言い争っておられたのです。
それで、逆上した女が鉛筆を削る小刀をとって、松原先生の脇腹を刺し……そのまま自分の首も掻き切りました」
あまりのことに、私は両手で顔を覆った。
「女の血しぶきが飛び、辺りは一面血まみれで……」
「征さんはっ? 征さんはどうしたんだっ」
藤孝様は叫ぶように聞き、息が荒くなった木村さんは、途切れながらも答えた。
「松原先生は、倒れておいででしたが、息がおありでした。
運転手の鈴木に、お医者様を呼ぶように言って、私は流れ出る松原先生の血を手で止めておりました」
征之介様が生きているという言葉に、覆っている手を外して、私も息を吸い直す。
「女は即死だったそうですが、松原先生は私が手で押さえていたのが良かったようで、お医者様はなんとかなるかもしれないと仰っていました」
すぐに、自動車で大きな病院に運び、征之介様は今、手術を受けていらっしゃるという事だった。
倒れそうになりながらも、青い顔のまま木村さんは報告を終える。
藤孝様はそんな木村さんをねぎらい、家令(※執事)の島田さんを呼んで、外出中のお義父様とお義母様に連絡するように言い、征之介様のご実家である、松原公爵邸にもこの件をお伝えするように命じた。
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