(創作大賞2024)大正浪漫チックな花嫁は恋する夫とお勉強がしたい【第十七話】
その方は、目にかかりそうなほどの長い前髪の間から、切れ長の美しい瞳がのぞく。
頬の色は白く、少々不健康そうな容貌を呈した、白皙の美青年。
品のいい大島紬(※着物の織り物のひとつ。高価)を、あえて今風に白いシャツをのぞかせて着崩して、ソファーに背筋を伸ばして座っていた。
「な、何で?」
どうして、川で会った征之介様が、ウチにいるの?
「櫻子さん、こちらは松原公爵のお孫さんになられる、松原 征之介君だ」
松原公爵家と言えばたしか、さかのぼれば大名家に続き、松原公爵の血筋が、明治大帝(※明治天皇)の従兄弟に当たられるという、華族社会でも、特に高貴なお家柄……だったはず。
男爵家であるこの一井家や、私の実家の大炊御門侯爵家よりも、断然格上。
あの冷たい川に、自ら入って行こうとしていた征之介様が、そんな身の上の方だったなんて。
「若奥様、ご無沙汰しております」
ゆっくりとソファーから立ち上がった高貴なお方は、冷たくも見える美しい笑顔を私に向ける。
お義父様の前で、再会の挨拶をされて、ちょっと面食らってしまった。
えっ?
あの川でのことは、秘密にするのではなくて?
どうお返事したらいいのかしら?
内心慌てふためき、お義父様と征之介様を交互に見て、視線が泳いでしまう。
この数日、何度も思い浮かんでは頭の中で打ち消していた、征之介様から抱きしめられて、頬に口づけされたことを思い出す。
思わず顔が熱くなり、征之介様の形のよい唇が触れたその頬を、手で隠した。
「帝国ホテルでの結婚披露宴で、ご挨拶しましただけですので、私など何の変哲もない顔は、覚えておいででないでしょうね」
言いながら私の顔を見て、吹き出しそうになるのを、こらえているようだ。
やっぱり川で会ったことは、隠されるおつもりね?
だけど……この今にも笑いだしそうな顔。
きっと私、からかわれているんだわ。
私が心苦しい隠し事をしなければならなくなった原因が、ニヤニヤと笑いをこらえているのを見ていると、だんだん腹が立ってきた。
私がこの数日、慣れないウソまでついて、どれだけ大変な思いをしたことか。
征之介様になんて、話を合わせてやるもんですか。
言ってやるわ。
お義父様の前で、真実をっ。
「まぁ! 征之介様ではありませんか!」
私は、にらみつけるように、目を据える。
「先日の川の水は、ずいぶんと冷たくて、ワタクシは風邪をひいてしまいましたのよ。
ですけれど、自ら川に進んで入っていかれた征之介様は、大変ご健勝(※健康で元気なこと)のようで、何よりですわ。
ワタクシ命からがら、必死にあの川でお助けいたしましたのに。
きちんと一井家の櫻子だと名乗りましたのを、お忘れですの?
あんなに印象深い出来事も忘れてしまわれるだなんて。
ワタクシの方が、きっと何の変哲も、ないのですわねっ!」
一気にまくしたてた私は、ハァハァと肩で息を繰り返す。
すると、もう我慢できないと言うように、征之介様は笑いだした。
「櫻子さんが川で猫を助けた時に、征之介君もいたのか」
お義父様の言葉に、更に笑い声を大きくしてお腹を抱えている。
「アハハハ……ね、ねこ……ハハハ」
必死に笑いを収めた笑い上戸な方は、にじんだ涙を指で拭きながら、お義父様の方へ向き直った。
「左様でございます、男爵。
川で小さな愛らしい子猫が、私の背中に、まとわりついてきまして。
まさか一井家の若奥様が上等なお召し物のまま、ザブザブと川に入ってみえるとは思わず……ハハハ」
また吹き出しながらも、私に流し目を送りながら、ソファーに座り、お義父様に微笑んだ。
「若奥様のおかげで、ちっぽけな命を失わずに済んだのです。
本当に、若奥様は勇敢でお優しい」
征之介様は、誰の命が失われなかったかは言わずに、上手に私を持ち上げる。
きっとお義父様は、命を失わなかったのは、本当はいなかった猫のことだろうと思っているだろう。
猫じゃなくて、私が川で助けたのは征之介様なんだと言ってしまおうと、意気込んでいると、それよりも一瞬早く、話を替えられた。
「孝ちゃんがうらやましいですよ。
こんなに素晴らしい若奥様など、今の華族の中で二人といないのではないですか?
さすが、男爵は目利き(※良い・悪いの判断が優れていること)でいらっしゃる。
私がこの美しい若奥様を、娶りたいくらいだ」
まぁ、なんてこと。
お義父様の前で、私を妻に欲しいだなんて、なんて大胆なことをおっしゃるの。
それに、藤孝様のことを『孝ちゃん』だなんて、征之介様は藤孝様とも仲が良くていらっしゃるのかしら?
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