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空と海と、18日目

2019年5月13日
昨夜は話している時に寝てしまい11時半に起きて歯磨きをすると、短いSNSの投稿を済ませて再びベッドに沈んでいったのだった。
今朝5時に起きると、隣のベッドのOちゃんは寝ていた。
8時くらいに起きてゆっくりのペースで歩くと言っていたので、音をたてないように準備をした。部屋を出る前に「どこかで会えたらいいね」と言葉を残し、ベッドの中で目を開けていたOちゃんにさよならをした。
6時5分に宿を出ていた。




今日はひたすら国道56号線を歩くルートで、約32㎞ある。昨日と違い風があるので、少し楽。私の姓は東北に多いんです、とOちゃんが言ったのを思い出していた。
先日泊まった絵本にでてくるおばあちゃんの宿は1つだけ難があった。それは煎餅布団なんかじゃなかったけど、他の宿で寝た時と明らかに身体が違っていた。当時はそれを単純にベッドが硬いのだと思っていたのだ。それで、昨日の出発からずっとお尻の左半分に違和感がある。またしても『左』である。
両足で歩いているのに、片方だけに集中するのは体が正常ではない証だ。このまま左が続くと、小爆弾に引火するのではないかと戦々恐々としている。
不安を抱えて歩くのは良くない。国道を四万十市にむけて歩き続けた。






75mの久礼トンネルを過ぎ『七子峠まで 約6㎞』の表示がある。

それをみてトトロにでてくる、お母さんが入院していた場所の名前と似てるいが何だったか思い出せずにいた。どうでもいいことだが、思い出せないとモヤモヤする。当時はビデオテープで、擦り切れるほど観た名作だったがそこの名前が思い出せない。
・・・




暫くして、七国山だった!と 判明。

単に『七』繋がりだった訳だが、山の中を歩いているとこんな感じで連想する。



今日もトンネルが7つくらいあったけど、どうやら『怖い慣れ』をしてきた。
それが良いのか悪いのか。








    ●トンネルの中の影





『七子峠床鍋』のバス停を過ぎ、準備中のラーメン屋とうどん屋が現れた。ずっと準備中なのか、店の開店までの休憩の準備中なのかは分からない。



準備中と閉店が同じ意味で使われるので、考えたことがあった。大きく3つあり、1つ目の準備中は、次の開店までにスープの調整をしたり具材を切ったりとやることはたんまり有る。次の開店に備えた準備をしているから『準備中』で納得がいく。




2つ目の準備中は、今日は店が終わりました、の意。働く人が中に居ても、それは客に提供するためではなく今日はおしまいなのだ。3つ目は、休むとき。定休日も含めて準備中と札を出すところは何かしっくり来ない。拡大解釈すれば、店を開けるための心の充電や体力の温存や諸々の生活があるからだろう。その人に対する準備期間であるから、準備中。

**たまに、永久に閉店の店に準備中の札があるのは、理由があって閉店したのかもと考える。 **



田園地帯を見渡すと、軽トラに積んだ苗を降ろして田植えをしている。この地方の人は、地産地消率が高いと思った。
その土地で出来たものをその土地で食べるという、ごくごく当たり前のことがそうでなくなった現実がある。







今朝はテーブルに置いていたチョコだけを食べていた。途中イチゴ200円の無人販売をみつけたので、買おうと財布を出すと小銭は130円しかない。後は一万円札が50枚ほど、どっさり。
なんて入っていたら嬉しいが…

札は一万円札が3枚。    

無人販売だからと130円入れてイチゴを持ち去るなんて出来る訳がない。お遍路さんでなくても出来ない。

どうしても食べたくなった。

そしたら、70円分の何粒かのイチゴを返せば良いなんて一瞬考えるが、却下。
人間はおかしなものだ。さっきまで苺の『イ』の字も思い描いてないのに、いざ目の前にあると食べたいのだ。

やっぱり食べたい。

隣の車の整備の会社の人に両替を申し出るも一万円札ではNG。すると、130円で良いと言うではないか。

「良いんですか?」と言うと、

「僕の友達がやってるから」と、30円の割引の許可を得たのだ。



そのイチゴはめちゃくちゃ甘い訳ではないが、とても美味しかった。

       🍓🍓🍓

スーパーで買う甘味の少ないイチゴに練乳をかけて食べるのが常で、いちご本来の味を忘れかけている。これは、しっかり味のあるイチゴだった。



お遍路の出で立ちでいると普段の自分でないことがある。例えば、横断歩道。車が来てないことが分かっていても、ちゃんと🟦青信号になるまで待つ。

当然のことだとお叱りを受けるかもしれないが、お接待を受けたりするこの地で自分を戒めることが出来るのだ。

コンビニでトイレをお借りするときも他人より明らかに目立つ訳なので、粗相のないようにしようと思ったり、コンビニでは何か一つ買って行こうと思うのだ。当然に使わせてもらっていたトイレに関する考えも、少し変わっていたのだった。

     ●☝️ カカシ

向こうの畑で農作業をしている人がこっちを向いている。はい、お遍路さんです、と自分で自分のことを確かめていた。近付くまで、ずっと見られている。

よく見ると、案山子だった。

私もカラスと同じであった訳だ。カラスの方が賢くて、人と案山子を区別するかもしれない。



『四万十町立ひかり保育所』から園児数名と保育士らしき女性が出てきた。見ず知らずのお遍路さんに気持ちよく挨拶をしてくれる。保育所の庭には鯉のぼりが元気よく泳いでいた。
遠くに歩く園児が、🎏鯉のぼりに見えてきた。




『六反地』バス停をすぎて『道の駅あぐり窪川』で30分の長い休憩をとる。







たけのこの炊き込みご飯と『窪川生まれの豚まん』を食べたが、どっちも美味しい。たけのこが旬だから美味しいのか、たけのこご飯はどこで食べてもハズレがないのだ。 ある意味、可もなく不可もなく安定している。




休憩後に歩きだすのがちょっと大変で、脱いだ靴下と靴を履きザックを背負うのだ。

そんなに大変なら脱がなかったら良いと思うかもしれないが、足を靴下から解放してやるのも大切なのだ。


よっこらしょ、の、どっこいしょで立ち上がり、まだ休憩したがっている足を無理矢理引っ張っている。まるで動きたくない犬のリードを引っ張っているかのように。

       🏃‍♀️🏃‍♀️🏃‍♀️

私は亀ランナーなのでランニングハイの経験がないのだが、『遍路ウォ-クハイ』みたいなのがあるんじゃないかと思った。もしあるとしたら、私は経験していた。頭がボーっとして、自分の意思かどうかわからないまま足だけが前に出る。

伊丹十三監督の映画『たんぽぽ』に、布団に寝て死ぬ直前の妻をどうにか起こそうとして夫が「めしだ、めし!」と🍚ご飯を要求すると、死人のような姿でパッと起き上がり最後の力を振り絞りご飯を作る場面がある。有り得ないと馬鹿げて見えるが、それだけ長年の条件反射であること伝えていた。

それと似ているかどうか微妙ではあるが『歩きたい』ではなく『歩かないといけない』との

信号が脳に届いたまま、無意識に歩くのである。




きついが歩を止めないのは無意識ではないのかもしれないが、このとき昨日から痛む左のお尻をかばう様になっていた。

足の裏は常に痛く、小指のカチコチになったマメが時々思い出したように痛み、そして菅笠によって頭も痛む。

こんな痛みを快感に思う人が居るのかもしれない。稀に。


そして今日、思った。自分の今ある苦痛は、ある意味自ら望んだものであるのだ。他方、会社の矛盾に耐えて意に反することも仕事だと割り切る人もいる。それが故にストレスを生む。自分の今は、苦痛こそあるが精神的ストレスとは別物だった。世知辛い世の中、自分の羅針盤を失った人がどれくらい居るのだろうか。

言葉に嘘が多かった会社の人を思い出していた。あの人は真実よりも自分のポストを守る方が先なんだと。それはいつしか人格になり、周囲の人間が離れても動じない。

今となってはどうでもいいことを、歩きながらいつものように色々と考える。



『岩本寺1.6㎞』の表示があった。間違ってないと分かっていても、こうして標識をみると安心するのだった。






参道にある土産物屋を通ると、37番岩本寺に到着。12時55分だった。





       ●十善戒

       五月晴れ

本堂内陣の格天井には、見事な天井画がずらり。それは1978年本堂が建立された際に、全国から公募した575枚の絵がはめられている。そうだ!この中にマリリンモローの画もあったんだ、と探すけど見つからない。目を凝らして探すも、首が痛くなって断念した。
ない・・・



参拝を済ませて納経所に行ったとき、マリリンモローを探せなかったと言うと手前にあると言われ再度本堂に行った。

手前、手前、手前?

やはり、ない。


数が多すぎて、何の手前か分からなくなった。私も諦めるのが早く、納経所の前に置いたザックを取りに行った。
次の宿の道を訊いたあとに、マリリンモローは見つけることが出来なかったと、ポツリ。この一言が納経所のオバちゃんの耳に届き、入った場所の直ぐ手前の一番端にあるから分かるはずだと言う。

疲れていたので、マリリンモンローは半分以上どうでも良かったのは確か。しかしそこで教えてくれる人が感じがいい人だったので、よっこらしょ!と、再びザックを降ろして探しに行くと、、あった!



本当に分かりやすい場所にあるではないか。探すとなると分からないものだ。『ウォーリーを探せ』の絵本と同じだ。絶対に探すんだとの思いが足りないからだな。

**オバちゃんにお礼を言って、お寺を後にした。 **





『塩ケンピ』の直径5ⅿの大きな水車を過ぎると、端の看板に『ツガニ買います』の文字。



ツガニ?

つがいの蟹❓後に知ったが、ここ土佐では有名な蟹だった。
これも食べたかった!















だいぶ歩いて、『轟の滝 4㎞』の標識がある。滝が轟く?マイナスイオン・・と一瞬心が動いたが、遍路道から逸れるので却下。

余裕がないよな。

さっきの岩本寺の宿坊に泊まると言っていたOちゃんは、寄り道するのかなぁ。

道の駅や岩本寺で「歩きですか?」と声をかけられていた。車のお遍路さんも多いので、ザックを見てこの人は歩いているのかしら❓と思うのだろう。

明日リタイアするかもしれない崖っぷちのお遍路さんなのだが、歩きだと知ると「どこから?」と続く。

一番札所の霊山寺からだと知ると相手は決まって「偉いねー」と返してくる。えらいねー、は『しんどい』とか『きつい』とかの類でない方だ。

その後にリップサービスで「お若いのに」と付け加える。

いや、若くありませ!と必死で言う。必死にならなくても相手はちゃんと分かっているのに。そっか、言葉のお接待だったんだな。
 

30分ほどで宿に着く道中の民家に     ☕️** **🍜

『おへんろさん、休憩してください。コーヒーやラーメンあります』と手書きで書いている。それを見ていると、縁側らしき所からおじいちゃんが出てきた。

ビジネスホテルにある物よりやや大きいサイズの冷蔵庫を開けて、何本でも飲んで!と。

中にはビール、wine、焼酎、沖縄のハブ酒などが入っている訳がなく、リポビタンD、サイダー、コーヒー、ジュースとチョコが入っていた。

こうして我が家の前を歩くお遍路さんに、お接待をして下さるのだ。

サイダーをもらって飲んだ。冷たくてめちゃくちゃ美味しかった!

遍路経験者のおじいちゃんは、この先の宿に関する情報を提供してくれた。一番嬉しかった情報が、今日泊まる宿と明日に泊まる宿が提携しているホテルで、荷物を無料で運んでくれるそうだ。

やったーーーーーーー‼️** 愛が止まらないじゃなくて、喜びがとまらないー**

明日は朝から雨予報なので、荷物がない方がいいに決まっている。

嬉しい!

1kgの白砂糖7つ分が背中からなくなるなんて、なんて素敵なんでしょう~

帰り際、私の脚が痛いことを知って湿布まで持たせてくれたのだ。おじいちゃん、一期一会の人にありがとうございます。

人里離れて場所で、お遍路さんと少しでも会話が出来ることを喜びとしてるように感じた。



   ●お手洗いを拝借する


それにしても、宿のキャリーサービスはもっと公にして欲しいと思う。お接待をして下さった方が、地元紙の広告に載ってるいと見せてくれたけど、歩き遍路がどうやって情報を得るの❓
もしあのとき、お接待をしようとしたおじいちゃんがトイレに行ってて、私を見つけることがなかったとしたら、このお宝情報を知らずにいた。
ホテルにもキャリーサービスの表示がなかった。
そこはサービスのいい宿だったけど、私がそのことを言って初めて対応してくれたのだ。それって、何なのだろう。


**こちらからアンテナを張り巡らせてないと、こぼれてしまう情報でいいと思っているのだろうか。超スーパー大切な情報として、これからのお遍路さんのためにも、予約時に言って欲しいと思う。提携ホテルの利益にもなることだ。ザックを背負って歩くのが当然と言われればそれまでだが、ザックで死にそうな人には背中の休憩という大きなご褒美になるのだ。 **




 ●道標のように、ピンクのリボン
   (ずっと続いていた)


戦を終えた戦士のように宿の部屋に入ると、相部屋じゃない限りモノが散乱してすごい状態になる。ザックから殆ど引っ張り出してるからだ。
その日限りの旅芸人みたいに、広げて出しての繰り返し。

息子たちが幼いころ、整理整頓を相当にうるさく言ってきたけど、彼らにもそれなりに意味があったのかしら。


今日は不覚にも日焼けをしてしまった。女の敵は紫外線からくるSST。それ以外もしっかり防がないとダメだ。UVは休憩の度に塗っていたし、スプレーの蓋を外して直ぐに使えるようにしていた。


  ●頂いた、湿布?サロンパス?


今日もギリギリまで頑張った。明日は荷物がない分、少し体を休ませることができる。

**肩が痛い、足の裏が火照る、腰がガチガチ・・・ **

本日、60.543歩

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