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空と海と、11日目

2019年5月6日

二十四番札所
二十五番札所
二十六番札所
木々に新緑がみなぎり、山々は緑に染まって爽やかに香る立夏である。
相も変わらず坂と山と階段で、今日もへろへろ。アスファルトonlyも辛すぎるけど、山や階段も息が切れて呼吸困難になりそうだ。マメは相変わらず悪いままで、気持ちはどんより曇り空。
昨夜は美味しいごはんとキャリーサービスに喜びまくっていたのに、数時間でこの変わりようなのだ。
カメレオンだ。

 ●宿から見た、朝5時半の景色☝️

 ●ワセリンを塗って靴下を履く



今朝、玄関で靴を履いた瞬間から、その痛みは始まっていた。
数十歩あるいて、やはりダメかと鎮痛剤を飲んでいた。
毎日、マメが治る前から新しいマメができるので、夜には決まってその部分をくり抜くと、ピンクの『ミ』が出る。
消毒して乾燥させるのだが、それは実に生々しい。その数時間後には靴下と靴を履くから、再び蒸れて治る暇がない。
常にマメのことばかりで、これを読んでる方はほとほと飽きが来ていると思うがやはり懲りずに書くのだった🙄 
マメの場所が踵と小指なので、足のバランスが悪くなる。
痛い!本当に痛い・・・
マメの足が靴下と言う狭い暗い空間に閉じ込められて、泣き叫んでいるようだった。その狭さにも慣れるのか。
はい、98%弱気モード。
とうとう鎮痛剤がなくなった。明日は奈半利(なはり)の方まで行くと薬局はあると思うけど、それまで鎮痛剤なしで持つかどうか不安だ。


あの菅さん(政治家)はマメ対策、どうしたのだろうか・・・
ショーケン(萩原健一)も河島英五も、遍路を経験しているが、マメは出来たんだろうかと考える。
すぐに他人のことが気になる。どんな痛みで歩いたのかと想像するのだった。
初めの頃に登場するブラジルチームのササキさんは、豆は殆ど出来ないらしい。
何が悪いの❓







   ●避難表示が、続く☝️








気持ちを切り替え遍路道沿いにある『室戸世界ジオパーク』に、トイレも兼ねて立ち寄った。

入口にはblogでみた、立派な遍路小屋があった。

するとその前で、ばったり、 あのGさんと遭遇。

また会った・・・

この人と同じコース、一本道を歩くので出会う訳だ。

ここで無視するのも大人げない、社交辞令で「お疲れ様です」とだけ一言。
どうか話しかけて来ませんように🙏
また一緒に歩くなんてごめんだ。疲れているときは、本音モードなのだ。

無料で入れることを確認して、その施設に入った。










私の出で立ちを見たスタッフが寄って来て、空海が修行した御蔵洞(みくろど)の説明をしてくれた。定年退職したボランティアと思しき方の声が聞き取りにくい。もしや疲れている自分の耳が遠いのか何度も聞き直したが、やはり言葉がしっかり伝わってこなくて残念だった。

そして、また歩き出した。







『室戸まで7㎞』の標識が出たあと、白い青年大師像が遠くに見えてきた。





右手に杖を持っている。
歩くにつれどんどん大きくなり、山の中腹に鎮座するその像は強烈な存在感である。それは青い空に白い雲が浮いて、まさに一幅の絵になっていた。
『青年』なので今まで見てきたものとお顔つきが少し違って見えるが、この顔は想像なのだろうか。それしか考えられないな。
1200年前に写真などないし、何を頼りに制作するのだろうかと考えたのだった。
もしかしたら全然似てないかも知れない。お寺の中にあるものも含めて。
でも姿形は似てなくて良いのだろう。
一応、人としてのなりを表現する。
たぶん。

いやはや、子供の頃の話になるが…
🚥信号の青は『青緑』で、🥦野菜を青物と言うのは違和感があった。
神経質とはまた別で、どうして大人は正確に表現しないのかと。
嫌味な子供だったんだろうか。

すると、PC教室で出会った21歳の青年が私と似た色彩に関しては感性を持っていたので笑えた。
彼は、小学校のときに問題を書き換えてたと言うので大笑いした😄

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⚫︎次の問題を解きなさい
→ 『解きましょう』に、書き換える

ーーーーーーーーーーーーーーーー

どうして命令されないといけないのか、と小学校から思う彼の感性が気に入ったのだ。

某大学の法学部を中退してPC教室に来ていたO君と、私は意気投合した。
親が授業料を払えなくなり、止むなく退学していたのだ。物知りだし、話してて飽きない。
パッと見は、オタクの太った青年であったが、やはり中身のある人が楽しい。






☝️●手が、邪魔



⚫︎はい!弘法大師に戻る。
『弘法大師行水の池』を過ぎて、いよいよ『御厨人窟』に着いた。


ここだけは絶対に外せない場所であり、公式の地図には『御蔵洞』とあり、実際に現地の標識は『御厨人窟』となっており、どちらでもいいのだろう、きっと。

※御厨人窟とは、大師が19歳に時この洞窟で修行中に「空に輝く明星が口に飛び込んできた」という神秘体験をしたと記述がある。この洞窟からの眺めがまさに空と海であり、彼が悟りを開いた地にちなんで「空海」と名乗ったという説がある。

その場所なのだが、てっきり海に面していると思いきや道路を挟んで山側にあった。
つまり、海側からは離れた場所なのだ。ここでは伝説になっているような景色を見ることは
出来ないのでは❓
かつては波打ち際にあったらしいが、波の浸食によって地層が削られて移動したようだ。
それで、こんな場所にあるのか。
ま、千年以上前のことだから誰も証明は出来ないのだけど。
この場所は、一時期は危なくて進入禁止だったのをSNSで確認していた。
今日はヘルメット着用で入れるようになっている。

一人でその薄暗い場所に入るのがとても怖かった。

真っ昼間になにが怖いのかと言われたら答えに困るけど、
本当にその12畳程の空間は暗くて背筋が凍るような瞬間だった。

今考えると、何も後ろめたい事をしていないのにどうしてあんなに怖かったんだろう。
もしかしたら今まで霊感もなにもない自分が、何かをキャッチしてしまったのか?
いや、単純に暗い洞窟が苦手だけなのか?
閉所恐怖症や高所恐怖症のように、『暗所』恐怖症かもしれないのだ。
いや、暗いなかでトイレには行けるのだった。

道の向こう側にお婆ちゃんが居て、私に何か言いたそうに口をパクパク開けているのがえた。菅笠だけを見ても十分に目立っているので、私が目に付くんだろう。近付いてみると、歯がない。このお婆ちゃんと話してもどうせ聞き取れないだろと、会釈だけしてその場を通り過ぎたのだった。入れ歯を外していたのかもしれない。
四国で歯がない人を時々見かける。歯がなくてもそんなに不便はないのか、それとも他人が思うほど気にならないのか。歳をとると、服のボタンが一つ外れているくらいの感覚になっているのかな。それとも、究極には歯にかけるお金がないのかもしれない。歯医者は高いから自分も苦手だ。
あれこれ勝手な想像をすると整体の先生が言った言葉を思い出した。
体の中でも歯だけは自然治癒力がない、と・・・














  ●津波のときに、逃げる場所



       ●角刈り















地味に24番と25番を打った。相変わらず、坂が多い。

途中から雨が降ってきたが山道を上って上って、やっと26番金剛頂寺に到着。

ここもどうしてこんな高い場所にあるのか、建立した人に訊いてみたい。今日はここの宿坊で泊まるから、これで歩きは終わりだった。その日はお葬式があったようで、喪服の人を宿坊でも何人か見かけていた。

そうだよなぁ、、と、この宿泊施設がお寺であることを再確認するのである。

道中、宿の人や同行さんが「26番の食事がすごい」と口を合わせて言うし、SNSでもそれは確認していた。

元気があれば4㎞先の『蔵空間茶間』というステキな宿に泊まりたかった。迷った末に、料理絶賛のこの宿坊にしたのだ。




いつものように疲れ果てて、部屋に案内されたのだった。

空いている時期で広い部屋を一人で使えるが、それがさして嬉しいとは思わない。

広さは二の次で、ちゃんとした寝具で寝られたらそれでいいのだ。バカボンのパパじゃないけど、本当にそれだけでいいのだ。


テーブルの上に置かれた丸い茶櫃があるのも、遍路宿では珍しいものだった。中にはお茶セットと菓子が二名分が入っている。

今では旅館でもティーバックの所が多いが、ここは小さな茶筒には茶葉が入っており茶さじも付いていた。これを見ただけで、もてなされていると感じで心が和むのだった。この宿坊のポリシーとされているのを感じ取れる。

『茶さじ』なんて若い人はどれだけ知っているだろうか。携帯する靴ベラと間違うのではないかと想像した。そもそも『さじ』という単語を使わなくなった。スプーンが一般的だ。

売店でも販売されている茶菓子がとても美味しかった。ここに泊まる人は、この場面から感動が始まると思う。少なくとも私はそうだ。

その美味しい茶菓子をもう一つ食べたかったが、一人なので一つだけ食べるのは当然の事。
我慢して一つは手を付けなかった。



        👚


上のシャツを脱いで、キャミソール1枚になり解放感に浸る。いつもはそのままなのだが、その日は何となくその上からTシャツも着ていたのだ。

すると数分後、急に部屋のドアが開いた。

なんとGさんだった!💢💢

「まちごうたー」と言いパタッと閉めた。

は?

あんた、ノジュカーじゃないの?

どうやら、隣の部屋だったらしい。

またかい!Gさん・・・💢💢💢

避けると近付いてくる、磁石のプラスマイナスみたい。

これが20代の子だったら愛と怒りは表裏一体みたいな運びになり、さんまと大竹しのぶがTVドラマでケンカし合う展開みたく「愛」が生まれるのだろうけど、地球が逆回りすることがあってもGさんとあり得ないのは明々白々。

それにしても、この人は良く登場する。あんたもこの宿坊に泊まるのね。





そうそう、泊り客は昨日の宿にいた東京から来た65歳男性とGさんの3人だけ。

昨日まで大勢だったらしいが、今日から突然プツリと人の波が切れたと言う。
広い食堂の一角で、3人の食事。

今回の遍路で始めて『宿』に泊まるというGさんは意気軒高。それはもうご機嫌で、もう一人の男性と会話に花が咲いていた。

ノジュカー(野宿する人)のGさんは、「こんな食事は初めてですわー」と感動しきり。

そう言えば初めて会った時も話していた。カップラーメンばかりなので、野菜不足を補うためにカット野菜を入れているのだとか。なので、今日の食事は相当なご馳走なのだ。

盆と正月が一緒に来たような豪勢なものだろう。

Gさんが今まで登った山の話をしていて、その中でも一番は長野県の穂高だと話したとき、『そこは私が行ってみたい山』と心で呟いていた。穂高の景色も見ているんだ、この人。

そしたらGさんが、「マメが痛いのに、彼女もすごいですわー」と私の方を見て言う。放っておいてくれ。

キモッ!

褒めたのかい。

さっきは戸を開けておいて、プライバシー侵害されていますからね!

間違ったと言った後に、開けたことに対するお詫びの言葉がなかったじゃないか!

いい気分でGさんが、もう一人の男性に年齢を訊いている。

**はい、個人情報 **❗️

もしかしたらこのGさん、隣の席で無言のまま食べまくっている私にまで振ってくるかもしれない、と思った。

初対面であれだけぺらぺらと、喋りまくった人だ。

十分あり得るぞ。

そしたら「28歳です」と即答してやろう。専守防衛である。

どう返してくるだろか・・・

大阪の人だから、そこは笑いで返すのか❓私はGさんをかわす方法を、手ぐすねを引いて待ち構えていた。しかし、少しは遠慮していたのだろうか私に問いかけることはなかったのだ。


その後、となりの席の人が饒舌になり「三浦雄一郎になろうと思いまして・・・」なんて喋っている。それは昨日、私が彼に言った言葉ですが。

ま、なんでもいいのだ。

そうそう、私の前を歩いていたこの男性。途中、集団の猿と遭遇してしまいすごく怖かったと話していた。やっぱり猿は出るのだ。後ろを歩いた私は遭遇せずに済んだのだ。

よかった。




テーブルには一足遅れて、大きな金目鯛の煮つけが一尾ドーンと出てきた。

さっきのジオパークで『室戸のキンメマップ』と書かれた金目鯛をかたどったユニークなパンフレットを手に取っていたので、地域を挙げてに推していると察した。食べ物はなによりもの観光資源になる、しかし、こんなに早く食べられるなんて嬉しい。

それは3人で分けて食べるように、取り箸が置かれている。




その金目鯛は文句ない美味しさで、結局Gさんと分け合って食べていたのだ😓

同じ場所で、同じ時間に、同じものを突っつく不思議な関係。金井克子の『他人の関係』が、音なく頭に流れるのであった。

お昼はバナナ1本だったので、テーブルに出されたすごい量のおかずと2杯のご飯でお腹がはちきれそうだった。

どうして、はちきれそうになるまで食べたのか分からない。 単純に美味しかったからだ。悪く言えば、単に食意地が張っている。

最後に出されるデザートが、これまた凄いので最後まで待つようにと助言をもらっていた。

しかし出されたのは、お皿の上の琵琶だけ。

それも甘味がなく、一つ食べて終わったのだった。このお寺の上ってくるときに地元のオバちゃんが食べて❗️と言って渡してくれた、お接待の琵琶のほうは甘くておいしかったのだ。

私の想像はこうだ。

→この日は、たまたまハズレ🎯

多くの人が毎日アタリと言う中での『ハズレの日』。逆を返せば、ハズレと言う名の当たり。

当日は住職が不在だったし、昨日までは途切れることがなかった大勢の宿泊客から一転、当日は葬式と重なったりして普段とは明らかに違ったのだろう。

ま、文句のつけようのない食事だったけどデザートまで神経が回らないのは当然だ。🍎🍊🍈

日常を離れ、こうやって自分が作らなくても食事できることが贅沢贅沢。

住職が居ないので、明日はお勤めがないと言われた。元々あったのね。最初はお勤めも興味津々だったけど、疲労が重なると1分でも寝ていたのでよかった。


     ●菅さんが宿泊


なんか、今日は一度も笑っていな気がする。怒ることはあっても・・・
本日、48.902歩

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