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空と海と、4日目

2019年4月29日
時間が止まったような焼山寺の宿坊は、何もないからいい。
テレビ、Wi-Fiはもちろんのこと、売店もお酒も気の利いたものが何もない。
そう、吉幾三の世界だ。
私は4日連続で睡眠が浅く、昨夜は隣の部屋のイビキの合唱も関係してか、殆ど眠れてない。
遅い時間までSNSに現を抜かしていると言われればそれまでで、体の疲労は大きいが、それにも増して書きたい衝動の方が勝っているから仕方ない。
…なんて言うのはカッコいいが、いつま身体がで持つのか。

今日も自分の方向音痴には、ほとほと飽きがくる。
飽きても自分なので、付き合うしかない。
今日も何度か道を間違って、ドキドキが止まらなかった。誰も助けてくれないのが自分を強くする。
助け船がないから、自分を信じるしかない。
人生なんて、所詮自分一人の旅なのだ。
👶オギャーと産声をあげて、周囲の力で育つのも知らず、思春期には反抗しながら少しずつ大人になって行く。
自分は生きていくのに一人だと、少しでも早く分かった方が良いと思う。
まさに、自立だ。

ある女性の遍路blogを参考にしているのだが、13番札所に行くとき峠を越えるルートがあり、そのルートは絶対に絶対に避けて、5㎞くらい遠回りしても車道を行くべき‼️と忠告、いや警告されていた❗️
それで自分の地図にもしっかり、マジックで記入済みだった。
なのに( ゚Д゚)なのに!!! 
ブレたので、とんでもないことになったのだった。 

(/_;) 

朝の6時半、部屋の中まで丁寧に朝食が運ばれてきた。
それをコタツの上に移して食べる。
旅の醍醐味は『上げ膳据え膳』なのだが、この深い山の中の宿坊では格別だ。
何が格別なのか。質素な食事だと揶揄されても仕方ない。
おそらく、全ては人の心が決めるからだと思う。
あのみつをも書いてる通り、ホントに自分の定規で計り自分の心の在り方が決めているのだ。
だから私は、この質素な食事が細胞に染み込むほど嬉しい ‼︎
こんな場所で、仮に🍞トーストのセルフサービスなんてあったら、ガックリする。

昨晩同様お櫃に入ったご飯をお替わりし、食べ終わるとお盆ごと廊下に出して置く。
『お盆』と言うのは、脚の付いたもので、時代劇なんかでお目にするアレだ。

外に干した洗濯物は全て乾いていた。
なぜか自分しか干してなかったが、皆はどうしたんだろう・・・
部屋に干してる?
それとも汗臭いまま、ザックに入れるかそれとも再び着るのか?
ま、人の勝手だ。

私は着替えを一組しか持ってきてないので、乾いた分は翌日に着ることにしている。半乾きだと臭いが残るので、完全に乾いてないと困るのだ。今思うと、どうせ乾くのだから着替えは必要なかった。その分だけ荷物が減るのだ。1g でもザックの中は軽い方がいい。これは歩き遍路なら、全員が声を揃えて言うことだった。

昨日は歯磨きもせずに寝ていた同室のTさんは、気持ちがいい朝らしく「相部屋だからドキドキしてたんだよー、だけどよかったよ」と笑顔。

間接的に、私はお褒めの言葉をもらっていたのだ💛こちらこそお話しできて楽しかった。

人は自分のちっぽけな人生を生きているので、他人の体験談を聞いて想像力を膨らませることが出来る。人生の放課後の活動的な姿に、静かに影響を受けている自分がいた。

コタツに入ったTさんが「○○バス停ってあるの?」と、独り言なのか私に発した言葉か分からないような感じで、地図を見入っている。

土地勘の全くない私は、「全然知りませんー」と答えていたが、この後にちゃんと会話をしていたら、何か役に立ったかも知れないと後悔するのだが、後の祭り。

睡眠は足りてないものの、心地いい緊張感で足取りは軽い。
まだ肩も痛んでない。

朝の参拝客の中を縫って下りていくのだが、すごく広い境内のどっちに進めばいいのか分からない。本当は納経所で尋ねる筈だったが、既に人が並んでいたので諦めたのだ。そう、この時に諦めずにちゃんと待って訪ねていれば問題はなかったのに。

宿坊の玄関では民宿と違い、お見送りなどなかったので、訊けなかった。

遍路道には何かしら看板や方向を示す『遍路シール』が貼られている訳で、それを探そうと考えたのだった。だいぶ歩いて駐車場まで行くも、その標識が見当たらない。

地図だけでは、とてもじゃないけど分かりにくくまどろっこい。やはり道を尋ねようと再び長い参道を上って階段も上り納経所に行くと、納経所の前にはさっき以上に長い行列が出来ている。

はぁぁ。

これを待っていたらどれだけ遅れるか分からない。それとも列に割り込んでいきなり道だけを尋ねるなんて、私には到底出来なかった。

不安を抱え、とぼとぼと広い境内の外に再び歩いて行くと13番札所の方向が示されていた。

今朝Tさんが独り言のように呟いていた道のような気がして、あのときに会話を続けなかったことを悔やんだのだった。

これで優に40分は時間のロス。だけど方向が分かったので不安は払拭されていた。

どの方向を見ても安野光雅の世界が広がる焼山寺の景色。目に焼き付けて別れを告げていた。

ピンクの花をつけた木々、新緑と深い緑、そして遠くは薄い紫色に広がる山々の調和がド迫力であり、この自然は幾年月もこうして続いてきたのだ。

人工でないものは、五感の響き方がどこか違う。








このとき気になるのは自身の睡眠不足だったが、今朝そのことをTさんに言うと1時間でも深く眠れていれば大丈夫なんだよ、と🐸ケロッとした表情で言われたので安堵した。人が話すとき、表情の小さな機微までも会話の一部になって相手に伝わるのだ。

睡眠の1時間くらいは、深い場所に行っていた気がする。いや、行っていたと思う。

不安なとき暗示にかかるような他人の言葉に助けられる、単純な自分がいたのだ。

遍路では欠かせない衛門三郎の話があり、彼が倒れた地として伝えられている。

※衛門三郎とは、伊予に住む強欲な長者。ある日、托鉢僧が持つ鉄鉢をムチで叩くと、鉢が8つに割れ三郎の8人の子が次々と死亡。僧が弘法大師だったことを知った三郎は大師を追って八十八ヶ所を巡るが、21周目に焼山寺で倒れ、ようやく大師に会えた。「もう一度生まれ変わり功徳を積みたい」と、言い残し息を引き取ると、大師は三郎の手に「衛門三郎再来」と書いた石を握らせ再来を祈願。数十年ののち伊予の領主河野家でこの小石を握った男子が生まれたという。衛門三郎の杖は杖杉庵の「大杉」となり、石は五十一番札所・石手寺に。

(なかなか、こう言う話を聞けど耳を傾けるヤングは少ないと思う…)

衛門三郎の霊石の前に、白杖を持った女性と男性の2人が🚖タクシーの運転手らしき人から説明を聞いていた。
白杖の彼女は、先日十番札所・切幡寺の長い上り階段で見かけた方だった。
視覚障害者の方に付き添う人共々、ここまで来て凄いなぁと思い覚えていた。

杖杉庵を過ぎても、いよいよ肝心要の話しになる。😂😂😂
昨日、ブラジルチームを先導しているササキさんに十三番札所までのルートを訪ねていた。すると、私の予定している遠回りの道より『峠の道』の方が距離が短くて良いというのだ。
え⁉️
絶対に峠は通らないと決めていた自分だったのに、隙ができたのだ。
本当に隙としか言いようがない。
昨日の遍路ころがしも、あれだけ構えていたけど想像よりも容易く通過した私は、正直うぬぼれていたのだ。
⚡️⚡️⚡️⚡️
しかし、その行程の半分はシノダさんにザックを運んでもらっているのに、、、である。

まだまだ行けるじゃないか!

同世代の人と比べたら、めっちゃ体力があるんだ!フツーの中年のおばさんは此処まで出来ないと思う。

結願も夢じゃないぞ!

いい気になっていた。遍路3日目にして、成り上がっていたのだ。

矢沢永吉か!

突然宝くじの高額当選をした人が、気持ちが大きくなりスーパーの広告の品など見なくなるのと同じである。

そういう訳で、あれだけblogにNGと書かれていたのに、私はすんなり例の『峠』を選んで鏡大師経由で13番に向かうルートを歩いたのである。

本当にあれだけ、歩きまいと決めていたのに。あれだけ!

直ぐに忘れるのは人間の長所でもある訳で、一概に忘れることを非難するのではないけどこの時だけは自分のブレにほとほと嫌気がさした。本当に。

その峠の名は→玉が峠

その上り口が分からず地元の人に尋ねるも、やはり分からない。有名じゃないの?

やっと上り口が見つかった。

     はて❓

人が上るのか?

いきなり笑いが出るような急勾配に、本当にココ❓と不思議になった。

そう、そこで方向転換すればまだ間に合ったのに、自分自身が既に峠モードになっていたので、ルート変更なんて考えが及ばなかったのである。

救いようがない。

そのあり得ないような急勾配は手すりなどある筈もなく、私はためらいもなく上がり始めたのだった💦

いつも右手に持っている杖は、あまりの急勾配で役に立たない。それどころか時々、邪魔だったりする。

その急勾配が故にスマホを取り出すこともできず、殆ど画像に収めていない。それでもすごい体勢で何枚か撮ったのだが、後で見るとその勾配の加減が伝わらないだけではなく、ブレブレ。

肉眼とは違うのだった。

ここを少し行けばマシかと思えど、急勾配には変わりなく酸素不足になって転げ落ちるんじゃないかと思うほどだった。

こんなところ、進めない!

これは道じゃない!

そんな大変な中でも、脳はしっかりこのルートを選んだことへの後悔をしていた。

『遍路ころがしより大変な峠=玉が峠』だったことを、四国に来る前からリサーチ済みだったのに、自分自身がブレてしまったのだ。

今更ブラジルチームの佐々木さんを恨むことはなかった、彼女はこの道が良いと思って言ったことなのだから。

ただ自分がブレずに、43号線と438号線の方を5㎞多く歩けばこんな訳の分からない、たけしの罰ゲームのような道を歩かずに、いや歩くどころかカジリ付かずに済んだのに、情けない!

猛省である。
引き返そうにも引き返せない。

後ろをみると怖い。(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

ここで死にたくない😂

VR動画でもなんでもなく、今自分の脚で上がってきた道。

高梨沙羅がジャンプ台の上から見る角度のようでなおさら怖いし、もう必死になって上って上って、ザックのサイドポケットから当然に水も取り出せない。

はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ・・・

喉の渇きはmaxでどうにか水分を摂りたいけど、その後のトイレ問題もあるのでじっと我慢の子であった。

     チャン!

初めてよじ登る場所なのに、もう少し・もう少し・もう少しと自分を騙して進んでいた。

そうしないと進めなかった。

嘘も方便、脳を騙す、なんでも良いからここを通り過ぎたい。

さすがに自分の喉チンコが食道にへばり付きそうなので、ものすごく変な体勢で水分補給をした。ほんの少し。

その一口の水の美味しさ!

砂漠の中のオアシスからも尚、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ・・・

なんでこの道を選んだのか、そればかりを考えている。

はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、・・・

ロッククライミングと言うには無理があるけど、正にその気分で、後悔と自己責任と昨日のササキさんとのやり取りを思い出しながら、息が切れそうになる。それでいても止まらずに進む。

これは遍路道?と首を傾げる。

いや、首を傾げたらザックがズレて転げ落ちる!
まさしく「へんろころがし」じゃないか!

止まってしまうのが怖いので、それなら上るしかなく、ハムスターがいつまでも回っている気分が少し分かる気がした。

車を運転するときも、近道だと言い狭い道やクネクネ道を選ぶ人が居るけど、私はそれが大嫌いなのだ。

時間は短縮しなくても、大通りがいい!

余裕がある方がいい。

頭の中はぐちゃぐちゃで、そんなこんなでやっと峠を越えたていた。

  終わったー(峠だけ)


又しても快挙だった、少なくても自分の中では・・・ 
(追記をするにあたり、のどちんこの正式名があるか検索すると、
    口蓋垂 【こうがすい】
と、初めて聞く言葉。しかし、口蓋垂では通じない気がする)

峠から解放されてからは、車道を横切っていた。

普段は地図なんて見ることがないのに睨めっこしながらの歩きであり、しかし乍ら遍路の公式の地図には細かい点は記されていない。

日本語版より、1年更新される英語版の方が断然分かりやすいらしい。

そんな訳で、車道を進んでいくと、民家に突き当たってしまった。

       ん⁉️

立ち止っまったが、この道しかない。

公式の遍路道には他人の家の前を通ったりするから、おそらくこの家の後ろに道が続いてるのだろうと思った。それでも少しは不安だったが、通らないと前に進めない。

当然だ。

一応「すいませーん!!」と叫んだが、家の人は出てこない。恐る恐る家の敷地を通り過ぎたが、家の裏手にはゴミを燃やした痕跡だけで道は続いてなかったのだ💦💦💦💦💦💦💦

  ここじゃなかった!

家の壁にむき出しの男性小便器を見る限り、確かに人が住んでいる感じがした。

そのとき私に気付いて家の中からお爺さんが『なに、しよるか!!』と、斧をもって近づいてくるかも知れないと想像するだけで、本当に怖くなった。

完全な妄想の世界での恐怖、

太陽の照り付ける真昼間だが人っ子一人いない山の中では、都会の夜中と同じくらい怖いものがある。

叫んでも誰にも届かないのだから。

7.4㎏のザックを背負っているので走れないし、それでもって元々足が遅い。今考えても、その狼狽ぶりは凄かった。

どこでどう道を間違ったのか、来た道を必死で引き返して検証すると・・・あった!

遍路道を指す小さなシールの方向を、見間違っていた。

なんてこった!パンナコッタ!

     ※因みに、画像 ↓

凡ミスだ。

ちゃんと、しっかり確認すれば間違わなかったのだ。あー、怖かった。独り相撲だが。

独りで勝手に、想像したお化け屋敷に入って息を呑んでいるのと同じである。

あの『玉が峠』なんぞを通った自分の心のブレ。

行き止まりの民家にまで行き、恐怖を感じたことの悔い。

ブラジルチームに交じって頭を使わずにいたので、こうして独りだとミスがある。

緊張感が足りないのだ。

元々独りで歩いているのに、人を求めて、どこかに甘えた気分があるのだろうかと反省しきり。

スタートから何度か道を間違えて、ドキドキとハラハラで、もうクタクタ。

疲れっぱなしだ。 

暫くして小さな集落があり、画像で見た大きな人形がたくさんあった。そこで、荷物を運んでくれているシノダさんが待っていてくれていたのだ。ブラジルチームが少し前を歩いているので、このまま追えば間に合うとのこと。

そして又もや!!

私の背中から7.4㎏をはぎ取ってくれるのだった。

ありがた~い♡♡

もう、シノダさんが素敵に見えてきた。 ※ステキじゃない訳ではありません

ザックを下ろすと、その瞬間の数歩はアポロ11号の宇宙飛行士が月でたどたどしく歩くような感じになる。

表現がややこしいが、本当に一瞬自分の体が無重力の中にいるかのような感覚になるのだ。

本当にほんの一瞬。

シノダさんと別れた後は身軽になっていた。

少し歩くと郵便局があり、その傍で車から降りてくるご婦人に「トイレはこの辺にありませんか?」と訊くとNO。

直ぐさま「うちでよかったら使って下さい!」と言われ、お言葉に甘えることにした。

奥さんが、お遍路さんがトイレ使うよーと、家の中の数人の子供たちに叫んでいた。靴を脱いだ私は恐縮しながら、子供たちの視線をかいくぐって少し奥にあったトイレの方まで移動する。はい、あのザ・遍路の出で立ちである。

帰りに、食べてください!と、お菓子セットまで頂いた。本当に優しい方たち。

「これをどうぞ」と、納め札をお渡しする。

帰り際に奥さんが、同じような景色ばかりの徳島でしょ❓と言われて、いえいえと言ったもののどう返せばよいのか迷ったのは事実。実際、同じような景色が続くので携帯から画像が減っていたのだ。

それにしても遍路道沿いのご自宅からは、普段から珍しくない筈のお遍路さんなのに、子供たちにまでしっかり敬う姿をみせることに、逆に敬服するのだった。

お遍路さんにお接待をすることは、間接的であるが弘法大師への気持ちなのだ。
なので、お遍路さんにへの施しは単なる人としての優しさの類とは違う。
これは四国に根づいた文化だ。

思うのだが、何かしらそれぞれの思いを込めて四国を歩いて、ココを歩かない限り巡り会うことのない一期一会の人たちに知りあうこと。
これはフツーの旅行とは違い、お洒落をしてるんでもなく内も外も人間の素の姿になっているので、染み込むものがあるんだと思う。

煽り運転が多発する日本では、ベンツやTOYOTAの一番良い車には決して吹っ掛けて来ない。
そんな輩に限って、車の肩書きみたいなのを心得てる気がする。

四国を歩くのは、自分の身体一つ。
肩書きがあるうと無かろうと関係ない。
それが、気持ちいい。
(はい、4日目にして武田鉄矢みたいになっている?)


広野五反地を過ぎると、やっとブラジルチームと合流できた。やはりこの仲間と歩くのは居心地がいい。彼らと歩いて十三番・大日寺に着く。私は宿坊、彼らはお寺の隣のかどや旅館。

そう、明日も懲りずにコバンザメになるのだ。独りで歩くこともできたが、彼らのことが好きで勝手にくっ付いていたのだった。

明日は朝から雨予報なので、カッパを着ての歩きになる。大人になってカッパを着て歩いた記憶がない。いや、子供のときもあっただろか。 

お寺と宿泊施設の関係で、明日は歩く距離も比較的に短くなるので休息も兼ねている。

そして明日は本当にお別れなのだ💧

この先の十七番井戸寺を打ったら車で高松に移動して、六十九番から八十八番を打った後、岡山・広島・姫路・京都・大阪・奈良・箱根・東京の順で観光し5月22日に成田からドバイ経由でブラジルに帰国する予定になっている。

約1か月の長期旅行。

それにしても、偶然にも彼らと巡り会えたことが嬉しい。言葉が通じないので名前だけでも覚えようとするのだが、3人か4人はどうしても間違えてしまう。

ササキ・マルガリータ、リタ、モニカ、マリーナ、マリア(mama)、ジローニモ、セリート、ミュートン、ヤマサキ、ジュッサラ・・・

やっぱり、3人は思い出せない。

『ジュッサラ』だけは、一度で覚えたので何度も名前を呼んでしまった。

『廻る寿司が10皿!』と言うのを説明したくて、私がジェスチャーをしても皆の反応は微妙。そもそも廻る寿司が分かってないのかも知れないし、いちいち説明する私もどうなのか。

列の後ろで歩く私は、覚えたブラジル名を叫ぶと本人が手を振ってくれる。

本国の旗を持ってきていたリタは、小さなノートに日本語の挨拶文や数字の読み方を書いていたのだった。ブラジルと言うと、サッカー、coffee、サンバ、日本と真逆に位置することくらいしか知らない。これからは🇧🇷ブラジル国旗と共に彼らの太陽のような笑顔を思い出すだろう。 

宿坊のお風呂場で、今朝別れた登山家のTさんと再会した。同じ宿だと知っていたが、別々に歩いていたのだ。大きな浴槽に二人で浸かりながら納経所の不愛想な態度や、お互いが通ってきた恐怖の『玉が峠』の話をしていた。今、この気持ちを最も共有できる人と女子高生のように声をあげて話していた。やっぱり、Tさんもあの峠で死にそうだったのだ。70歳にしてあの峠を越えるとは凄い!


エベレストにも登ったのに、本当に大変だったのかと訊いてしまった。すると、あんな急なところは初めてで、エベレストはなだらかな道だと説明された。

登山家泣かせの峠で、ある意味すごい場所なのだ。されどあそこは避けるべきルートだった。体力と精神力の消耗が半端じゃない。

こうして私はTさんと話すことでカタルシスを得ていたのだった。 

夜、Messengerにニューカレドニアのビキニ娘から、父と2ショットの画像が送られてきた。元気なことを伝えたいのか?

今日の23㎞は、腰にくる。

手洗いした洗濯物がなかなか乾きそうにない。困った・・・ 

本日、44.356歩 

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