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先生が学校に行けなくなった日【2日目】

二日目 月曜日

土日はあっという間に過ぎてしまった。本当は、溜まっていた丸つけや行事の準備などをしに、学校に行こうと思っていたが、気持ちが向かなかった。
日曜日、寝床につく前、そういえば週案を出していないことに気づき、「月曜日の朝ははやく出よう」と決意した。

相変わらず、体は重たかったが、なんとか6時半には家を出ることができた。
駅まで続く坂道は「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせながら、上った。急行にも乗れた。うん、順調だ。深呼吸して電車を降りた。今日は問題なく改札をくぐれそうだ。

7時過ぎには学校に着くことができた。同じ学年の先生に、金曜日の欠勤を詫びる。とても優しい同僚で、「全然問題ないよ。むしろ体調大丈夫?」と気にかけてくれた。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


教室で子どもたちに会うと、自然と元気が出た。子どもってやっぱりすごいな。授業をしている間は、授業に頭が集中するからか、全然辛くなかった。

問題は授業以外の時間だった。


最近私は、ある一人の子から一方的に「死ね」と言われ続けていた。もちろん指導をした。他の先生にも相談した。専門家の方にも見てもらった。保護者にも連絡した。


でも、何も解決しなかった。毎日のように、理由も分からず、中指を立てられ「死ね」と言われ続けられるのが、本当に辛かった。子どもの言うことだから、その子の特性だから、とうまく私が割り切れられたら良かったのかもしれない。でも、どんなに対応しても変わらないことに無力感を感じていた。さらに良くなかったのは、その子の雰囲気に流されている子たちが出てきていことだった。

その日の給食の時間も、椅子をガタガタさせながら食べていたので、「危ないよ」と姿勢を注意したら、「死ね」と中指を立てられた。周りの子たちの何人かは、笑っていた。「やめなよ」と声をかけてくれる子もいた。


なんだかいじめられている気分だった。こんな風にしてしまった自分が情けなかった。

給食は、あまり喉を通らなかった。残さず食べるよう言っている手前、無理矢理食べ物を喉の奥に流し込んだ。

下校指導が一番の悩みの種だった。途中まで並んで帰るのだが、その子は「はやく帰りたいから」と、一人で飛び出していってしまうのだ。はじめのうちは、「ダメだよ」と止めてくれていた子どもたちも、だんだん「ずるい」と思うようになり、並ばずに帰ってしまう子どもが出てきた。

他のクラスがきれいに整列しているのをみると、自分の指導力のなさに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。子どもたちを見送る途中に歩道橋があるのだが、一度「ここから飛び降りたら」という衝動にかられてことがある。子どもたちがこんな風になってしまったのは私のせいだと、自分が嫌になったからだ。

放課後は、学年での打ち合わせや溜まっていた丸つけなどであっという間に時間が過ぎた。金曜日休んだ分を取り戻さないと、と思った。夜7時を過ぎたあたりで、副校長先生が「無理し過ぎないでね」と声をかけてくれた。


家に着く頃には8時をまわっていた。ご飯は食べる気がしなかった。お風呂に入って、すぐに寝た。

ちゃんと学校に行けたことがうれしくて、辛い気持ちは麻痺していた。だからその時、「休まなくてもなんとかやっていけるかも」と思っていた。

3日目に続く


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