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先生が学校に行けなくなった日【1日目】

 

1日目 金曜日

その日は、朝4時に目が覚めた。けれど、体が重たくて布団から出られなかった。「まだ時間がある」と目をつむった。目を閉じると、暗闇から「死にたい」という気持ちが降ってくる。「だめだ」と思って目を開ける。


そんなことを繰り返していたら、6時半を過ぎていた。いつもだったら、もう家を出ている時間だ。「そろそろ支度しないとまずい」と思い、無理矢理体を起こす。朝ごはんは食べる気がしなかった。子どもたちには、ちゃんと朝ごはん食べるように指導するくせに。

最低限の化粧をして家を出た。駅まで続く坂道がとても長く感じた。気付くと、「死にたい」とつぶやきながら歩いていた。


駅についたときには、もう何時間も歩き回ったかのような疲労感だった。ちょうどよく到着した急行に乗ろうとしたけれど、足が動かない。次に来た各停に乗ることにした。電車に乗ると、胸の奥が押さえつけられているような気持ち悪さを感じた。途中の駅で降りようかと迷ったけれど、始業に間に合うか微妙な時間だったので、我慢した。急行を見送った自分を恨んだ。

なんとか、たどり着いた最寄りの駅。エスカレーターを上がっているとき、吐き気が強まった。トイレに駆け込んだ。ごはんを食べていないから、胃液しか出なかった。


気持ちを落ち着けてから、学校に電話した。理由は「体調不良」とだけ言った。心配をかけたくなかったのと、こんな風になっている自分を恥ずかしく思っていたからだ。


そのまま電車で家まで引き返した。電車の中では、自然と涙が出ていた。

自宅の最寄りの駅まで戻ってきたが、家に戻ることが不安になった。こんな時間に家に帰ったら、家族になんて言われるだろう。


とりあえず家には帰らず、駅前のマックに入った。コーヒーを飲みながら、どうしようか考えた。何だか変に冷静だった。スマホで「心療内科」を検索した。当日に受診できるところは少なかったが、なんとか朝1番に見てもらえるところを見つけた。そのままの足で病院に向かった。
 
まだ10時だというのに、病院には何人かの人が並んでいた。初診であることを伝えると、問診票を書かされた。書きながら、いろいろなことを思い出し、また涙が出てきた。


担当の医師は、とても優しい先生で私の話をよく聞いてくれた。今まで溜まっていたものを吐き出すように、泣きじゃくりながらしゃべっていた。「適応障害」だと診断され、「今すぐ休むように」指示を受けた。

私は、「休むならいろいろ引き継いでから休みたいから来週いっぱいは頑張りたい」と伝えた。来週、自分が担当している大きな行事があったのが気がかりだったのだ。
すると、さっきまで優しかった先生が強い口調で
「本当に頑張れるんですか?」
と、聞いてきた。
「このままだとうつ病になりますよ」
いっそう語気が強まった。私は固まってしまった。
「とにかく、今はまだ休めないんです。」
と、私は駄々をこねた。結局その日は、様子を見ることになった。帰り際に、先生が「いつでも診断書を書きますからね」と、優しい口調で言ってくれた。

病院を出ると、まだ12時前だった。カフェで時間をつぶした。スマホの検索履歴は「適応障害」のキーワードでいっぱいになった。
「適応障害 症状」「適応障害 休職」「適応障害 教員」
調べると、同じように悩んでいる人が少なくないことに驚いた。自分だけじゃないんだ、と少し気持ちが楽になった。


家に着く頃、副校長先生から連絡があった。私の様子がおかしいことに感づいているようで、大丈夫か心配になって連絡をしてくれたようだった。
私は、「大丈夫です。疲れが溜まっていたみたいなので、土日しっかり休んで月曜日頑張ります。」と話した。

 自分の症状に、「適応障害」と名前が付いただけで、少し肩の力が抜けた感じがした。土日は学校のことを忘れよう。月曜日また頑張ろう。そう思って、その日は眠りについた。

二日目に続く


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