「好き」を発信して「嬉しい」を伝染させると世界が平和になるかもしれない

今日、すごく嬉しいことがあった。

友人が、わたしが書いた
映画レビューを読んで興味を持ち、
実際に映画を観に行ってくれたそうだ。

そしてその映画がとても面白かった!
と連絡をくれた。

わたしは飛び上がるほどうれしかった。

さらに嬉しいことに、
この映画評を知り合いにシェアしてくれているそうだ。

彼女の知り合いたちは
このレビュー自体が面白い!と言ってくれていると聞いて
さらにさらに嬉しくなった。

彼女は会社員時代からの親友だが
たくさんの映画を観ているし、
映画に関してはかなりシビアな視点を持っている人だ。

受け狙いの商業映画とか鼻で笑うようなシニカルな面もあり
わたしが泣いていても横で白けていることも多かったと記憶している。

たくさんの本も読んでいて感性が鋭い。
文章に関しても割とシビアだと思うが
感性がとても鋭く、
わたしの書く文章からの熱をしっかり受け取ってくれる。


そういう人から記事を褒められたものだから
余計に嬉しかった。


誰も損しなくて、みんなが得をする

このnoteは、もともと発信が好きな私が、
もっと「読める記事」「中身のある記事」を書けるようになろうと思い、始めたものだ。

ただ、毎日バタバタと忙しい時間の中で、質ばかりを追い求めていてはいつまでたっても文章が書けない。

なので、「毎日1記事」を掲げ、その中でできるだけ中身が濃く、感情が乗った文章、熱量が伝わる記事を書こうと意識して続けている。

今回友人が呼んでくれた映画の記事も、
純粋に心が動いたことを、みんなに知って欲しいと思い、わたしの持ち前のエネルギッシュな熱量で書いただけなのだが、

それを見て、興味を持ってくれた友人がいて、映画見て充実した時間を過ごせて喜んでくれた。それを聞いて私が喜んで、よっしゃまたブログ書くぞ!とやる気になる。

誰もが得をしている。
なんて素敵なサイクルなんだろう。

ブログなんて、言ってしまえば文字の羅列。ただの作文だ。


けれどそこからわたしの伝えたい熱を
読み取ってくれる人がいる。

だから発信はやめられない。


「嬉しい」は循環する

むかし、

「カワイイ」は、作れる。

というキャッチコピーの化粧品があって
よくぞやる気の出るキャッチコピーを作ってくれたなと感心したことがあるが、


今日の私にキャッチコピーをつけるなら

「嬉しい」は、循環する。

である。


どこかの新興宗教みたいなヤバいことを言っているような気もするが、やはり「嬉しい」が循環するのは真実だと思っている。

単純な文字の羅列から、知らない誰かに目に見えない熱が伝わる。
それを受け取った人が、「何か」をもらう。

「美味しい」が身体のエネルギー源なら
「嬉しい」は、心のエネルギー源だ。

嬉しいことがあると、心が元気になって、もっと頑張るぞとなぜか元気になってしまう。そしてその幸せな気分で誰かに接すると、相手もなんだか元気になってしまう作用がある気がする。

もちろん、他人の幸せなんて喜べない、という人もいるし
そこはその人の状態にもよると思うが、

誰でもだいたい褒められたら悪い気がしないし、
嬉しいと思っていることを「ありがとう」と返すと、相手も悪い気がしないものだ。

嬉しい!と子どものように喜んでいる人を見ると
なんかおめでたいなぁと思いながらも、こちらまで嬉しくなってしまう。

そんな世の中まっすぐじゃないよ、とヒネていた時期もあったが、
わたしはもう人生の中盤を折り返しているのだ。
ヒネたことをいって人生を浪費している場合ではない。

悲しいことは頼まなくてもやってくる。
ならばできるだけ喜べることを喜んで、
嬉しい気持ちで人生の時間を満たしたい。

自分だけでしまいこむのではなく、
「嬉しい」を発信して、循環したら、
もっと大きな「嬉しい」がやってくる。

ブログでは、好きなことはもちろん、
嫌なことや疑問に感じたことなど、
心が動いたことを発信するが

それに「いいね」をもらえたり、
共感のコメントをもらえると嬉しいし、

コメントのやりとりや、
フォローしたり、されたりで生まれるコミュニケーションも
「嬉しいの循環」だな、と思う。

「嬉しい」は循環するな、と思い始めてからは

リアルな日常生活でも、
なるべく分かりやすく喜ぶようになったし、

「ありがとう」という回数が激増している。

誰かの良いと思った部分は恥ずかしがらずに褒める。
照れる人もいるし、半分お世辞だと思う人もいるが、
悪い気はしないだろう。

嘘はつかない。
思ってもいないことは言わないし、
良くないものを「いいですね」とは言わない。

「嬉しい」や「幸せ」は指をくわえていてはやってこない。
その辺に転がっている幸せを探すのは、自分の仕事だし、
それを発信するかどうかも自分次第だ。

「嬉しい」が世界を平和にする

一歩間違えたら、どこかの新興宗教のキャッチフレーズになりかねないが、「嬉しい」を循環させていけば、世界は平和になっちゃうんじゃないかとこっそり思っている。

もちろん、逆もしかり。
恐れも不安も伝染するし、増幅するし、循環する。
いまのウィルス騒ぎは、どちらかというとこちら寄りにある気がする。

憎しみや妬みや負の感情はもちろんあるし、
それはそれで必要だと思っているけれど

負の感情を吹っ飛ばすほどの威力が
「嬉しい」にはあるのではないかと思っている。

「嬉しい」が世界平和をもたらすよう、地球の片隅から「好き」を発信する毎日だ。

なんだか今日は、アホみたいな記事になったけど、アホみたいに喜ぶのって大事だと思うので書きました。

今日もお読みくださりありがとうございました!

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