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花と言葉と土地


『花と言葉』が1000冊完売を迎えて(いまは1100冊となりました、ありがとうございます)、あらためてできることがないかを考えています。

『花と言葉』はわたしのオンラインショップや個展でも販売しているのですが、全国各地にある書店や雑貨店でもお取り扱いいただいていて(海外でもお取り扱いいただけたらなあと考え中)、そこで本に出会ってくださる方がとても多いのです。

お取り扱いいただいているのは北は長野県、南は石垣島とかなり広範囲にわたっていて、そのなかにはわたしも訪れたことのない場所もたくさんあります。

そこで暮らす方々がお気に入りのお店へ行き、そこでわたしの本を手に取ってくださるということはわたしにとってほんとうに大きな希望で、そういったひとの手からひとの手へと手渡されていく広がりや営みについて、想いを馳せずにはいられません。

お店から再入荷のご依頼をいただくなかで、さまざまなお話も聞かせていただいています。なぜその土地にお店を作ることにしたのか、お店に来られるお客さまとのやりとり、本を読んだお客さまがまたお店に来て語られた言葉、そのひとつひとつは血の通った物語だなあとそのたびに思います。

店を整え、卸すものを選び、仕入れて、売る、その繰り返しのなかでおおやけには語られていないさまざまな感情について、わたしはとても興味があります。そういうひそやかなお話を聞いているうちに、わたしは偶然、自分で本やものを作っていることで、聞くことができる・見ることができるものがあるのだ、と思うようになりました。

わたしは自分が作ったものを携えて、さまざまな場所で展示をし、土地を見、そこで暮らすひとたちと話すことが多いです。こんなに旅をするようになるとは、イラストレーターとして活動を始めたときには想像のつかなかったことです。旅芸人みたいになりたいなー!とは冗談めかして言っていましたが、ほんとうに旅芸人になる日が来るとは。

そうやって旅をし、語り合うなかで、自分がやっているのはもしかすると絵と言葉を用いた文化人類学的な活動なのでは、と気がつきました。土地に赴き、土地の話を聞き、そこから新しく何かを作る、そういう活動のなかで、土地の魅力をわたしなりの形で広やかなものへと接続する、そういうことができるのではないか、そう思いいたったとき、目の前が明るくひらけたように思いました。

わたしには子どもはいません。子どもが好きで保育士として働きながらも自分の子を迎える日はついに来ず、そのことを何か欠落していることのように思っていた時期が長くありました。あたりまえのように思っていたことがあたりまえに訪れなかったことについて、いまもまだ傷ついてしまうことがあります。イラストを描く時間を持てていいなあ!と言われて、わたしにも選べなかったことがあるんだよと、帰り道で思ったこともありました。

けれど、前述の「土地にかかわる」ことに思いいたったとき、自分のできることを用いて別の形で次の世代へとバトンを渡すようなことができるのではないか、そうか、わたしはわたしでよいのだ、と思いました。
わたしはわたしのやり方で、背負っている人生で世界を耕し、つないでいくことについて考えていきたい、いまはそうつよく思います。

すこしずつですが、『花と言葉』という本をひとつのきっかけとして、その土地に根ざすお店のお話をお聞きするようなイベントなどもできたらと考えています。

ここを見てくださるみなさんといつかどこかでお会いできる日を夢見て。いつも支えてくださって、ほんとうにありがとうございます。感謝をこめて。


いつもお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、これからの作品作りに使いたいと思います。