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わたしを取り囲む、ある一枚の壁

シチュエーションは異なっていても、その壁をじっと見つめてみると同じ問題であることがある。

何度も同じ壁にぶつかっていると、だんだんぶつかる前からどんな壁があらわれるかがわかるようになるのに、根本的な改善はむずかしく、あ〜!と思いながらハンドルを握りしめ、そのまま壁にぶつかってしまう。衝撃を受けた心も体も怪我を負い、しばらくひどいものである。

わたしは進むべく方向へまっすぐ進路をとっているつもりで、アクセルに置いたままの足をどこかひとごとのように見ている。進んでしまう、慣性の法則で。それは暴言を言うとか、そういう衝動とは多少ちがっている。自分の思考の走るルートで、ときどき誰かとぶつかってしまう。そういう現象のことだ。

そういう事故を繰り返しているうちに、ぶつかる予感そのものがおそろしくなってくる。本当は壁にぶつからずに進みたいだけのはずなのに、恐怖で前が見えなくなることで問題そのものが実際より大きく感じられてしまう。この道の先では突然動物が横切るかもしれない、空き缶が落ちているかもしれない、そうやって想像は無限にたくましく広がり、頭も体も混乱する、そんなふうに。

これはある意味で夢のような暗喩ともいえる。けれど実際の人間たるわたしは、夢の示すサインに「気づく」ことはできないのだからときどき悲しくなる。そこらじゅうに点灯している事故注意の看板は、アクセルを踏み込むわたしの目には入らない。そうやってループ映像のように繰り返される衝突。それはとても疲れる。

じっさい、夢のなかでも何度も同じ場所へ行くし、同じシチュエーションを体験する。それが指し示しているのは本当はなんなのだろう、とどこにもない攻略本をめくりたくなる。

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