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詩集「夜も川は流れている」のこと

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個展「夜も川は流れている」にあわせて14行の詩を書きました。

個展の作品は、それぞれのひとが持つまなざしと、そこに映し出される世界の風景のあり方、そのふくよかさについて想いをはせながら絵を描き、作っていったのですが、そのはじまりになったのはちいさな詩でした。

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夜も川は流れている 
わたしたちは 眠り、わすれ 
黒鍵のない ミとファのあいだのように 
白い雪の上を 歩くのです

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個展をおこなうときに、まず最初に言葉があり、そこからすこしずつ絵のイメージが固まってくるのですが、今回は言葉から始まり、絵を描いて、最後にまた言葉に戻ってくる、という試みをしてみました。絵と言葉とそれぞれが重なりあい、補い合いながらひとまとまりの音となって聞こえてくるような、そんなふうに多層的な響きのあるものが作れたらいいなあと思っています。

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詩は四連からなる14行になっていて、それを連ごとに4枚のカードにしています。ソネットの形式から14行のところを借りてきて、言葉を解体することができないかと考えながら作っていったのですが、ソネットについて調べているうちに自分の考えていることは福永武彦たちによるマチネ・ポエティカの活動とうっすらと連なっていることを発見し、福永武彦にもう一度出会ってしまった……と感激したのはまた長くなるので割愛するのですが、「運命」って「思い込み」だな、と思いました。とても清々しく、前向きな意味で。

すこしだけ、詩集の体裁についてもお話しさせてください。

詩集というと、基本的には平面のものに印刷することが多いと思います。2020年に作った『花と言葉』も、紙に印刷し、無線綴じで本の形にしています。本は形そのものがとても魅力的で、持ち歩きや流通、保存にも適しているものです。『花と言葉』もまた、その"本"という形に支えられて、たくさんの本屋さんでお取り扱いいただくことになりました。

その一方で、本の形にすることでこぼれ落ちてしまうものもあります。何かを選ぶことで何かがこぼれ落ちてしまう、これはどうしようもないことなのですが、本という形を選ばないことで選び取られる何かに焦点をあわせたものも作ってみたいと思いました。「選ぶこと」、そして「選ばれないこと」にわたしはちょっと敏感で、臆病です。「自分の意思によって大事なものをなくしてしまった」気がして、また、「価値がないと思われてしまった」気がして、ときどき不安になってしまいます。その多くは勘違いであることもまた事実なのですが、心がとらわれてしまうのです。

わたしの個人的な感傷に近い想いは置いておくとしても、本という形を選ばないことで、「客観的なまなざしや常識や先入観はいったん脇に置いておいて、ある光景を見つめるひとりの人間の世界の見え方に焦点をあわせる」という個展のテーマともゆるやかに響きあうように思いました。

今回は透明なフィルムに印刷しています。
文字ははっきりと、絵は光に透かすとうっすら、白い紙の上に置くと色が見え、近くてもよく見えない、遠くてもよく見える、というふうにそのときどきでさまざまな見え方があります。リーダビリティ、ホスピタリティ、そういう親切さからはすこし遠ざかるかわりに、太陽の光や、空の色、目の前にある壁など、手元にとどめておけないものを目のなかにとどめておく。そんなことができたら、と想像してしまいます。

カードはすべて重ねて一枚のものとして楽しむこともできます。1枚、2枚、言葉だけ、絵だけ、など、好きな組み合わせで楽しむこともできます。読みものとしてだけでなく、体験するものとして楽しんでいただければとてもうれしいです。

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