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コロナにて

二度目のコロナだ。
一日中横になって夢と現実のあいだを行き来しながら過ごしている。

体調がわるいといつもと行動が変わるから、自然と思い出すことが変わる。昨日の夜からは自分の来し方についてひとつひとつ思い出していた。

自分の思考、嗜好はその多くが大学生のときに形作られていて、その多くが文章によるものだったように思う。具体的には図書館とmixi、あと歌の歌詞。
夜中に目が覚めてふといままでやりとりした人たちのことを思い出し、ひさしぶりにmixiにログインしようと思った。けれどログインに使っていたであろうメールアドレスのいくつかはもう使えないものだし、いくつかパスワードを入れてみたけどログインできる様子もなくて、鍵のかかった宝箱を力まかせにぶんぶん振り回している気分になった。宝が入ってるかはわからないけど。

大学生のころ、あこがれるものがたくさんあった。大人びた言葉のやりとり、本を通じて知る作家の人生、知的なもの全般はわたしにとって新鮮で、刺激的で、それまでの人生で出会わなかったものばかりだった。小さいころから絵やマンガや音楽を作っていたけれど、それは主にピュアな作りたいという気持ちから思春期の懊悩を吐露したものへとつらなるものだったから、それを超えたところにある大人っぽい洗練された雰囲気のものにつよくあこがれた。大人びた、洗練されたひとたちはみな何かを作っていて、自分もそういうひとに、そういうものを作るひとになれたらいいなあと思った。

あこがれるものの気配を感じたら片っ端からがぶがぶ飲み干してきて、それがいまの自分の思考を支えている。いまとは違う渇望感があった。なにかに立ち止まって悩みを紐解くたびに大学生のころの自分に立ち返っていくことに気がつく。

保育士、会社員を経てフリーランスになって6年目。勤めていたときには語る必要のなかった自分の好きなもの、ルーツについて考える機会が多くなった。それは個展での制作において必要だと感じているからだし、「自分らしいもの」を求められ、それにこたえるためでもあるけれど、結局のところ自分の輪郭はどこまでいってもおぼろげで、よくわからない。好きなものやルーツも、ましてや自分自身のこだわりみたいなものもそれがいったいなんなのかつきつめて考えるとよくわからないから、ときどきいまみたいに記憶をたぐりよせてみるのもいいのかもしれない。体調不良の効能、なのかな。

いつもお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、これからの作品作りに使いたいと思います。