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夢で「いま」を知る

ときどき夢を見る。
その内容は本当にさまざまだが、ときどきはっとするような夢がある。夢の中の感覚が目が覚めたあとも色あせずはっきりと色をとどめていて、あとからそのできごとをなぞることができる。

前にnoteに夢の話について書いたときも同じようなことを前置きとして書いていたような気がするので多少気がひけるが、夢は自分にとって大切な意味を持つことがある。自分の「今」を自分ではない誰かからの視点で別の物語として受け止め、編んだような夢は、自分の理性では到底知りえないなにかを暗示的に伝えている。

(とまあつまり、「夢の話はつまらん」と言われても、自分にとって意味のある夢についてわたしは書きます、という前置きなのです。大切な夢は心にとどめておきたいのです)

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とつぜんの爆発音で平和な日常が終わり、わたしたちは仲間とともに先生に導かれ戦地へといく準備をする。2人1組で自分の右手と相手の左手を荒縄で縛られ、集められた生徒たちは、ピロティで先生から激を飛ばされる。先生はその声色から鬼の形相であるのがわかりおそろしく、前を向いて顔を直視できない。

それからわたしと友達はともに歩いている。どこかへ向かっている。ある瞬間、友達は黒い表紙で金色の鍵のついた手帳をわたしに手渡してきたので、わたしは手に取り鍵を開けてパラパラとめくると、その手帳の持ち主にとって大切なひとたちへ向けたメッセージがうつくしい文字でつづられているのが見えた。ひとり1ページずつ割り当てられているらしい。

わたしは思わず「これ…」と言うと、彼女はつよくうなずいた。持ち主に返そう、いや、持ち主に渡してほしいという彼女のつよい意志を感じてわたしは急に不安になった。これからの自分の未来すら予想もつかないのに、この手帳を落とし主に返せるのか、自信はない(現実のわたしが悩みの沼に入っていくときと同じ逡巡が始まりそうだった)。けれどそこでわきあがってくるものがあった。わたしは「渡そう」と決めた。

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目が覚めたあと、夢で体験した「わきあがってくる感覚」を思い出すことができた。夢のなかの自分の決断が勇気となって、現実のわたしに作用しているのを感じる。

たしかにわたしはすこし疲れていた。おもいがけず重なった「やるべきこと」を目の当たりにして、押し寄せてくる喜び(3割)と不安(7割)を感じながら目をつむりぼんやりしていたところだったから。たくさんの「やるべきこと」が「やりたいこと」の上に雲のように重なって、だんだん「やるべきこと」しか見えなくなっていくこの感じはひどく消耗する。

忙しいときはとくに、「熱狂」から離れて「素面」でいる時間を確保するのはむずかしい。処理できるタスクや感情の量をいったん超えてしまうと、自分自身もたちまち「熱狂」の渦に飲み込まれてしまう。その分物事は早く進むが、その傍らで大切なことが網の目から抜け落ちていく。

網の目から抜け落ちていくようなことにこそ、わたしたちの心は宿っている。それを思い出しながら一日を過ごした。ときどきこうして「素面」に戻ってくるとき、自分が生きている感じがする。

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