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食べる負荷

毎日の食事が苦痛である。正確に言えば、食事のメニューについて考え、買い出しに行き、調理をし、食べ、片付ける、という一連の行為が心底面倒だ。面倒さがきわまって食べる意欲までも失いそうになる。なにしろ一日三度もごはんを食べるのだ、どんなに食べることが必要で、ときには他に代え難く喜びをともなうものであっても、一人で食べるときなど、面倒だと思う瞬間がわたしの生活のなかではままある。日々、「生きる」ことに迫られている感じがしてつかれる。つねに赤子を体の内部に抱えているような感覚だ。

だがしかし耐えがたい空腹にさいなまれ、適当なものを食べ続けているとどこか満たされない感じもするのだから、それなりのものを作って食べるほか仕方ない。食べることにともなう面倒さと空腹の解消と、大きな二つの課題についてどうしたものかを考えたすえに、朝と昼は基本のメニューを決めて運用することにした。

毎週、ごはんを炊いたのをいくつかに分けて冷凍したもの、食パンをストックしておく。朝はごはんにかんたんな味噌汁、昼は食パンとかんたんなスープとゆでたまご、それをベースにして他に食べたいものがあれば足していく。そんな感じでわたしの空腹はだいたい満たされている。

でも、飽きる。そんなときは外に食べに行く。今日は寿司。一人でカウンターに座って鯛の炙ったのとか、えんがわとか、納豆巻なんかを頼み、ぱっと食べてすぐ帰る。昔は一人で回転寿司は行きづらいなあと思っていたが、一人でいる時間が多いのと、遠征先では外食することが多いのとで、いまとなっては居酒屋以外はだいたい一人で入ってしまう。蕎麦も、牛丼も、もちろん回転寿司も。

寿司が流れてくるのを待ちながら、もっと歳をとった自分がカウンターで寿司を食べている姿を想像する。それは孤独に見えるだろうか。それでも寿司は食べたい。

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