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誰のためのサッカー?
誰のためにサッカーやってますか?
自分のため?誰かのため?地域のため?
なんとなく?
誰のためでも、なんとなくでも、ま、極論なんでもいいんだけど、
そこが自分の本当の思いと、認識しているものとが違う人が多いように感じる。
私もサッカー選手時代の頃は「誰かのために」そう思ってサッカーしていると思っていた。
ファン、サポーターのために、今まで支えてくれてた家族のために、仲間のために、、、。自分ではない誰かのためにプレーをしようと思っていた。
だけど、サッカーから離れて、その、他人への感情って、一体なんだったんだろう?と考えた。
私の辿り着いたところは、「結果的に、全て自分のため」だというところだった。
どういうことかというと、ファン、サポーターのためにプレーしていると表面上は思っていても、根本は自分を評価して欲しいからである。
ファンを喜ばせている”自分”という存在が、心地いいのだ。
これに気付いてから、他人のために何かをすることは、全て根本は自分のためだ。そんなことを思うようになった。
全てがそうではないけれど、大体のことはだいたい自分という主語が根本にいる。
人の思考に限界はない。
自分はそうだと確信していても、それはまだ浅いところで止まっているかもしれない。
昔を思うと恥ずかしくなる。
だって、他人のために頑張ってますっていうと、たいていの人は褒めてくれるから、その言葉をチョイスしているって心のどこかではわかっていたもん。笑
それでも、それをわかっていたけど、見ないようにしてたのは、私はきっと誰かの評価を求め続けていたんだと思う。
図々しい女。笑
今、日本の女子サッカー界のために。とよく言っているやつはどうなの?と思ってくれた人もいると思う。
これはね、上に書いてあるようなことを理解し、自分と向き合った時に、裏の感情なく、本当にそう思ったんだよね。
むしろ、これは私という人間に生まれてきたことの役割で、きっと今の段階での最重要事項。笑
本気でそう思っているよ。
だから、この言葉を発したことに対して、何も評価は求めてない。
だって本当にやりたいことだから、誰に評価されなくても、すごいねって言われなくてもやるもん。シンプル。
結局、サッカーをやっているという事実も、誰かの評価が欲しくてやっているなら”違う”ってことなんだと思う。
私は誰かに評価して欲しかったタイプだから、プレイヤーとしては結局はやめに引退して良かったと思ってる。
他人に評価を求め続ける限り、苦しさは続き、自分らしさは失われていく。
何事も、「誰のため?」その質問を自分に問いかけてみてほしい。
シンプルだけど、深く自分のことを知るきっかけになったり、新たな自分に出会える問いだと思うから。
ゆかさる
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