パラスポーツで起こしたかった「革命」(13/100)
こんにちは、まえゆかです。
明日は、地域の子どもたち向けにやっているこども哲学教室です。
2か月に1回の開催で、いつの間にか1年が経ちました。
始めはみているだけだった保護者の方々も、「私たちもやりたい」となって、今では別日におとな哲学教室も開催。
最近はこうした機会をいただくことが増えてきたので、改めて本などで勉強中です。
哲学対話の実践も、私にとっては大事な柱の一つ。
根幹はパラスポーツに取り組む想いと繋がっている部分もあるので、100本のどこかでお話しできたらなと思っています^^
さて、前回は恩師との出会いについて書きました。
私が哲学対話に出会ったのも、この恩師がきっかけでした。
でも、その話はまた今度。
今回は、「革命家になれ」といった恩師の言葉を胸に、パラスポーツをフルタイムの仕事として歩み出した私が、どんな「革命」を起こしたいと考えていたのかということをお話していきます。
パラスポーツを選んだのはなぜか?
そもそも私が大学院に進学したのは、特別支援学校で出会った子どもたちがきっかけでした。
彼らの生きやすい社会を作らねば。
どうやったらその社会を実現できるのだろう。
理想の形も思い浮かんでいなかったけれど、とにかく彼らやその家族が生きやすくなる社会を目指して大学院に飛び込みました。
こどもの将来を不安に思って、ひよっこの23歳新米教師の前で泣くママたちの姿を何度も観てきたからこそ、この涙をなくしたいと考えていました。
正義感の塊で頭でっかちだったころの私は、この記事で書いてますので気になった方はご覧ください。
その私が、ボランティアをきっかけに出会ったのがパラスポーツでした。
「障害者を守らねば」
と、鼻息荒く生きていた自分を恥ずかしく思い、反省をし、でも自然とパラアスリートや、パラスポーツという競技そのものの魅力に憑りつかれていきました。
「カッコいい」という理由で追っかけブログをしていましたが、「カッコいい」というだけで仕事にしようと思ったわけではありません。
私の中で、これは「革命だ」と思う気づきがパラスポーツにはあったのです。
前提を変えるという新発見
何よりも一番大きな衝撃だったのは、パラスポーツの仕組みです。
パラスポーツの多くは、ベースに一般的なスポーツのルールがあります。(もちろん、パラスポーツ独自に生まれたものもあります。車いすラグビーもそうですが一旦ここでは置いといて)
そこに障害がどの程度影響するのかを考慮しながら、”公平”になるようにルールや用具が工夫されて作られています。
車いすバスケなら、専用の車いすに乗って、ダブルドリブルはなし、車いすを2プッシュしたらトラベリング。
車いすテニスは2バウンド目での返球がOK、といったように、それぞれの競技の特性は残したまま、障害に適応するルールが作られています。
それぞれの競技の中でパフォーマンスが最大限発揮されるように、競技用の車いすも年々改良されています。
車いすや義足・義手などの用具の進化は凄まじく、用具の進化とアスリートのパフォーマンスの進化が連鎖反応を起こし、10年前の映像と今を見比べると全然違う競技のように見えてしまうほどに発展しています。
10年後にはきっと今では想像もしていなかったパフォーマンスを引き出しているのではないでしょうか。
それくらい、彼らの可能性を引き出し続けているのがパラスポーツです。
私たちは幼いころから、「ルールを守れ」と教え込まれています。
ルールがなぜあるのかを考えることよりも、逸脱しないように指導されてきました。
でも、そこで思考停止していた部分が大いにあると思うんです。
ルールそのものを変えたらより素晴らしいものが生まれるなんて、想像もしていなかったと思うんです。
ルールから反れたら異端である、または劣っているというような扱いをしてきたけれど、その前提から疑っていいんだということを気づかせてくれたのがパラスポーツでした。
~~できない人が○○できる人になる
一般的なスポーツのルールのままだったら、パラアスリートの多くは「スポーツができない人」になっていたことでしょう。
でも、ルールと用具を工夫したパラスポーツがあることで、彼らは「スポーツができる人」になり、さらには、既定のルールのままでは存在しえなかった、ものすごいパフォーマンスを生み出している。
これは・・・すごい。
私の中で大きな大きなブレイクスルーが起きました。
もはや「革命」です。
これは、きっと、私以外の人にとっても大きなブレイクスルーになるに違いない。
そう確信したのです。
だからこそ、私はパラスポーツの世界に飛び込みました。
ここに無限の可能性を感じたから。
研究でやりたかったこととのつながりを発見
前回の記事でも書きましたが、私は大学院という研究の世界で、「障害者」という言葉のネガティブな印象を変えたいと考えていました。
「~~できない人」という形での表現になってしまう「障害者」という単語を、どのように変えたら、当事者が適切な支援を受けつつも、差別を受けない社会になるのか。
答えを探している時に出会ったパラスポーツは、私にとって、答えの一つだったかもしれません。
だって、パラアスリートを観ていると「足が動かない人」という表現なんかよりも「車いすテニスがめちゃうまい人」って言いたくなるんですもん!!
「どこに飛んだボールでも打ち返す人」でもいいかもしれない。
表現なんてなんでもよいのですが、とにかく彼らの「できないこと」よりも「できること」に目を向けられるパラスポーツが広がれば、障害者に対する世の中の目線は大きく変わるんじゃないか。
研究でやろうとしていたことを事業として行えるならば、より早く現実に革命を起こせるかもしれない。
より手ごたえのある取り組みができるかもしれない。
そんな期待に胸が膨らみ、フルタイムで仕事をしてみたいという気持ちになったのです。
狙いはもう一つ
とはいえ、私が携わるのは「東京パラリンピック」の普及啓発事業。
トップレベルでアスリートを生業にするような方々を対象にした事業です。
パラリンピックで活躍している方の多くは、知的障害の伴わない身体障害者。
近年は、知的障害者競技もパラリンピックに含まれていますが、私が特別支援学校の教員をしていた時に出会った子どもたちよりも、比較的軽度の障害である方々がほとんどです。
パラリンピックを推進して、「障害者がすごい」となったとしても、伝え方を間違えると、「スポーツをしない障害者はすごくない」といったように、重度障害者にとっては反動のような逆差別を生み出してしまう可能性もあります。
私のやりたかった、子どもたちの生きやすい社会の実現に、直接的には寄与しない可能性が大いにあります。
でも、私には別の狙いがあったのです。
・・・
と、ここから先も書いたのですが、めちゃくちゃ長くなってしまいました…💦
かつ堅い内容になってしまいまして。。。
ここからさらに数千字もあると、誰も読まないだろうなと思ったので今日はここでストップします。笑
ライトに読んでもらいたいのに、根が真面目なので(自分でいうタイプ)どうしても堅くなってしまうのが悩みどころw
とりあえず物理的な分量を減らして続きはまた次回。
それでも今日も3,000字以上ありますね。汗
もうちょっと短く読みやすくできるように精進します!
今回もここまでお付き合いいただきありがとうございました!!
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