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私は【わたし】を表現することが苦手だった #コルクラボ合宿

3月16日、17日の一泊二日でコルクラボの合宿に行ってきた。
すぐに振り返りをしたかったけど、繁忙期で今日までじっくり時間が取れなかった。

でも、時間を置いたことでいい意味で熟成できた気もする。

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合宿のメインプログラムは、山田ズーニーさんのワークショップ。

2日間を終えた直後は、「とにかく疲れた。」というのが感想だった。

4日経って自分の中にすごく残っているのがこの2つ。

①1つの成功体験
②目線の共有という新しい気づき

とにかく、2日間を終えた時に一番感じたのが、出し切ったという感情。

正直なことを言うと、合宿に参加するまであんまり山田ズーニーさんのことを知らなかった。

なんとなく【自分を表現する】というキーワードに惹かれて参加したのだけれど、その時の直感を大事にした過去の私に感謝したい。


というのも、いつからかはわからないけれど
私は【わたし】を表現することが苦手だった。

今年はいろいろ自分改革をしている年でもあるので、チャレンジするつもりで参加したワークショップ。

1日目も2日目も、ワークは私にとって恐怖の時間だった。

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私は、大きく感情を揺さぶられること、自分の本音の感情を表に出すことが嫌いだったし、苦手だった。

できることなら毎日笑って過ごしたい。

でも、反動で大きな落胆があるのなら、大笑いはいらない。
毎日クスッと笑える程度でいい。

大きな落胆を恐れて、手に入るかもしれない大きな幸せを手放すことは厭わない。

大きな落胆も大泣きもびっくりすることも。

とにかく感情が揺さぶられることが苦手だった。

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文章を書くことは苦にならない。
むしろすごく好きだった。

文章も読むことも大好きだった。
不思議だけれど、登場人物に感情移入して涙を流すことは大丈夫だった。
むしろすごくスッキリする。

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1日目のワーク。


インタビューで少し声が上ずる。
やっぱり自分のこととなると話そうとすると声が震える。
みんなの前で、自分の声で、読み上げる。

逃げ出したかった。

でも、逃げられなかった。

結果的に、逃げなくても大丈夫だった。

それが、1日目の1つの成功体験だった。

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ワークショップを振り返る前に、ちょっと長くなるけれど【わたし】について書いてみたい。

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中学生の頃。

優等生であること

それが私のすべてだった。

それが"正解"だと周りの大人が言うから、
スカートは膝丈だったし、眉毛もいじらなかった。
真面目に部活にも参加した。
勉強もしっかりやって、学年2位までなった。

それなのに。

優等生でムカつく


と言って同級生に嫌われた。

なんでこうしろって言われたことをしただけなのに、私は嫌われたのだろう。

ちょっとやんちゃな子の真似をしてみたら、
「ゆかちゃんにいじめられた」
といじめる気持ちなんてサラサラなかった友達に言われた。

当時は答えがわからなくって、とにかく自分がどう振る舞ったらいいのか、わからなかった。
当時は、いわゆる KY だったんだと思う。


高校時代もそれなりに苦しみつつも、3年間クラス替えがなかったこと、私が心から信頼できる親友に出会えたこともあり、深く狭い付き合いが私を守ってくれていた。

世間一般的にはまだまだ KY だったでしょう。

でも、狭い世界の中で私は大きくは困らなかった。

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大学生になった。

世界が広がった。
浅く広い世界が私の周囲に渦巻いた。

興味本意でオペレッタというものをやるサークルに所属した。
演技の上で、役柄の感情を表現することはとても気軽だった。
わたしでありながら、わたしではない感情を表現することができる演技というものは、すごく私の心を軽くしてくれた。

決して演技がうまかった訳ではない。
むしろ下手な方だった。

それでも、私はその空間が好きだった。


唯一、年に2回ある合宿だけは、大嫌いだった。


それには必ず、感情を表現するワークがあるから。

私の考えていること、感じていることを体や表情で表現するワーク。

そんなものは、やりたくない。

私は誰かの感情を表現したいだけであり、わたしの感情を外に出すことは一切求めていなかった。

何よりもその活動が、怖かった。


大学4年生の冬、発表会の2週間前に行われた合宿初日から私は逃げ出した。

逃げ出した私をメンバーは許さなかった。
口も聞いてくれなくなった。
謝る余地すら与えてくれなかった。

当時の私が心の病で心療内科に通っていた。
その自分を受け止められなくて、どうしても友達に言えなかった自分の病。

自分の感情を表現するには、ここと向き合うことが避けられず、とはいえ、合宿のワークの中で自分のすべてを受け止めることはできなかった。

メンバーのことが大好きだったからこそ、許してもらうためにも、そのことを言うしかないと思って長文のメールを送った。

サークルが、みんなが、嫌いなんじゃない。
ただ、その場に居られなかっただけなんだ。

その他に、何を書いたのだろう。

全く覚えてないけれど、
勇気を出して書いたメールには何日待っても誰からも返事がなかった。

怒りすらもぶつけられず、ただ なかった存在 にされたこと。


一番わかってほしいと思っていた人たちにわかってもらえなかった大きな落胆。


もう二度と、わかってもらおうと思わない。
もう二度と、人に自分の弱みを見せない。
もう二度と、人に許してもらおうとは思わない。

分かち合える喜びを得られなくても、もうこんな落胆は味わいたくない。

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そのまま大人になった私。

仕事の仮面を被った私は、
【口から先に生まれてきた】と言われるくらいペラペラしゃべる。

イベント登壇もラジオの生放送も緊張しない。

言葉に詰まることなんかもない。


でも、友達のホームパーティーやコルクラボの定例会の懇親会では、自分から声をかけられない。


【わたし】の何を話したらいいんだろうか…

頭は考えるほどに真っ白になる。


それなのに、1日目のワークでは自分のことを話さなくてはいけなくなった。


焦る私。
手に握る汗。
しゃべる前から喉は詰まり、もう涙が出る準備をしている。


自分の根本思想は、

わかってほしい
わかちあいたい


その気持ちだとわかっているからこそ、受け止められなかった時の落胆が怖い。

当時を思い出し、口に出す言葉に、案の定、声は震え、涙が止まらなくなった。

打ち明ける度に感じた孤独感を、54人を前にして感じるのは辛かった。

思い切って勇気を出した発表が終わっても、時々目から勝手に溢れる涙は、揺さぶりの収まらない感情と一方的に感じた孤独感によるものだった。


誰にも触れられたくない

という感情と

誰かには受け止めてもらいたい

という感情と。


本音では、わかってほしいと強く思っていたことを、溢れでる涙を拭いながら感じていた。

同時に、わかってほしいと思った相手に受け止められなかった現実に向き合うくらいなら、誰にもわかってもらえないままでいい、という逃げの気持ちも抱いていた。


逃げられない場で、さらけだした自分の感情に、いたたまれない気持ちになり

私はまた、KY なんじゃないか

と不安を強く感じた。

私以外の53人は全員、文章を書き終えていた。
未完成だったのは私だけ。
わかってほしかったのに、書ききれなかったことの後悔も相まって、ワークショップが終わった時、私の不安は絶頂だった。


部屋から逃げ出したい。
むしろここから今すぐ帰りたい。

そう思った矢先に、声をかけられた。

「疲れたでしょ?」

目の前には、想いを受け止めてくれた仲間がいた。

久しぶりに感じた大きな幸せだった。
私は大きな幸せを実感するという成功体験をこの1日目に手に入れることができた。

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2日目のワークは相手に伝えることを前提としたワーク。

ここのインタビューでも声が上ずる。

今回は泣かない内容にしようと思ったけれど、やっぱり発表では声が上ずった。
泣かなかったけれど、ものすごく声が震えていた。


2日目のワークで気づいたこと。

それが他者と目線を共有すること


意外と難しかったこのワーク。

自分の本音は…、相手になって考えてみたら…、

ワークを通してハッとした。


私の心に巣くってなかなか離れなかった大きな落胆。


あの時の私の長文メールは、他者と目線を共有していたのだろうか?


独りよがりだったかもしれない。
みんなにとってみたら、大切な講演の前にメンバーが一人欠け、そんなこと知ったこっちゃない、と思っていたかもしれない。


ずっと、私が人を怖がる原因にしていた過去の出来事を、とらえなおす機会をもらった。

ずっと、みんなのせいだ、って思って抜け出せなかった感情が、
自分に原因があったかもしれないと思えた瞬間、
今度からは大丈夫かもしれない、と思えるようになった。


急に人見知りは治らない。

だけど、ちょっと【わたし】を表現することが怖くなくなった。

それが大きな収穫だった。


このメンバーで、この時で、この場所で、自分に向き合うことを選んだ自分をちょっと好きになった。

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