祈りとは、愛を意図すること✨

愛を意図する。


祈りとはなんだろう?


ふと、そんなことが頭に浮かんだ。



なんて抽象的な言葉だろうと思ったのだけれど、どうにも気になって祈りについて調べてみた。


神に祈る、無事を祈る、成功を祈る。

自分のために祈る、大切な人に祈りを捧げる。


例えばスポーツ観戦をしながら応援しているチームが勝つことを祈る。



祈りの用途は様々なようだ。



いろんな人がいろんな解釈をし、意味を持たせている。



あれだけ抽象度が高ければさもあろうと思う。



と、いうことは…?



そうだ、祈りとはとても自由なものなのだ。



例えば十字をきるなど宗教的な祈りの様式はあれども、祈りの本質はとても自由なものなのだろうと感じた。




そしてふいに思い浮かんだのは




祈りとは、愛を意図すること




という言葉だった。




愛とは状態のこと。




何かを言われたから、もらったから愛なのではなく、それをきっかけとして、愛の状態に成るのだ。




たぶん相手と、その出来事や場所、あるいは言葉や絵画と自分の何かが共鳴して初めて愛に成るのだと思う。





共鳴するということは、




私も幸せ、あなたも幸せ、まるごと幸せ、ということなのだ。




愛は時にエゴとなり、押しつけとなる。

すると愛は共鳴をしない。

だからすれ違いが起こり不一致が起こる。





さて、ここに祈りを加えてみる。




愛を意図するのだ。





ただの押しつけではないのか?

自分の本音、相手の本音に思いを馳せる。

その言葉、その音楽、その絵画の奥にある思いを感じ取ろうとする。




そして、共鳴するその点を捉える。




愛とは無限であり正解はない。




だからこそ、祈りを通して愛を意図するのだ。




みんなが、まるごと幸せだと感じられる、

共鳴する愛のその点を捉えるために。

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