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家族の歴史と私の行きたいあの場所

コロナで自由に海外に行けないここ最近。私が大学卒業のタイミングで行きたかったけど断念した場所のお話。

私が行きたかった場所は地球の反対側の南半球。目的は、親戚に会いにいくため。私の家族はちょっと不思議で、親戚の半分以上が南米に住んでいます。

なんで南米に!?と思うかもですが、祖父母がパラグアイに移住し、母はパラグアイで生まれ育ちました。仕事の都合で渡航していた父と出会い両親が結婚。そして今、母は私たち家族と一緒に日本で暮らしています。

簡単にパラグアイという国の紹介を!

パラグアイ共和国、通称パラグアイは、南アメリカ中央南部に位置する共和制国家である。東と北東をブラジル、西と北西をボリビア、南と南西をアルゼンチンに囲まれている内陸国である。(Wikipediaより)
パラグアイは農業を基幹産業とし、世界第6位(2016年、USDA)の大豆生産量を誇っています。他方で、経済は農作物の生産状況と国際価格に大きく左右される脆弱性を抱えており、中南米において経済開発が遅れている国の一つです。(JICA HPより)

上記見れば少し分かる通り、日本とは全く異なる環境の中で私の親戚たち(叔父叔母、従兄弟たち)は暮らしているのです。本当に全く違う。私はこの春から就職して会社員になりますが、母の実家では農業をしているし、多くの従兄弟たちも農業をしています。農業って、人間の思う通りにいかない要素も多く、気候の影響も受けまくるし、農業用機械はとても高いので借金をして買うのだとか。

そんな日本と全く異なる場所に飛び込む決断をした私の祖父母を思うと涙が出そうになります。移住した当時、祖父は21歳?祖母はまだ17歳とかだったそうです。今の私よりも若い時なんですよね。そこから、原生林のようだった土地を切り開いて、家を建てて、農業を始めた。祖父はお米を作っていたのですが、そこに辿り着くまでには紆余曲折ありまくったと母から話を聞いたことがあります。養豚してみたり、商店をやってみたり、、でも上手くいかなくてお米でやっと成功したみたいです。とても苦労したのだろうなと想像できます。

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私と妹と大豆畑!大豆もちょこっとやってるみたい。

そして、私の母。父と結婚して、親戚たちと離れて日本で暮らしているのです。私の幼少期、父の仕事で南米に住んでいたので実家とは近かった(近いといっても飛行機に乗って国境超えていましたが)のですが、日本から行こうと思うと1日半〜丸2日かかります。乗り継ぎは絶対2回以上。長いフライも2回😂そしてもちろんお金もかかります。私が小学校入学のタイミングで教育は日本で受けた方が良いと両親が話し合い日本に来たとのこと。誰も知り合いがいない場所で1から生活を始めた母にも尊敬の気持ちでいっぱいです。

だらだら私の思いを書いてしまったのですが、私の行きたい場所はパラグアイのおじいちゃんの家です。

最後に訪れたのは、小学6年生の頃。母と妹と一緒に行きました。中学校に入学して以降は部活も忙しく、受験や学業などで行くタイミングがなく。なので最後に母方の親戚に会ったのはもう10年以上前です。(10年か、、このnoteを書いていて更に寂しくなってしまった笑)視界いっぱいに広がる田んぼ、綺麗な川、そして赤土の道。景色は何となく覚えているような覚えていないような。私の祖父母が頑張って生活を築いた場所、そして母が育った場所の記憶があまりないのがとても悲しいのです。

そして、祖父は高齢になり、歩けなくなり農業を引退したそうです。私の成人式の写真を母が送るとすごく喜んでくれていたというおじいちゃん。会えるうちに会いたい。

祖父の家がある地域はかなり田舎で、コロナの影響で郵便物の受け渡しなどもストップしていて、手紙も送れないそうです。(手紙すら送れないなんて何てことなんだ、、と母もよく言っていましたが笑)

前に書いたように、大学卒業のタイミングで行こうと思っていたのですが、コロナが心配でした。万が一私がコロナを持ち込んでしまったら、、田舎なので私が感染源になったら大迷惑だし、叔母にも辞めた方が良いと言われ断念。

私が訪れたかった、祖父母が頑張って生活を築いた場所、そして母が育った場所を10年振りに見ることは叶いませんでした。

社会人となりなかなか時間を作ることは難しいと思いますが、チャンスはあると信じて!そしてコロナが少しでも早く終息することを願って!

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こちらが田んぼ!
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祖父母と私と妹。涙です。

私の一度は(もう一度)行きたいあの場所はパラグアイです。

#一度は行きたいあの場所


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