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モチベーションは必要?

皆様、こんにちは😊
フルート奏者・作家の向(むこう)由佳でございます。
本日も、私のアカウントをご覧くださり、ありがとうございます。
感謝申し上げます✨

さて。本日は「モチベーションは必要?」というお話をします。

結構、長い間「モチベーションの有無」や「モチベーションのあげ方」などのお話を色々な方がなさっておられますが、はたまた「モチベーション不要論」などもでてきて、「一体、何を信じたらいいの?」という状況になっているのではないかと思います。

私も一時期、モチベーションに「頼っていた」時期があるのですが、今では「モチベーションに頼らない生き方」ができるようになってきたかな?と感じております。

モチベーションとは、言い方を変えると「やる気スイッチ」。自分の「やる気」を原動力にして、物事に取り組むというものですね。

でも、所謂「モチベーションが高まるのを待たないと、やる気が起こらない」となってしまうと、「やる気が起きないときは何もやらない」ということになってしまいます。やる気が出ないから何もやらないでいると、時間がどんどん過ぎていきますから、時間の喪失だけでなく、機会の喪失にも繋がっていきますよね。

ある方が「モチベーションは、『人に認められること』だ」と仰っておられたのですが、私はそのような感覚でモチベーションを高めたことはありません。「人に認められること」を目的にしてしまうと、肝心なことが抜け落ちてしまうからです。

私がかつてモチベーションに頼っていた頃に、何をモチベーションの源泉にしていたかというと「もっと上手くなりたい」「もっと良くなりたい」「もっと幸せになりたい」といった「自分主体の思い」でした。ですので、誰かに認められるですとか、誰かに評価されるということを、あまり考えていなかったんですよね。

今は、モチベーションに頼っていないのですが、それでも「やるべきことをやる」ということはできています。それは何故かというと「習慣化しているからできている」というのもあるのですが、「頭で考えなくてもそれをやらないと気持ち悪い」というような感覚でもあります。で、「それをやっていると楽しい」ということもそうですし、「心地よいからやっている」ということでもあります。

つまり、「やる気スイッチが必要のない状態」を作っているんですよね。誰かに言われたわけでもなく、「自分がやりたいからやる」ということ。誰かに言われたことでも、それをやると決めたのは自分だということを自覚しているので、人のせいにもならないわけです。

また、これは逆説的なのですが、「誰かに認められたい、認められたい」と思っているほど、ちゃんとした方から認めてもらうことはないんですよね。これは有名な話ですが「モテよう、モテようとするほど、モテない」というお話と同義だと思います。人の評価を先に求めていると、逆に認められないんですよね。仮に認められたとしても、どうでもいい人に認められていたりするわけです。

ですので、自分のやるべきことを粛々と、淡々とやる。それに尽きるのではないかと思います。
「好きなことだけをやる」というのもちょっと違っていて、「好きなことをやる上で必要なやるべきことも積極的にやる」ということも、非常に重要なことですね。

少々厳しい話になりますが、俗に言うスピリチュアル系の方は、好きなことをやる上で必要なやるべきこと(それは、ちょっと苦手なことも含まれます)を避けて、好きなことだけをやっていればいいというお話をなさるのですが、それでは願望に手が届かないんですよね。いつまで経っても。

まぁ、この手の話は響く方には響くと思いますが、響かない方には響かないのかなと思っております。
どうしても人から認められたいというエゴが消えない方もいらっしゃるので。そのような方には、私の話は合わないのかなと思っております。

必要な方に届きますように。

※画像は「写真AC」からダウンロードしました

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