私が自分の練習をあまり公にしたくない理由
皆様、こんばんは😊
フルート奏者・作家の向(むこう)由佳でございます。
今日もご覧くださり、ありがとうございます。
感謝申し上げます🩷
お話しの前に、お知らせです。
台風10号が九州に上陸するため、私は家族と共に8月28日〜31日までホテル避難をすることになりました。よって、その期間はインスタやnote等の投稿はお休みしますので、何とぞご了承くださいませ。インスタは余裕があればストーリーを上げるかもしれません。
それでは始めましょうか。
本日は「私が自分の練習をあまり公にしたくない理由」についてお話しします。
近年ではSNSや動画サイトが普及しているので、練習の様子を公開することが常識のようになっているのですが、私は練習を公開することについては少々抵抗があるのですよね。
稀にYouTubeで少しだけ公開していますが、基本的にはあまり掲載したくないのが本音です。
演奏動画を公開するのは良いとおもうのですけれど、練習はどうも広く発信するものではないのではないかと思うのです。
私は、お客様方には完成形をお見せすることが、プロの仕事だと考えております。ですので、練習を公開するというのは、料理の仕込みをお客様に見せているのと同じこと。能の大成者である世阿弥は「珍しきが花」という言葉を残しています。珍しきが花というのは、現代風に言えば「新鮮であるからこそ、人は感動する」ということかと存じます。その「めずらしさ」が、練習の公開によって損なわれてしまうというのを非常に憂慮すべきことではないかと思うわけですね。ですので、自分の演奏でお客様を感動させたいなら、「めずらしさ」「鮮度」を大切にする必要があると私は考えています。
近年「プロセスマーケティング」というものが流行して、SNSマーケティングの手法として脚光を浴びた時期があるのですけれど、これは、物事が成立するまで、または完成するまでの経過を動画で記録して公に公開することで応援してくださる方を増やすというテクニックなのですが、どうも私はこれについて懐疑的な視点で見ています。確かに、この手法で応援する方は増えるでしょう。ただ、完成する頃には、そのモノやコトの鮮度が失われてしまって、最悪の場合飽きられてしまうのですよね。ですので、あまりこの手法を私は採用したいとは思っておりません。
また、練習を公開すると意識が外に向いてしまい、承認欲求が強まってしまうことを懸念しております。楽器の練習とは言えど、練習とは、その専門領域の技術の向上だけでなく、精神を磨く鍛錬の場として私は捉えているので、意識が外に向いてしまうと自分自身の内面を見つめる目が甘くなってしまうんですよね。そして、練習を公開してしまうと「人に見られたい」「人気のある自分に酔う」といった邪念が自分の中に入り込んでしまうので、それを断ち切るために練習を公開したくないのです。
また、外からの視線のない、自分一人の空間の中で黙々と練習をしている方が、私の場合は自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じ取ることができるので、そのような「内面が充実した」練習がしたいのです。
誰にも見られていない、誰かに認められることのない空間で、自分との対話を積み重ねる。これが、私の練習をする上での一番重要なことだと考えています。見られたい、認められたいという気持ちは、私にとっては非常に邪魔なものであり、そのような気持ちが浮上してきた場合は、それを切り捨てることができなければ良い演奏ができない、と私自身に対して思っております。
自分の演奏の質を高めるためにも、私は自分の練習を公開したくありません。その代わり、公の場での演奏会があった際には、鮮度の高い芸をお見せしたいのです。ですので、なんでもかんでも公開しなくてらならないという近年の傾向は、どうも私の感覚と合わないと感じています。
新しい時代の流れに沿ったお話をしますと、自分の放つエネルギーが演奏に乗るので、自分のエネルギーの状態を良い状態に保つことも良い演奏をするために必須のことになってくるのではないかと思います。ですので、自分のエネルギーの状態を良質に保つためにも、自分の練習を公にしないことも重要だと私は考えています。なぜなら、他人の視線がそこに入ることにより、自分のエネルギーが乱されてしまうことがあるからです。自分の聖域を守ることも、これからは重要になるかと存じます。
今回の私の話は、「今の時流に合わないのではないか」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとって最善の練習環境を作る上で必要なことだと思っておりますので、何卒ご理解の程、お願い申し上げます。
※画像は写真ACからダウンロードしました
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