術後の入院生活(前編)

2018年11月23日。手術翌日。体液を外に出すドレーンが4本、硬膜外麻酔のチューブ1本、膀胱への管が1本装着された状態から、まずは膀胱の管が外された。ということで、歩いてトイレへ。最初は少しふらふらして、すぐに横になりたい感じだったけど、2回目からは大丈夫だった。とは言え、いかんせんチューブがたくさんくっ付いているので、絡まらないように気を使う。(ちなみに、写真で胸に巻いているのは、エキスパンダーを固定させるためのブレストバンドと呼ばれる代物)

痛みは少し収まったとは言え、やはりまだ痛むので、硬膜外麻酔を遠慮なく自分で投与する。これがなかったら、手術直後はかなり痛かったのではないかと思う。ありがとう、硬膜外麻酔!

午前中に、若い医師が二人でやってきて、術後に巻かれた止血用のテープを剥がすという。怪訝そうな私を無視して、作業を進めようとするから、「え?テープを取るのは25日って聞いてますけど。」と言ったら、「へ?今日ですよね?」と言われたので、「手術したの、昨日ですけど!」と言ったら、「えー、あらー、すいません!じゃあ25日ですね」と言って、そそくさと出て行った。部屋の入り口のところで、「ヤバかったな!」と言っているのが聞こえて、主治医の先生の人間力の高さに比べて、なんとチャラいことよ!と苦笑せざるを得なかった(笑)この日以来、その若い医者のあだ名は「チャラ医」になった。

13:00頃に両親が、16:00頃に夫がやってきて、色々と必要なものを運んでくれた。夫は私がウトウト寝ていた間もずっと横にいてくれて、面会時間ギリギリまで付き添ってくれたので、とてもありがたかった。

11月24日。明け方に硬膜外麻酔のボタンを押したのに、痛みが和らぐ気配がない・・・。「体が薬に慣れてきて、聞かなくなったのか?」と思ったら、シーツが濡れていたので、チューブが外れてしまったらしい。ナースコールをしたら、「あら、これは漏れてますねー。じゃあもう先生に抜いてもらいましょう」と言われて、先生があっさり抜いてしまった。あーーー、私の命綱が・・・(大袈裟)。硬膜外麻酔の代わりにロキソニンをもらったので、さっそく服用してみたものの、効きが甘すぎて全くもって期待外れ!さようなら、硬膜外麻酔、今までありがとう。

11月25日。病院食が貧相過ぎるので、両親にお寿司を持ってきてもらった。いやー、美味しい!あと、フルーツも差し入れしてもらって、食生活が充実!お見舞いに来てくれた友人が持ってきてくれたサンドイッチも美味しくて、「食事って大事ねー」と改めて思う。

今日は止血用にがっちり巻かれていたギズのテープが外された(チャラ医が担当・笑)。傷と初めてのご対面!少しドキドキしたけど、見てみたら全然ショックではなかった。エキスパンダーが入ってるから、膨らみはあるし、傷口は思ってたよりも小さくって、胸の脇に縦に6-7cmくらい。もっとざっくり切ってるのかと思ったけど、現代の医療技術ってすごいな・・・。

ちなみに、傷口は縫われてもおらず、ホチキスでもなく、医療用ボンドなのだそう。最近は傷口が比較的大きな場合でも、医療用ボンドが使われることが大半らしい。抜糸もいらないし、時間とともに傷口がスムーズになるそう。すげーーー!あと数十年もすれば、がんなんてすぐに直せる病気になって、他の難病にも治療方法が見つかって、健康寿命が伸びるようになるかも。そうなるのが良いのかどうかは、その人次第だけど。私は、乳がんになって今までよりも死を考えるようになったし、死を考えることで生を強く意識するようになった。生き方について、まだはっきりした方向性が見えているわけではないけど、自分の人生の時間を使うに足りることに注力したい、という気持ちは前よりも強い。起業して、一からサービスを立ち上げたけど、「もっとできるはず」という気持ちがずっとある。その「もっと」が、誰かの役に立つことや、社会が少しでも良くなることに繋がれば、限りある時間の有効な使い方になる。さて、何をするか、だな。What sets my soul on fire?

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