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7th Directionへの逃亡

※こちらはpixivに公開&書籍化した二次創作(小説)に同封しようと思ってたけど間に合わなかったあとがきです。読みたい方に公開しては、と言っていただいたので、noteに掲載してみました。(Privatterだと画像入れにくいので)
今更すぎる劇リョ!の超偏向解釈とリョ桜要素も含みます。個人の意見なので解釈違いとかあったらほんとにごめんなさい。ゆるく見逃していただくか、読む前にそっ閉じていただけたら嬉しいです。

Saint James Paris

 こんな作品を世にだしてしまって、ほんとうに世界を敵に回すかもしれないと思いながら、ずっと不安とともに執筆してきた物語でした。そしてそんな想定以上にたくさんの波乱と騒動を現実に巻き起こしながらになってしまいましたが、最後まで納得いくかたちで書き上げられたこと、そして製本版も全冊無事にお届けできたことに、心から安堵しています。
 私がみなさまからお求めいただいているのは「リョ桜の小説」であって、今からここに書いていく自作の解説などどうでもいい、というかむしろ読みたくない方もおられるかもしれないのですが、もしよかったら読了後の余談としてご笑覧ください。(小説本編や映画「リョーマ!」、キャラソンの内容にも触れています。不要な場合はぜひともこの先を読まれませんように)

 映画を見ているように情景の浮かぶ物語をを書きたい、と、そんな願いを積み重ねていくうちに、今回の舞台はとうとうフランスにまで来てしまいました(プランス君にホームで活躍してほしいからフランス、という超安直な舞台設定であって、作者は一度もフランスに行ったことがありません。当然イングランドも未踏の地)。
 自分の中では物語が映像をともなって展開していてすべてのシーンにリアルな背景がついてまわっているのですが、それを文字だけで表現できるほどの筆力のなさに毎回挫折を味わっています。フランスという異国の地、行ったことのない森、そしてお城のようなお屋敷を舞台にしてしまって若干後悔したりもしましたが、今回もグーグル先生にたくさん助けていただきながらバーチャル旅行を楽しみました。WEB上の取材ではありますが、プランス君のお屋敷やルーブル美術館、そしてロンドンのホテルなど、たくさんの場所を見て回ることができて、それはとても楽しかったです。

https://www.saint-james-paris.com/


 こちらはシャルダール家の所有する別邸として参考にさせていただいた、パリ十六区に実在するシャトーホテルです。いつかお金持ちになったらここに泊まりにいって、ルーブル美術館でニケを拝みたいなと思っています。

リョーマはどんな約束を果たすのか

 創作中に音楽を聞きますか?というアンケートツイートを少し前に見たのですが、音楽を聞きながら作業する文字書きさんは、意外と少ないのだなと驚きました。
 私にとっては音楽は創作になくてはならないもので、むしろ音楽の方からインスピレーションをもらってお話を作り始めることのほうが主流になってしまいました。というより、もしもテニプリに「音楽(キャラソン)」という要素がなかったら、私は二次創作で小説を書くなんて大それたことを始めてしていなかった気がします。今作もいろいろな曲のイメージをお借りしています。書籍のほうはエンドクレジットにも掲載していますが、BGMにしていた曲について書いてみたいと思います。

 本編のメインテーマにした楽曲は、越前リョーマのソロアルバム「RYOMA」に収録されている「君のそばに」です。このアルバムの中では多分「Dear My Friend」のほうがリョ桜推しの方には人気なのだとは思いますが、一曲目のInstである「TAKE OFF」からつながる、明るい未来を感じさせるこの曲の歌詞が、長い間離れ離れだったふたりの将来を約束するリョーマから桜乃ちゃんへのプロポーズそのもののようにも思えます。公式には「約束(リョのシングル曲)」のアンサーソングらしいのですが…。「君のそばに」は青学のみんなに向けてではなくて、明らかに特定の女の子を示唆して歌詞が書かれています。皆川さんから生み出された率直な彼の言葉が大好きでずっと聴いているうちに、こんな爽やかな結末を迎えるお話を書きたいな、と思ったことがきっかけでした。
 この歌の中でリョーマが覚えている「あの約束」ってなんだろう、と、それを考えたときに、劇リョの余韻を引きずっていた私には「約束」=「竜崎、俺が必ず……」(教会の鐘と重なって消えたセリフ)しか思い浮かびませんでした。演出的には完全に結婚式なシーンですが、中一の、まだ恋愛未満なリョーマがあの場面で桜乃ちゃんに将来を約束するとも思えず、また直前のピスマの中で「帰れなくなっても私大丈夫」と言っている桜乃ちゃんに改めて「元の世界に返してやる」と約束するのも少し違う気がする。なのでこの場面での最適解は「必ず守るから」くらいの感じかなあと解釈しています。
 その約束を映画の中では果たしたリョーマでしたが、タイムスリップの記憶が残っているのかいないのか、どちらともとれないエンディングが用意されてるし、約束=「俺が守る」が解釈として正解なのかどうかはわかりません。けれど「僕はまだ覚えてる」から始まるこの曲をテーマにしたとき、リョーマが「あの教会での約束」を引きずりながらも、その後必然的に離れていった時間と果たしきれなかったその「約束」の空白を埋めていく物語にしようと決めて、歌詞の内容とリンクさせながら本文を作っていきました。

 けれど本作はリョ桜という名目で書いていながら、きっと多くの方が期待されていたような「カッコいい越前の物語」とは程遠い代物になった気がします。前作(+1)を期待してご購入くださった方がおられたら、大変申し訳ありません。どちらかというと前作のほうが自分の中ではイレギュラーでした(こっちが行き詰まってて、完全に息抜きで書きました…)。
 今回は、大人の余裕たっぷりの越前リョーマはどこにも存在しません。焦って苛立って弱さを露呈して、感情の振れ幅がめちゃくちゃになってる越前の物語です。圧倒的な風格を身につけて煽りまくるプランス君を前に、跡部さんや忍足さんの助けなしには自分ではどうすることもできなくてただ焦るしかなかった、ひとりの若者として等身大に足掻く彼を書きたいと思ったのです。桜乃ちゃんとの約束を果たすために『もっと強くなりたい』、越前リョーマというキャラクターが語る言葉の中で一番強く輝き続けるこのフレーズの意味を、突き詰めていくための物語でした。

強さと相対する「逃亡劇」の意味

 「強くなりたい」という言葉は、原作の中で、そして数多のキャラソンの中でリョーマ自身によって何度も繰り返されていきます。「なりたい」ということはまだ彼は自分が本当に強いとは思っていないということで、だからこそ映画の中でも南次郎に強さの秘密を問いかけたり「まだまだだぜ」とあしらわれたりするのですが、一体いつになったらリョーマは目指すところにたどり着けるのでしょうか。
 中一時点では無理でも、たとえば数年後にプロになったら? 日本代表の先輩たちや海外勢、手塚よりも更に強いプレイヤーの存在というものが(私の小さな器では到底想像もできませんが)プロテニス界にはいたりして、それでも十年後には、リョーマも南次郎のなしえなかった世界ランク一位くらいにはなっていてほしいよね、というのがファンとしてのゆるやかな願いでもあって。でも彼はどうやってそこに到達するんでしょう。大人になったらわかると南次郎には言われたけれど、リョーマが大人になるってどういうこと?

 映画の中で、まだ子どもの領域である十二歳のリョーマは、最初から逃げようとはしていませんでした。エメラルドさんに「テニスで勝ったら二人とも解放してやる」と言われて、「やろうよ、テニス」と即答で受けています。その時点でも勝算があっての発言のはず。そこに大人の南次郎がやってきて「逃げるぞ」と二人を連れ出してしまう。
 リョーマは、大人であり強さの象徴である南次郎から、自分の選択肢にはなかった逃亡をさせられている。けれどそれも行き詰まり、跡部さんや部長から「逃げんじゃねえ」「苦しいときこそ攻撃しろ(手塚語意訳)」と言われて、自分らしく決着を付ける方法を思い出し、またエメラルドさんのもとへ戻ります。
 じゃあ、南次郎が二人を逃したことってどういう意味があったんでしょう。リョーマは最終的にやっぱりエメラルドさんとのテニスで勝負をつけることを選ぶのならば、逃げなくても同じ結末になっていたのでは? その時点のリョーマにとって、逃亡は不本意、というか「自分らしくない」と思う行動だったはず。モヤモヤを先輩たちに励ましてもらって自分らしさを取り戻してハッピーエンド?

 でももし二人が逃亡していなかったら、あの教会でのピスマは実現しなかった。そしてあの逃亡劇はリョーマに「竜崎は俺が守る」ということを強烈に意識させるために必要な儀式でした。二人で逃げること、リョーマが桜乃ちゃんの命を守るという経験をすること、大切な人のために強くあろうとすることこそが、リョーマが「強さの秘密」に近づくため、彼の心を大人へと成長させるためのステップとして、南次郎が与えた試練であったのかもと思ったりさえします。

 映画では結果的に「逃げる」行為はネガティブなものとされ、リョーマらしい「リターン」で決着をつけましたが、それはやはり彼が十二歳という年齢設定であったことが一番大きな理由かもしれません。思春期前のヒーローらしく、怖いもの知らずな年齢だからこそ実現できる、明るく正しい結末でした。
 けれどもしも、とリョ桜思考が思いついてしまいます。リョーマがもう少し大人に近づいていて、桜乃ちゃんへの約束を憶えていて、桜乃ちゃんを失いたくないと、特別な存在だと自認している年齢だったとしたら。もしまたこういうシチュエーションで桜乃ちゃんを守るために逃亡せざるをえないことが起こったら。これまでずっと「逃げずに立ち向かう」ことをポリシーとしてきたリョーマが、否応なく逃げることを迫られてしまったら。そしてその時のリョーマが、まだ目指す頂点へとむかう途上にあって、強さの意味を追い求めている途中であったなら?
 リョーマにとって、逃げるとはなんなのか。
 これまで築き上げてきた「越前リョーマ」らしくない選択を迫られたとき、彼はどこへ向かうのか。

強さの秘密を教えてやる

 このあとがきのタイトルにある「7th Direction」は、先程のアルバム「RYOMA」に収録されているリョーマと跡部さんのデュエットキャラソンなのですが、そのタイトルの意味を知りたくて調べたことがあります。
 ざっくりいうと、この世界には六つの方角(東西南北と上下)の他に、もうひとつ「七番目の方角」というものがあるそうです。そこには、人智を超えた偉大な強さ(=Great Spirit)があるのだという、ネイティブ・アメリカンの言い伝えからきているみたいでした。そしてその七番目の方角とは自分の心の中にあるようです。
 跡部さんはこの曲の歌詞の中で「シケた面」してる少年に「心の奥深く深く飛べ」と行き先を教えてくれています。自分の心の中(=桜乃ちゃんへの思い)を見ないフリをして、ただ外の世界をめざしてきたリョーマ。もっと上を、さらなる高みを目指して走り続けてきたはずなのに、プラ君の策略によって四面楚歌に陥ったリョーマが見据えるべき場所は、自分の心の奥深くなのだと。越前リョーマはそこへたどり着くべき人なのだと伝えるために跡部さんは降臨してきてくれました。強さの秘密をあっさりと教えてくれる跡部さん。
 歌詞の中でも越前に涙と愛の意味を教えてくれる跡部さん。視点が、いや存在が神でした。やたらと解像度が高いと言われるし、跡部様の存在には感謝しか有りません。

 プランス君についてはきっと賛否両論、というか、かわいそうというご意見もいただきました。プラ推しの方には本当に申し訳ないです。ただ私は、プランス君についてもただの「当て馬」で終わってほしくなく、跡部さんと同じように不甲斐ない越前リョーマの背中を押してくれる、正統なライバルとして、感謝をこめて書かせていただきました。
 最後のプラ編はあくまでオマケ的な扱いではあるのですが、小さい伏線を回収して、よかった、やっぱりいいヤツだった、で終わってくれたらいいなぁと思っています。
 リョーマがテニスプレイヤーとして成長するには、きっと十代後半の精神面の成長というのは不可欠なのだと思っています。ただのテニスバカな負けず嫌いの天才ではなくて、逃げることも含めて、ひとりの人間としての情緒の揺れとか葛藤、自分の弱さも執着もぜんぶ受け入れたその先の光を掴んでほしくて。
 自分よりも大切にしたい人ができて、その人のために生きることにも価値をみつけるっていう過程の重みを、きっとプランス君も跡部さんも、そして南次郎も知っている。映画の中で南次郎がリョーマの成長を願って伝えたかったことを書きたいなって思った時に、テニス以外の部分でどうしてもリョーマの情緒面に立ちはだかるものがほしかった。
 リョーマと、そして彼を成長させる鍵である桜乃ちゃんを一緒に幸せにするために、本気のライバルになってくれる人ってプランス君しか思い浮かばなかったのです。プランス君の迫真の演技に、あらためてありがとうを言いたいです。ただ、「ちょっとやり方が汚すぎたね」(By越前)。
 ↑作者のせいですまじごめん桜乃ちゃ……

 「強くなりたい」の過程を描く、今回のお話の中で

 弱いリョーマを守る強い桜乃ちゃんを書きたい、
 愛しさがあふれて感極まって泣いちゃうリョーマを書きたい、
 みんなが笑顔になるようなラストシーンでエンドロールを始めたい、

 越前リョーマにとって、竜崎桜乃は、

 それをぜんぶ、プランス君がまとめて叶えてくれた。

 あの「お前…その娘のなんなのさ」の台詞は、
 すべての発端だったかもしれないな。

                         ゆか 拝