見出し画像

兎に角引っ越しました

神奈川県の端っこに最寄り駅がある位置の静岡県の端っこに引っ越した。すると、移住したんですね!と言われ、違和感を覚えた。引っ越しただけだ。いつから、国内でも引っ越すことを移住する、というようになったのか?今回、ヤマトの引越部門が売却されてしまったので、初めてアート引越センターのお世話になった。もといアート移住センターに社名変更?!

以前、マレーシアのジョホールバルに駐在すべく引っ越した際は、「母子留学」ですね!と言われて違和感を覚えた。子どもは付いて行くから、現地の学校に通うことになり、留学と言えなくもないが、母は別に留学しているわけではないし、そもそも留学というのは、本人一人で行くことを言うのではないのか?と思った。(どんな時も素直になれない私。)

特にわが家の場合は、引越と言っても、東京の家はそのままあって、必要に応じて寝泊まりも出来、多くの過去のモノ(や思い出)たちがそこに居座っている限り、寧ろ今っぱやりの「二拠点生活」というのをこれまでずっと地で行っているように思う。コロナ禍で帰国したまま戻れずにいるマレーシアのキャメロンハイランドの家もそのままで、息子たち(猫)もあちらに住んでいるので、三拠点。いや、娘はカナダにいるのだから四拠点。

さすがに、これは3人+2匹(3匹だったのが2匹になってしまった。。。)の家族にしては多すぎる。そんなわけで、40代前半にここから10年と決心してマレーシアでやり始めたことの続きは、心機一転、この地でやって行くことにする。

温暖な気候で、東京で雪が降ってもここは降らないと言われる温泉地だ。なのに。。。私の家は、真夏に見に来た際に、窓と玄関を開けた途端に風がすーっと通り、冷房要らずの涼しさに感激して選んだところ。即ち、引越早々やってきた冬、大急ぎで暖房器具を買い、夕方からは、1カ月前に骨を切る手術をしたばかりの足で、ちょこちょこと30分ほど坂道を下って温泉に温まりに行くという日々。

むむむ、既視感。赤道直下の熱帯マレーシアのキャメロンハイランドでも、暖房欲しい!とブランケットにくるまりながら、温かいミルクティーを飲んでいたっけ。2月生まれは寒いところが好きなのだ、と負け惜しみ。

行きは下り坂で良いよいでも、帰りは街中からタクシーに乗らないと、絶対に無理という距離感も、また同じだ。まあ、兎に角、引っ越した。一歩前進としよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?