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私の背骨のはなし その7

ジョホールバルでお気に入り、というか、仲良しのマッサージのおばちゃん、中華系マレーシア人のアイリ―さん。キャメロンハイランドに引っ越すときには後ろ髪引かれて、連続で会いに行った。キャメロンに一緒に引っ越さないか?とも誘った。いつもマッサージしてもらいながら、いたたーっ、と叫びつつ、身の上話や、ご近所の面白ネタなどで大笑い。

マッサージのおばちゃんにしては英語が得意だけれども、すべて通じるわけではない。彼女は少しだけ日本語も出来る。そこで、日本語の単語を思い出して言ってみてくれたり、私はその日のために覚えて行った中国語で言ってみたり、漢字で書いて見せたり。そんな会話でも、何十回も会っていれば、お互いの身の上がだんだん理解出来てくる。彼女が日本語が出来るのは、若いまだ20代の頃、仕事で長く日本に滞在したことがあるから、との話だった。

今でいう、アクロバットダンサー、コントーショニストだった彼女。関節を柔軟に動かすダンスで、日本全国のキャバレーなどに登場していたそう。日本の地名は、北から南まで結構覚えていて、興行会社の手配してくれた宿で泊まって、演技をし、また次の街に移動して、という生活の中で、お金が無いから、よく玉子やイモを買って茹でて食べていたとか、寒かった札幌ではハイヒールで凍った道を歩いて滑ったとか、安くうどんを食べさせてくれる店に行って、熱い、冷たいという言葉を覚えたなど、色々聞かせてくれる。さらに、賃金の支払いをちょろまかされた同僚のロシア人ダンサーを救うべく、一緒に大使館に駆け込んだ話や、興行会社のマネージャーに直談判すべく、ダンサーたちをまとめて、大使館の担当者も巻き込んで、きっちり払わせた武勇伝など、本にしたら面白いだろうな、というような話も。

実は、その時すでにシンガポールで未婚の母になっていた彼女。マレーシアの田舎のお母さんのところに、夫がいないことは言わずに、小さな赤ちゃんだった娘さんを預けて、日本やそのほかの国への興行の旅に出ていたそう。そのお嬢さんは、インドネシア人とのハーフで、目鼻立ちのはっきりした彼女にもよく似てエキゾチックな美人さん。女手一つで育て上げ、成人した彼女は、香港の大手ホテルにマーケティングマネージャーとして勤めていた頃にオーストラリア人男性と結婚し、今は、オーストラリアに移住してお子さん二人のお母さんになっている、と写真を見せてくれた。私と同い年。

そんなわけで、今は、ジョホールバルでただ一人、ダンサーを引退してから身に付けたマッサージの技一本で身を立てているアイリーさん。年に1度くらい、オーストラリアのお嬢さんのところに会いに行ったり、来てくれたりするのだけを楽しみに。娘にはあなたのこと話してあるから、Facebookで連絡してみて!と言われて、何度かやり取りをしたことも。

お嬢さんと同じ年の私が両親を日本に置いてマレーシアに来ていると知り、寂しがっているはずよ、帰ってあげなさいよ、といつも言いながら、私の背中の筋肉をほぐし、全身のリンパの流れを良くして、こういうストレッチをやってみなさい、とか、漢方のこういうスープを作って飲むと浮腫みが取れていいから、今から漢方薬局に買いにつれて行ってあげる!とか、よく面倒を見てくれた。

マッサージの後は、ふたりでランチをして、彼女の小さなMyvi(マレーシア製の小型車)で近くのスーパーまで送ってもらったりしたのもよい思い出。これも、S字の背骨が繋いでくれたご縁だな、と今は感じる。つい数日前、アイリーさんから入ったメッセージ。ジョホールバルのコンドミニアムに買い手がついたから、もうすぐ(妹さんが住んでいる)ペナンに引っ越すよ。日にちが決まったらまた連絡するね、と。キャメロンハイランドからは少し近くなって、時々会いに行けるな、と、まだマレーシアに入国できずに日本でぐずぐずしながらも、ちょっと明るい気持ちになった。アイリーさん、待っててね。もうすぐ帰るよ。

つづく。

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