見出し画像

考える・感じるは3次元?

よく考えろ、と言われても、よく考えていない(ように見える)人がいる。よく考えてみたんだけどねー、と言いながら、大して考えなかったでしょう、というような考えを披歴してくれる人もいる。これ、単に嫌みで言っているのではなく、私から見ると、とか、誰か他の人から見ると、そう見える、ということだ。

もちろん自分でも、なんでもっと「ちゃんと」考えなかったんだろう、と思うことがある。そして、「考える」の場合の、ちゃんと、とはなんだ?と考えてみた。

じっくり考える。広く考える。深く考える。厳密に言うと、X:時間をかけて考える、Y:一つ以上の色々な方向に考えを広げてみる、Z:一つのことを掘り下げて考える、ということか。ちゃんと、という時に含まれているであろう3要素を3次元で見てみると、例えば、Aさんは、兎角、X方向だけやっているけれども、YとZの方向には進んでいない、という場合、時間ばかりかけた割には、視点に広がりも無ければ考え自体も浅い、と受け取られるのかもしれない。Bさんは、Xは、瞬速。その間に、Zはすごいが、Yが弱い、となると、もうちょっと時間かけていいから、他の可能性も視野にいれて考えてみてよ、となるのか。

そんな風に見てみると、X、Y、Zをある程度バランス良く考えることが出来ていると、ちゃんと考えた、に近づくのかもしれない。人それぞれ、持っている個性、その時点までの学識や経験、置かれている環境、与えられた条件、考えていることの目的など、たくさんの要素の影響を受けながら、自分なりに考えながら生きているのだろう。

では、「感じる」はどうか?感じるにも、X、Y、Zがあるとすれば、Xは、感じたことの持続性、Yは、感じたことの広がる幅、Zは、感じ方の深さの度合い、と言えないか。例えば、Cさんは、おおおっ、と感動しやすいがすぐに冷めてしまい、それを見たことすら忘れてしまっていることが多い、とか、Dさんは、一見、受け止め方がクールだが、じわじわと良さを味わい、良いなあと心に残ったことについては、さらに掘り下げて学んでみたり、他の作品も鑑賞したりしながら自分のものにしていく、とか。

さてと、私自身の考える・感じるはどんな傾向があるか?まず、考えるのXは、極端に短い。Yは、関連付けしながら、時には、それ関係あるの?ということにまでに飛びながら広がっていく。Zは、関心が特にあることについてのみ、かなり深まるが、大概のことについては、浅め、もしくは、正直に言えば、ほぼ考えすらしていない。考えたフリはする。そして、感じるのXも短めだ。瞬間的に感銘を受けたり、感動したりするが、長々とその感覚を味わい続けることは苦手だ。すぐにまた次のことに目移りする。Yは、これまた、関連付けて考える傾向が影響して、それならあれもこれもと繋げて感じ直したりしながらいろいろな感情に広がっていく。Zは、それほど深くない。あまりにも多くのことに対して、感じるアンテナが反応してしまい、ひとつひとつが深まる暇が無いといった感覚だ。

こんな私でも、自分なりに、色々なことを考えたり、感じたりしながら生きている。きっとみんな、その人なりにX、Y、Zの中をあっちに行ったりこっちに来たりと浮遊しながら、人生を終えていくのだろうな。と、1300字以上も使って、つらつら考えて、そうなんだなあ、と感じて満足しているのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?