でんわ

2013年11月8日に、何を思ったか突然、Facebookに投稿した文章そのまま。

(昭和~平成、個人的な備忘録のようなもの ー 長文・駄文すみません。)
幼児期の写真で、私が握りしめてモシモシしていたのは、黒いダイヤル式電話の緩やかな丸みを帯びた受話器だった。
物心ついた頃は、灰色のプッシュホンで、親戚や友達の家の電話番号をたくさん暗記していて、ものすごい速さで間違えずにプッシュしてかけることができた。
小学校でお弁当を忘れたことに気付いて家に電話するときは、学校のロビーにあったピンクの公衆電話の裏にしゃがんで、先生に見つからないように、そーっと十円玉を入れるのに、つながるとガチャンと音がしてしまいドキドキした。
それから、中学生の頃には、2階の自分の部屋と妹の部屋の間の壁にも、オフホワイトの子機が付き、高校生になると、受話器のつながっているぐるぐるのコードを思いっきり延ばして自分の部屋に引っ張り込み、こそこそと深夜まで長電話をした。
公衆電話がグリーンになったその頃には、テレホンカードが主流となり、広告媒体としていろいろな会社や商品のことが印刷されたものが配られ、使い終わっても捨てていいのか迷った。
雪山にこもっていた大学時代も、寂しくてさみしくて、しんしんと降る雪で髪を凍らせながら電話ボックスまで歩き、テレホンカードを入れ、あと何分話せる?などと言いながら育んだ想いがあった。
さらに、留学中は、外食何回分?というような値段の国際電話を、週に何回だけと決めて、壁に張り付いた壊れかけの公衆電話の汚れた受話器を握りしめて、あと1ポンドコインひとつだ、と胸がぎゅーっとなった。
帰国して就職した頃は、職場の電話で私用電話をしてはいけないというルールを破ったり、一回鳴らして切ったら私だよ、をやったり、じゃあどうやって、今から出るや、待ち合わせ場所を伝えればいいの?と、こそこそポストイットを書類の裏に貼り付けてみたり、通りすがりの忍びの者のような投げ文?をしていた。
そこに、天の恵みのようなポケベルが普及し、片手の中で、aiueoの12345で打つ、ポケベル入力が超高速になり、カタカナの短いメッセージが妙に甘く感じたりする時代がやってきて、夢中になった。すると、お風呂中に誰かさんが置きっぱなしにしたポケベルを読んではいけない人が読んでしまったりして、お怒りの電話がかかってきて震え上がったこともあった。
今からすると嘘のように巨大な携帯電話を、航空会社の初期のマイレージで獲得してウキウキ使い始めると、出先で上司から、ちょっとその電話でクライアントにかけてくれる?と頼まれたりし、会社で携帯買ってください、と心の中でつぶやいているうちに、あっという間に皆が持つようになった。
気が付けば、公衆電話は、災害時の連絡手段として、備え付けの消火器と同じようなポジショニングになっていた。受話器を大事に両手で包んでしゃがみこみ、あとちょっと、と言いながら涙ぐむ女性の姿はもう見ない。
もしもあの時に、携帯メールがあったなら、ぐすんと涙顔の絵文字があったなら、そしてSkypeがあったなら、今ここに私はこうしていたかな。と、ふと思って書いてみた。

*** *** *** *** ***

(2018年11月8日の投稿)

☝この投稿から早5年。この時には、twitter やInstagram のことにはまだ触れていないな。スマホ持参通学禁止の中学生のスマホの使い方問題もまだか。
誰かに繋がりたくて使う道具、という主たる用途だけは変わっていないものの、より強化された、自己表現のための道具としての発展、そして以前は各人の脳や心の中に収められていた[メモリ(覚えておかなければならない事)やmemories(想い出)]の一部を預かる道具になったことは大きな変化のように思う。その分、少し余裕ができたはずの脳や心はどんな働きを担うようになったのだろう?

***** ***** *****

さらに、☝そこから1年半年経った、今日は、2020年5月6日。令和です。

スマホ持参通学禁止の中学生は、個人のスマホを持たせていなかったら、新しい学校に入学早々、学校の方から、早く契約して持たせてくださいと注意されるSecondary Schoolに通うようになり、こちらへの連絡はほぼLINE。時々、一緒に好きなミュージシャンがInstagramでLIVEやってるよ~、と情報交換してくれるのが嬉しかったり。学校からの連絡は、メール。現地の保護者の皆さんのように、先生方との面談や保護者会、学校行事に参加できないのが残念だし、留学生のハンデだな、などと思っていたら、突然降ってきたパンデミックで、先生まで全員揃ってZoom Meetingになってしまった。キャンパスは無人。

SkypeやLine、Whatsapp、Messangerのおかげで電話は無料が当たり前。文字と絵文字、スタンプや写真で、たっぷりと感情を込めたメッセージがやりとりできる。あれ?こうなると、電話をしながら「会いたい」を募らせていたはずが、「(わざわざ)会いたくない」からスマホの中のなにかで用を済ませるに変化しているようだ。人と人が直接会うことなく出来ることが、これほど増えてしまうなんて、昭和の私は、というよりも、パンデミック前まで、ほとんど誰も想像していなかっただろうな。

私の心の中の声。なんだか、とてもさみしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?