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7 weeks #7

2020.07.27 mon

10:30
父に代わって、医療保険の給付金申請について保険会社とやりとりする。M氏が問い合わせを試みてくれたようだが、保険会社は親族の問い合わせしか受け付けないとのこと。フリーダイヤルのコールセンターにかけるとオペレーターに繋がる。申請用の書類を父の病室宛に郵送してもらうように手配した。その旨を父にメールで連絡する。ありがとう、がん保険に入っておいてよかった、と返信があった。
配信ライブ視聴用に手配したWiFiルーターも先週のうちにレターパックで父の病室に宛てて送ってあった。ちゃんと到着していることも確認でき、動作も快調だという。当日が楽しみだ、と父。
今日は午前中にいくつか検査をして、午後には最終確定の診断が出る予定とのこと。

抗がん剤治療の開始前にもう一度オンライン面会をしようと父に提案していたが、週末は検査などで時間が読めないからと、先送りになっていた。治療が始まれば体調に左右され、時間を確保することは難しくなるかもしれないが、仕方ない。
5歳の長男は父によく懐いていて、コロナ前まではよく行き来して遊んでもらっていたし、父に長男を預かってもらったことも何度もある。だから長男には今のうちに父の顔を見ておいてほしかった。1歳の次男も会えば楽しく遊んでもらっていたが、彼にはおそらく父の記憶は残らないだろう。残念だけれど、どうしようもないことだった。

16:30
再び父からメール。病名が小細胞肺がんで確定したとのことだった。明日から抗がん剤の投与が始まる。3日間投与し、3週間は様子を見る期間だ。投与から2週間後あたりで白血球数(=免疫力)が最も低くなり、感染症リスクが高まる。それを越えて白血球数がある程度戻り、副作用が収まったら、次の3週間でまた同じように投与を行い様子を見る。2クールを終えた時点でCTを撮り、腫瘍が縮小しているかどうかを評価する予定ということだった。少し後に主治医から私宛に電話があり、父からのメールの通り、病名が小細胞肺がんで確定したこと、明日から抗がん剤治療を開始することを伝えられた。
治療に関しては、私たちは病院を信頼して任せるのみだ。父はずっとジョギングをルーティンにしていたので、同世代の中では基礎体力がある方だろうということも多少希望の持てる要素だったが、「長期化はしない」という主治医の言葉が生ぬるい希望を湧いたそばからかき消していく。

役割があることに救われていた。家族の代表として現実的な展望のもとに、遠からず来るその日に備える、と決めたことが、めそめそしたメンタリティを私から遠ざけてくれていた。もしも母が家族の代表で、自分は単なる長女としてこの状況に向き合っていたらと想像する方がきつかった。
子どもたちとのガチャガチャした暮らしも、この状況では救いだった。彼らは事の深刻さを理解していないし、ひっきりなしに何か用事を言いつけてくる。母であるということはそれだけでとんでもなく忙しい。この家の平常運転を続けることで、地に足をつけていられるのだ。それはまるでパラレルワールドを行き来しながら生きるような感覚だった。自分の家にいれば、豊洲で起きていることは遠い並行世界の出来事であり、豊洲にいる間は自分の暮らしが遠い並行世界なのだった。

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