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夢の話 2匹の黒犬 

 外は嵐、日が暮れて周囲が徐々に闇に包まれていく。不気味さすら感じるその暗がりから声がする。
「南ー遊ぼうぜー!でてこいよ」
隣にいる友人の南を呼ぶ声。声の主はおそらく阿部だろう。阿部はちょっと変わっているというか、空気が読めないというのか、人との距離の取り方が下手なのだろう。だから、一言一言がいちいち癪に障る。友人たちの中では、あまり好かれていない。その阿部がこの嵐の夜に遊ぼうと呼んでいる。この状況、良いことがあるはずがない。しかも、阿部が敢えて南を呼んでいるのは、彼女がこういう誘いを断れない性分であることを知っているからだ。私は阿部のそう言う図々しさを嫌っている。
 2階のベランダから外をのぞくと阿部がなんとも無邪気な顔をして大きく手を振っている。よく見ると4,5歳くらいの子供を数人連れているようだ。この状況が嫌な予感をさらに増幅させる。南はといえば、思った通り、行った方がいいかなあ、などと隣で言っている。
「いやいや、行かんやろ。絶対やばいやつじゃん。」
「でも、ほっとけないし、あの子供たちも・・・」
 開け放した窓からは嵐の日特有の生暖かい風が吹き込んでくる。
その時、阿部たちのいる左奥の方の闇の中で何かが動くのが見える。犬だ。大きな黒い犬と黒の小型犬の2匹。と同時に、いくつかの悲鳴が聞こえる。その2匹の飼い主だろうか、女性と小学生くらいの女の子が慌てて、こちらに走ってくるのが見える。

 暗闇に目が慣れるにつれて、2匹の犬の様子が見えてきた。もがき苦しむように地面をのたうちまわっている。阿部たちはというと、そこから数メートル離れたところで、その光景にくぎ付けになっている。恐怖で動けないのかもしれない。私たちの位置からは見えなかったが、窓の閉まる音で、さっきの親子がこの建物の1階に逃げ込んだのがわかった。
 大きい方の犬が動いた。こちらにまっすぐ向かってくる。南は恐怖におののき声も出ない。腰でも抜かしたのか、床にへたりこんでいる。急いで窓を閉めようとしたのだが、間に合わなかった。ここは2階で、犬がどうやってここまで来たのか、わからない。気づいたら私の目の前にその顔がある。犬種はわからないが、私の腰の高さくらいまであるだろう、かなりの大型犬だ。

 私の目はその犬の目にくぎ付けで離せなかった。その黒い眼は大きく深い悲しみに染まっていた。気づくと私はその犬の顔を両手で包みこみ撫でていた。犬は大きな目を閉じ、静かな表情で私の手に顔を預けている。私とその犬の間以外は、まるで時が止まったかのように無音だ。誰も何も動かない。どれくらい経ったのか、撫でられて落ち着いたのだろうか、ゆっくりと目を開けるとくるりと背を向けて、もう一匹のいる場所へと闇の中を歩き始めた。その背中は悲しみと疲れとあきらめと、今から自分の身に起こる恐怖をすべて受け入れたような悲しい背中だった。まだ、手の中には彼女のぬくもりが残っている。
 2匹はもう苦しんでいない。遠吠えをするように空に向かって開けた口からは低い身震いするようなうなり声とともに、何か黒い靄か煙のようなものが出てきて空へと昇っていた。

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