見出し画像

杭州2022アジアパラ競技大会

10月23日から25日にかけて行われた杭州2022アジアパラ競技大会柔道競技。24日に行われたJ2クラス73kg級に出場し、3位でした。
今回はその振り返りです。

今回の大会はアジアパラ競技大会ということで、アジア版パラリンピックです。パリ予選としての位置付けは大陸大会なので、グランプリや先日の世界選手権に比べてポイント自体は小さいものの、大会としての格式は高く、選手村が用意されたり、他競技と合わせて各国で代表選手団が組織されたりなど、パラリンピックと同じ形式で行われます。

ポイントは高くないとはいえ、現在ランキングで10位と下降傾向にある私にとっては貴重なポイント源。ここで確実にポイントを稼ぐ必要があります。
アジアで私が警戒している選手は私を含め4人。うちランキングが私より上な選手は3人です。つまりは表彰台は絶対に上がらなければならないし、上がれる立ち位置。目標はもちろん優勝でした。


今回は試合の1週間前、17日に先発隊として杭州入り。時差も1時間、移動時間も半日ということで非常に楽な旅路でした。出発時点で柔道の調子はイマイチでしたが体調そのものは良好。面倒な時差調整が必要ないので、食事も睡眠も通常通り。
現地到着後は食べ物の油量に少し胃もたれもありましたが、こちらもうまく調整できて問題なし。ここはやはり1週間あった恩恵です。後発隊は20日に杭州入りでしたから、そこからこの食事に対応していると私は試合に間に合わなかったかもしれません。

体重も大きくは問題はなし。今回は10月頭から減量開始。この時点で体重は78kgくらい。最初の週に食事の増量メニューを通常量に戻して77kgほどまで落とし、次の週からは減量メニュー。鳥の胸肉とささみのヘビーローテーション。米の量も2週前の半分以下に。そうして76kgくらいで杭州入り。その数日前から水抜きを始め、出発前々日に73.8kgを記録。
杭州入りしてからは最初こそ少なめに食べてましたが、選手村のダイニングで提供されるものより持ち込んだ米を多く食べる方が良さそうということで、米は通常通り、その他は現地のものを少しずつ、といった具合で食べながら、水抜きと運動で減量。計量前日に73.0kgを記録しました。
計量の日も起床時74.2kg。これは行けるなと朝食を食べて75kgほど。
他の選手とは別行動をさせてもらい、水を抜き少しリカバリーして73.5kgで会場へ向かいます。
今回の私の試合は二日目。初日でないのは初めてで色々と未知の領域でした。
前回の反省から水を抜いた状態で過ごす時間はなるべく短い方がいいと思い、初日の選手には申し訳ありませんでしたが、朝からは応援に行かず、昼まで選手村に1人残って水を抜いていました。
選手村からシャトルバスに乗り会場に着くと73.3kg。計量までは1時間半。ストレッチでもしてれば落ちるかと思い、いくらかストレッチをして再度体重計へ。73.25kg。
ちょっと笑えない…
少々慌てて体を動かします。シャドウピッチングや1人打ち込みでドタバタ。
まぁ、これで大丈夫でしょう。
仮計量の時間。73.0kg。素晴らしい!

柔道着コントロールを先に済まし、計量の順番待ち。軽いクラスのJ1から順に計るようです。
ここは意外ときっちりしており、同じ階級内でも名簿順に1人ずつ計量を行う部屋に入れられます。

72.9kg。excellent!完璧です。

まずは水を戻して塩分もチャージ。アミノバイタルのGOLDで攻めのリカバー。その後持ってきたお湯でアルファ米を戻して昼ごはん。なかなか完璧なリカバリー。

ある程度のリカバリーをした後、調整練習。試合が2日目以降の選手は、本来なら午前中や昼までの計量前にアップをするものなのでしょうが、水が抜けたカラカラの状態では動けない…やはり初日でないのは難しいですね。

いつも通りのアップから打ち込み、投げ込み、スピード打ち込み…体の調子はなかなか良い感じです。

日本人の試合が全て終わったところで撤収。バスで選手村に戻ります。その車中でもリカバリー。体の調子を整えるのはもちろん、少しでも体重を戻さなければ!

選手村に戻ると夕食。米を中心に多めに食べます。
その後ストレッチ。風呂で温水と冷水に浸かって就寝。良い感じです。


試合当日。朝は5時過ぎに起きて、ゼリーで軽くエネルギー補給。その後外へ出てウォーキング。近場のバスケコートでストレッチで体をほぐし、少し走ったりステップを踏んだりして体をほぐします。
部屋に戻ってシャワーで汗を流して朝食。やはり米。この時点で体重は75.6kg。もう少し増やしたかったですね。

7時55分のバスで会場へ。8時半ごろに到着。試合開始は11時、かつ私の試合は10試合目以降ということでかなりゆっくりなアップ。いつも通りですが…

今回は第4シード。警戒すべき強敵はイランのジェッディ、カザフスタンのオラザリューリー、ウズベキスタンのサイドフ、クランバエフ。
オラザリウルイが第1、ジェッディが第2、サイドフが第3シードであることはわかっていたので、準決でオラザリューリー、ジェッディとサイドフは反対側の山です。そしてサイドフが反対側ということは、同じウズベキスタンのクランバエフはこちら側。オラザリューリーの山に行くか、私の山に来るか2分の1でしたが、こういう時にきっちり引き当てるのが私。こちらの山でした。

そしてここでまさかのアクシデント。ジェッディが計量に失敗したそうで、失格となりました。つまり反対側の山は警戒すべきはサイドフのみ。表彰台は確実と見て良い状況でした。

ということで、初戦はウズベキスタンのクランバエフ。中国のマーを難なく投げて上がってきました。
東京2020の66kg級金メダリスト。その時以来2度目の対戦です。

今回向かい合った時の最初の印象は、「小さい」でした。東京の時は自分よりかなり大きく見えたのですが、私がトレーニングや増量で大きくなったことと、おそらく彼がまだ66の時からそれほど体型が変わっていないことが要因でしょうが、身長までも小さくなったような気がしました。

始まってからも少し驚き。東京の時はパワーの差があったように感じていましたが、今はむしろ自分の方がパワーは上なのでは…?
東京では焦りもあってか圧倒された相手だけに、拍子抜けする一方、ここできっちり借りを返さなくてはと、そんな気持ちでした。

とはいえ、膠着状態。パワーで持っていかれる感じはないし、ほとんどの技は受けきれる感じがありましたが、こちらの攻め手も少ない状況。相手の巻き込み技を潰し、支釣込足で腹這いに倒して…そんな攻防。釣り手をうまく殺されていましたが、体全体のパワーでは勝っており、相手が背中を取りにくるような動作を見せても落ち着いて対処できました。

決着は2分過ぎ。かなり強引に背負に入ったところ、相手が後ろ重心で耐えようとしてバランスを崩したので、そのまま後向きにバタバタと押し込んで一本。当初は審判が私が背負投に入った時に「待て」を宣告しており、ポイントは入りませんでしたが、ビデオチェックの結果、「待て」の時点で技に入っていたこと、そこから押し込むまでが一連の技動作として認められたことなどが認められたようで「一本」。実際のところ、背負は完全に崩れており一連の技かと問われると怪しい部分もありますが、そもそもそのタイミングで「待て」がかけられるのも謎なのでどちらにしろ一本でしょうか。

とにかく、これで2年越しに雪辱を果たしました。

次は準決勝。予想通りオラザリューリー選手が勝ち上がってきました。
彼との対戦は昨年12月の東京国際オープン以来3度目。対戦成績こそ2勝0敗ですが、東京国際オープンの際は特に開始間際の奇襲がハマっただけであったので、全くもって油断できない相手です。

案の定、右相四つでパワーは互角ですが、相手の手足の長さに苦戦。また背負を警戒してか完全に釣り手を殺されており、こちらの釣り手に体全体を覆い被せるように引き手方向に前傾した体制。こうなると腕の長さ的に私は不利ですし、ここから出せる技もほとんど持ち合わせていません。
一方相手はここから内股のような形で巻き込んだり、釣り手をこちらの右肩越しに背中を持ったり右腕上腕を掴んだりして巻き込み。

正直いえばこの巻き込みで投げられる感じはありませんでしたし、相手の釣り手の持ち替えに対して、今回はこちらの引き手を離さないようにして幾度かは対応できていたことは収穫でした。警戒すべきは後ろの技。大外もそうですが、最も厄介なのは小内刈や小内巻込。
恐れていた通り、投げられたのは小内巻込。背中を持たれたところ逃げようとして左膝をついて防御の姿勢を取りましたが、これがあまりにも中途半端。この体制で相手の技を受けようとしてしまいました。この場合、逃げるのなら完全に亀になって逃げてしまわなければなりません。
小内巻込で押し倒され、そのまま縦四方固。合技で一本負けです。

視覚障害者柔道を始めて以降、一度勝った相手に負けるというのは今回が初めての経験でした。時の運や調子などもあるにしても、勝っていた相手に負けるということはこちらの努力よりあちらの努力の方が大きかったということ。情けない。

油断していたつもりは到底ありませんが、組み合わせを見た時、準決勝で負けることはないだろうと思っていました。また前の試合で金メダリストに勝って気が緩んでいたのかもしれません。先に挙げた中途半端な判断もそうですし、組み手の対策、この状況で使える技の習得あるいは状況の打破など、反省・改善すべき点はいくつかあります。彼とは今後もきっと対戦があるでしょうから次は勝ちたいです。


準決勝で負けたので、3位決定戦に回ります。が、その前に昼休憩。ゼリーなどでリカバリー、ストレッチをして休憩。思ったより時間があったのでアップ会場の横にあるアスリートラウンジでお粥を食べながらゆっくりと過ごしました。


ファイナルブロックは16時開始。とはいえ、またしてもJ2,73kg級は最後ということで、まだまだ時間があります。
ストレッチから順に打ち込み、投げ込み、試合が終わった他の男子の選手たちに受けてもらいました。

そして毎度お馴染みというか、かなり早いタイミングでの呼び出し。まだJ1の70kg級が試合をしている時に早くも呼ばれました。
流石に早すぎるしこの時点ではまだアップは十分ではないのでしばらくスルー。そろそろ行かねば怒られるかなというタイミングまで引っ張ります。
仕方なしといった感じで呼出に応じて控え通路まで行きますが、案の定待たされます。大会運営上仕方ないのでしょうが、もう少しこの待ち時間はどうにかならないものでしょうか。最初の呼び出しで応じていたら、さらに長い時間待たされていたと思うと恐ろしい。

J2,73kg級、3位決定戦の1試合目が終了。クランバエフ選手が韓国のキム選手に勝利したようです。

次は私の試合。相手はカザフスタンのノクシェフ。66kg級にいた19年から幾度となく同じ大会に出場していたのに、ここに来て初対戦です。
身長や手足の長さは相手の方が上。
攻撃のパターンとしてもオラザリウルイ選手と近いものがあります。

ただ、体の力自体はこちらの方が優勢なようで、相手の巻き込み系の技をはたき落としては待てがかかるというのを繰り返していました。
1分弱続いたこの展開に少し苛立ってしまいました。あちらからすると攻撃の意図があったのかもしれませんが、あの連発された巻込系の技はいずれも明らかに力のベクトルが下向きでぶら下がるようなものでしかありませんでした。また、体を固めて受ければこちらが組み手を切ろうとするまでもなく簡単に手を離してうつ伏せに倒れてしまいます。
1分もしないところで偽装攻撃の指導が相手に入りました。


そこから30秒ほど後、相手が右足でこちらの足を払い損ねたところに上半身で合わせて相手を転がしました。技としては隅落になるでしょうか。そのまま袖と前襟のまま袈裟固で抑え込みます。しかしこれは不安定で逆側へ逃げられそうになったので右手を離して相手の右腕を抱え、体を左に捻って左手で相手の左足を抱えました。後袈裟固。記憶にある限り試合で使ったのは初めてです。合技一本。

最低ラインとも言える表彰台は確保しました。3位です。

表彰式。
他国の国歌を聞く時間はやはり好きにはなれません。
今回も銅メダル。ブロンズコレクターであるのは昔からですが、そろそろ脱却したいものです。

どうでもいいことではあるんですが、表彰式最後の4人集まってのフォトセッションで隣の選手の背中に腕を回すのは慣習ではないのでしょうか。藤本さんが毎度されていたのでそういうものだと思って私もしているのですが、近頃の表彰台では私しかしていないような気がするのです。1人だけスキンシップが激しいやつみたいになってませんか…?
次からはやめようと思います。

あともうひとつどうでもいいことですが、クランバエフがなぜかウズベキスタンJ1,73kg級のマメドフの道着を着ていました。
本人になぜだと聞いたのですが、謎の言語(おそらくはウズベク語)で理由を話してくれましたがさっぱりわかりませんでした。
というか、ウズベキスタンとカザフスタンというのは言語的にもやはり近いようで、表彰台に乗った私以外の3人は待っている間にも会話で盛り上がっていて若干疎外感がありました。寂しい。
察してくれたのか時々彼らやそのコーチが声をかけてくれます。優しい。
写真を撮るなどしました。

この間ボランティアの子たちからも写真を求められました。彼女たちは拙いながらも日本語で話しかけてくれます。東アジア万歳!


脱線してしまいましたが振り返りは以上です。次は12月4日・グランプリ東京です。グランプリなので欧州勢も参加します。より厳しい闘いになるかと思いますが、次こそは優勝できるようがんばります!
引き続き応援よろしくお願いします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?