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ロゴスとレンマ(1) はじめに

ユヴァル・ノア・ハラリが著書「ホモ・デウス」の最終章で「データ至上主義」について述べている。「データ至上主義」とは、AI、アルゴリズム、ビッグデータの組み合わせが人類の知性を超えてしまい、ヒトは無用の長物になる、という未来観だ。
この「データ至上主義」は、その思考の大元に「ロゴス」が存在する。「ロゴス」とは、科学を生み出した人間の知性の根本を成す考え方で、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトス(紀元前540〜480年頃、上の写真)によって最初に打ち出された。その意味するところは、「自分の目の前に集められた事物を並べて整理する」ということだ。例えば「みかん」「りんご」「レモン」を1つずつテーブルの上に並べ、その違いを観察する。この3つはいずれも「食べられるもの」という共通の性質を持っているが、色も形も異なるので、各々に違う名前がついている。このように「ロゴス」は「言葉」と親和性があるため、整理して目の前に並べた事物は、言葉で表現できる。

一方で、人類は「ロゴス」とは別の知性、「レンマ」を産んだ。これもまた古代ギリシャ哲学の中で生まれたもので、「直感によって全体を丸ごと把握する」考え方だ。先の例で言えば、「テーブルの上に、みかんとりんごとレモンが1つずつ載っている」状態を全体として把握する。さらにはその部屋の様子、匂いなども含めた空間全体を五感によって捉える。
この「レンマ」は古代ギリシャで「ロゴス」とともに生まれた考え方だったが、他人への伝達が難しいため、西欧文明の発展の陰で廃れてしまった。しかしインドにおいては、古代ギリシャとほぼ同時代の紀元前5〜6世紀ごろ釈迦が創始する仏教の中で「縁起の思想」として確立され、その思想はさらに数世紀を経て「華厳経」として体系化された。
しかしその後この「レンマ=縁起」の思想は、仏教徒から一般社会への浸透は果たせず、この知恵の体系は再び地に埋もれようとしているかのように見える。

さて20世紀に入ると「ロゴス」は「科学技術」という形で急速に発展し、2000年代以降、AI+ビッグデータの科学的知性がインターネットを通じて人類社会のあらゆる局面に浸透してきている。例えば「食べログ」を見てレストランを予約し、Amazonでショッピングをして配達を指示し、オンライン会議で仕事をこなす、といった具合だ。これら全てに「ロゴス」の化身であるコンピュータシステムが社会に深く関与していて、すでに人類はその枠組みから外れることは不可能なように思える。

しかしここへ来て、中沢新一が挑戦的な本「レンマ学」を出版した(2019年)。ここには上記のような文脈のもと、「レンマ」について、南方熊楠、大乗仏教(華厳経)、脳科学、心理学(フロイト、ユング)などの視点から縦横に語られている。

そこでこの稿では、同書「レンマ学」や、これよりはるか昔に河合隼雄氏が華厳経とユング心理学との接点について考察した「ユング心理学と仏教」(1995年出版)を参照しながら、この人類が生み出した2大思想「ロゴス」と「レンマ」について考察してみたい。

中沢新一著「レンマ学」と河合隼雄著「ユング心理学と仏教」


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