SNS考①
SNSが自分の生活に欠かせないツールになることってそんなにはなかったというか、古くは2000年代のmixiから10年代のFacebookまでハマるものはなく(例外は一時期のMeetup。これはそのうち書こう)、ちょこっと使ってもういいやとなった。
Xは何だかんだよくできている。銭湯寄りだけどサウナもいいよね的なポジショニングの垢に居心地の良さを築けた。面白いのは、温浴だけをとっても銭湯とサウナと温泉で界隈がすみ分けられている。相互浸透しつつもやはり基本的なテイストが違う。相互浸透の度合いで各々の垢の個性も出る。
今年前半に病気した後の療養フェーズではやはり温泉に行きたくなって、温泉界隈を眺めていたが、気に入った温泉地のカラン写真をあげようぜみたいなタグで盛り上がっていて新鮮な発見があった。
いろんな界隈があるが特定の界隈への帰属意識を持たない方がよい。最近の企業理念のDE&Iじゃないが、多様で公平で包括的で風通しがよい環境に身を置きたい。単一コミュニティよりコミュニティーズの方が、趣味の幅も広がる。
XがSNSとしてやはりよくできているのは、多様な人とつながっておくと、そういう界隈間のバランスみたいなものがアルゴリズム的に程よく修正されてTLに現れてくる。技術的にはグラフネットワーキングといい、レコメンデーションとはちょっと違う。
よく自分の関心のあるローカルな話題が「トレンドに乗った!」とうれしがっているポストがあるがそれは当たり前で、自分の属している界隈、自分のつながっている人たちのサークルで瞬時的に盛り上がっているトピックが入りやすい。グローバルなトレンドと界隈トレンドがほどよく混じる。
アルゴは万能じゃないので極端に走ることもあるし、ミクロで見ると変な挙動やエラーを起こすことも多い。
あるときサ室で森高千里の「渡良瀬橋」がかかっており、その空間に自分一人しかいなかったのでしんみりと感動し、Xでつぶやいた。
そうすると森高好きの人からフォローされ、フォローバックしてみたら直後から自分のTLが森高だらけになった。ほとんどがそのフォロワーさんのリポスト。ようは、「森高」とキーワードのついたポストをかたっぱしからリポストする垢だったのだ。
申し訳ないがその垢はミュートさせていただいた。
人でなくキーワードミュートの方が対応としてソフトであるかもしれない。
ただしその場合、キーワードが「森高」となり、結果的に森高千里をミュートすることになってしまう。
それはまずい。私のTLに今後一切森高千里が現れなくなり、森高が結局いつオバサンになるのか私は永久にわからないではないか。森高界隈からの情報も適度に摂取したい。ということで森高より一人の森高狂をミュートする決断となった。
TLに出てくる情報に制限を加えすぎず、自分にとって興味ない情報も遮断しない。興味なくてもいつのまにか刷り込みされて好きになってくる楽しみみもある。一方で、同じような情報が過剰にあふれる状況はコントロールする。こういう機能が設計に組み込まれているのがXのよいところ。
もちろんXだけでなくほかのSNSも真似しているから機能は似てくるのだが、ThreadsにしてもBlueSkyにしてもやはりUIのジェネリック感が「貧弱!貧弱ゥ!!」であり、継続する気になれない。皆そう思っているからこそなかなかオルタナXとして定着していない。
イーロンが悪手を打ち続けてどこかで雪崩現象が起こる可能性はある。そのとき覇権を取るのが何かはわからないが、意外にRedditあたりがくるかもしれない。欧米のアカデミアでもSNSの研究はXからRedditへの流れの兆しがちょっと見える。
閑話休題。
そんなわけでXでの呟き、ゆるい絡みが自分の生活に根を下ろしている。
SNS疲れみたいなのはあまりない。うまい飯と温浴施設の画像を機械的にぼけーっと投稿し続ける人畜無害アカウントに徹することが単純に楽しい。
たまに飽きて数日放置して開いたらフォロワーさんの投稿でまたスイッチ入ってあらいいですね、ってなっていいね押し合って。ホイミの掛け合いというかポーションの投げ合いというか。
そういうゆるい居心地の良さに助けられている。
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