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媒体に左右されない「かまいたちの売れ方」が理想的で現代的

現在、爆売れしまくっているかまいたちさん。

「いつかは売れるだろう」と言われ続けていましたが、さすがにここまで爆売れするとは思いませんでした。

同業者から面白いと言われていれば、いつかは売れる。
お笑いの世界の"あるある"として長年語り継がれておりますが、それは時代を超えて変わらなかった。
かまいたちさんの大躍進は、その典型的なパターンに当てはまります。

今さらかまいたちさんが売れている話をしても周知の事実なので何の意味もないのですが、ここで記しておきたいのは「売れている事実」ではなく「売れ方」

おそらくは、ほとんどの芸人が一度は憧れる「真ん中をこじ開けて売れていく」という1番カッコいい道を爆進している。

ただ、一言で「真ん中」と称しても、この「真ん中」という言葉の意味は時代と共に変化する。

一昔前なら、真ん中をこじ開けて売れることはテレビスターになるのと同義語だった。

いわゆる、とんねるずさん、ダウンタウンさん、ウッチャンナンチャンさんなどを代表する、お笑い第三世代と呼ばれる世代の芸人さんたちがテレビ画面を通して感度の高い若者のハートを刺しにいき、その色合いは強くなった。

テレビのゴールデンタイムに自分たちの名前がタイトルについた冠番組。
それこそが、1つの夢であり成功の定義だった。

その流れは長期に渡って続いており、今なお終わってはいない。

だが、確実に意味合いと価値は昔と違う。

お笑い第三世代が強烈なムーブメントを巻き起こしたのは当時の若者たちをターゲットにして熱狂させたからだ。

現在の若者たちはテレビ離れを起こし、時代の変化と共にテレビがオンリーワン媒体ではなくなった。

一昔前のメディアは、本当にテレビかラジオしかなかった。

限られた枠を奪い合い、若者を熱狂させるカリスマを作り出す。
選ばれし者たちのメディアとして、テレビは絶対王者として君臨してきた。

だが、今は全国民が何でも好きなように発信できる時代。
発信や表現できること自体に特別感がない。
スマホかパソコンがあれば、すぐ世界中に向けて自分のエンタメを届けられる。

常識と習慣が移りゆく中で、芸能の価値観は大きく揺らいだ。

現にプロのタレントがYouTubeに参入しても、既存のユーチューバーのほうが視聴人数が多いなんてことはザラにある。

ちょっと前には考えられなかった逆転現象が昨今起きた。
文化も風習も評価基軸も全て違う。
ある意味、異国で起きているカルチャーが若者文化の中だけに存在し、大人からは全く知名度のない人気者を作り上げていた。

たまに芸能人がYouTubeに参戦することによって、認知タレントか人気タレントかが可視化されるといった意見を見かけます。

ようするに、知名度はあっても人気がなければYouTubeで登録者数は増えないと。
リアルな数字が出るので、本当に人気者なのかが真に問われると。
そういった時代を見透かしたような意見を時折散見しますが、それは間違っています。

先述したように、文化、風習、評価基軸、全てが異なるように国自体が違うのです。
実際にも国が変われば、何もかもが変わります。
紙幣が変わり、言語が変わり、法律が変わります。

単純に、その国にハマるかどうかが問われるのです。

人気とか認知とかで語れるほど単純なものではありません。
その理屈でいくと、ユーチューバーのほうがプロのお笑い芸人よりも人気があるということになります。

実際、ユーチューバーの中に人気者はいますが、それはYouTube文化に慣れ親しむ国の住人の票を集めているだけの話。

劇場で有料のお笑いライブをやるとなれば、お笑い芸人のほうがユーチューバーより人を呼べます。

良い悪いの話ではなく、何もかもが別物なだけ。
文化も風習も違う国同士を比べることが不可能。

ただ、国こそ違えど1つの指標だということは間違いない。

もっと言えば、Twitterのフォロワー数やインスタのフォロワー数だって、国は違えど1つの指標。

簡単に言えば、何を持って時代の寵児なのか分かりづらくなったのが今の時代。
人気者の定義さえも多様化されたのです。

しかし

ここへきて、理想的かつ現代的な露出の仕方をしているのが、かまいたちさんである。

時代は変われど時代を超えて変わらないものもある。

まず、かまいたちさんが世間からも玄人からも評価されたキッカケに着目したい。

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