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「嫉妬」で逃げさせないため意見する際の「言葉使い」と「矛先」に気をつける

「嫉妬」という言葉…

「嫉妬」という言葉を使って結論づけてしまえば、上手に逃げ場を作れる魔法の言葉に思える。

高級ブランドが、人気ユーチューバーとタイアップしたとのニュースを受け、「ブランドが安っぽくなった」「もうそのブランドは買わない」だのと少し物議を醸したニュースがありました。

この起用に対する自分なりの考えは一旦置いといて…

ある人がこの物議を醸している現象に対して、「そのユーチューバーへの嫉妬」だと言っているとのこと…

さすがにこれが嫉妬から生まれた現象ではないことは発信した本人でさえも分かっているはずなのですが、本来賢いはずの人でさえも変な間違いをしてしまう不思議。。。
なぜ、こんなカオスなことが起きてしまうのか。

タイアップのキャスティングの是非は置いといて、この話が勃発した根源は組み合わせの妙にある。
誰も悪くないのだが、組み合わせが悪いことは大人なら誰でも理解できる。

そのハイブランドには歴史も格式もあり、長年にわたって築き上げた文化があり信頼がある。
なぜ、商品の値段が高額なのか?お客さんは何にお金を支払っているのか?
そこには、ある種の別格として長年君臨し続けている安心感と高級感に知名度も付随され、何より圧倒的に洗練されたデザインや品質にも魅了されている。

トータルで築き上げられている特別感に価値を感じているがゆえ、譲ってはいけないラインもハッキリと存在している。

起用されたユーチューバーへの嫉妬だと言っていた人は、そのタイアップは若年層向けにマーケティングした結果だと言っていたが、そんなことは誰にでも分かる。意味もなくタイアップする人を選ぶはずがないのだから、それは言われなくても分かるのだが、、、
そんなことは全て前提の上で物議を醸している。

ようするに、この話は
リッツ・カールトンホテルの中に鳥貴族が入ってしまったようなことなのだ。
リッツ・カールトンは格式ある素晴らしい高級ホテルだし、鳥貴族だって若者から人気なお店なのは間違いない。
それぞれに違う方向を向いてはいるが、どちらも凄いことは確か。

だけど、リッツ・カールトンに入るレストランの中に鳥貴族が並んでいれば、異を唱える人だらけで溢れかえることは容易に想像できる。
「鳥貴族を食べたい時だってあるかもしれないけど、リッツにまで来て食べたくないんだよな…」
「鳥貴族は嫌いじゃないけど、リッツにはあってほしくないよね…」
誰だってそう思うのは当たり前。
これは良し悪しの話ではなく、TPOのようなものは想像以上に大切。
若年層への訴求も大切だが、格式をキープしたまま裏切ってこなかった歴史がハイブランドがハイブランドであり続ける所以でもある。

万が一、リッツに鳥貴族が入ったとして物議を醸したとなった場合「それは鳥貴族に嫉妬してるだけ!」と言う人は、きっと皆無。
だから、「嫉妬」という言葉で反論するのは大間違いであり、物事の本質から目を背ける行為にもなる。
今回の高級ブランドのタイアップの件は、対象が人だったからこそ、嫉妬という言葉を使いやすかっただけの話。

簡単に言えば、
物議を醸した発端は高級ブランド自身が自らの築き上げてきた歴史、文化、ブランド力、高級感、特別感、信頼度、、、
世間からの評価を見誤っていることにある。

それら全てを踏まえた上で、
変に間違った反論を封じ込めるため必要なのが、言葉使いと矛先を正しく向けること。
ようするに、話の本質がズレる根幹には
ユーチューバー自身を揶揄するような発言をネット上でしてしまうことに大きな原因があるような気がしてならない。
もう、そうなった時点で論点は変わってしまい、全く関係のない方向へと話は転がり始める。
そのユーチューバーはブランド側からオファーされただけであり、何も悪くない。人それぞれ好き嫌いはあったとしても、ネット上で批判意見を書き込まれる筋合いは1ミリもない。

意見は大切だが、言い方一つで無効票にもなりえる。矛先を間違えれば、話の焦点がボヤける。

言い換えれば、「嫉妬」という言葉で逃げさせる隙を与えてしまっている。
論点がズレてしまうことは誰にとっても建設的ではない。
間違った意見を正そうとしたところで、「君のその言葉の汚さのほうがよっぽど間違っているよ」と言われたらぐうの音も出ない。

つまり、正しい意見を聞いてもらうためには、矛先を間違わずに正しい言葉使いをしなければいけないということ。
矛先は間違わず、言葉使いは正しく丁寧に。
自戒も込めて。

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