見出し画像

<まとめ的な書評>次の世代に伝えたい本

 還暦を過ぎて、(そんなことはないと、最近悟ったが)世間の人たちは既に読んでいるものと確信して、それに追いつくため自分が必死になって読んできた本は、もう世代が変わることもあって、次の世代(つまり、私の年の半分以下となる子供たちの世代)には、未知なものがけっこうあることを実感している。

 だから、なにかエラそうで、大変におこがましい、余計なおせっかいでもあると、重々自覚してもいるが、(やっぱりどこか「エラそうな」感じで)私が特に高校生から大学生に紹介することをイメージして、以下の本を紹介させていただく。

 いちおう「エラそう」でもあるが、自分としては少しばかり長生きして、少しばかり多種多様な経験をさせてもらった者としての、次の世代に引き継ぐ使命感みたいな気持ちもあることを付言させてもらう。

 なお、はからずも10冊となった本稿には、便宜的に数字を振ったが、この数字には深い意味はない。ただ、難しい本を最初に紹介し、最後にそうでない本を紹介するようにした。また、このうちの数冊については、既に<書評>としてnoteに掲載済みだが、敢えて重複を気にしないで掲載させてもらった。

1.『野生の思考』(フランス語原文「パンセドゥソバージュ」を直訳すれば、「野蛮人の考え方」) クロード・レヴィストロース著

 書名からすれば、文化人類学の本のようだが、内容は哲学書。フランス人自らが、ヨーロッパ人の偏った自己中心的な世界観を否定してみせた記念碑的作品。物事は多角的多面的に見ることが重要だと教えてくれる。共時性の軸(空間、現存在)と通時性の軸(時間、歴史の流れ)という概念を、この本で教えてもらった。

2.『ファウスト』 ゲーテ著

 手塚富雄訳を読んで、とても面白かった。人造人間(ホムンクルス)を創造する大科学者(19世紀的知の最先端)と、現代社会にこそ痛烈に響く皮肉を連発する頭の冴えた悪魔メフィストフェレスの掛け合いは、日本の漫才芸よりはるかい面白い。白眉は「ワルプルギスの夜」の場面で、悪魔や魔女が八面六臂の大活躍をする、これほどのスペクタクルな描写を私は他に読んだことがない。ハリウッド映画が映像化したら、絶対に面白いと確信している。

 有名な言葉を二つほど紹介したい。
「時よ止まれ、君は美しい」
いつだったが、オリンピックの標語に使われて、日本でも有名になった。原著では、スポーツに限定せず、人間が存在することの素晴らしさを表現している。

「そういう人が私は好きです、不可能を追う人が」
私が人生に悩んでいた若い頃から、苦しい時に励まされた女神からの言葉。人は、一つの言葉で救われることもあると実感した。自然界の女性原理(登場人物では、グレートヒェン)の重要さがよくわかります。つまり、電流は+と-があるからこそ流れ、モノに作動できるわけです。

3.『ゴドーを待ちながら』 サミュエル・ベケット著

 複雑な文化と歴史が交錯するアイルランド生まれの、英語と仏語の2通りで作品を発表したノーベル文学賞受賞者の代表作。小説と戯曲の両方で秀作を作った(小説は英語版が先で、戯曲は仏語版が先)が、真価は『ゴドー・・・』のような戯曲にあると思うし、こちらの方がより理解しやすい(小説は、アイルランドの先達ジェイムズ・ジョイスの延長にある複雑な構造と言語表現になっているので、かなり難解)。

 ところで「理解する」と書いたが、ベケットの作品は他の現代美術がそうであるように、「理解するもの」ではなく、「感じるもの」だ。そして、この「ゴドー(Godot)」は何かを考えてみるのが、一番楽しい「感じ方」だと思う。

4.『ナインストーリーズ』 ジェローム・デイヴィット・サリンジャー著

 元都立大学英文科教授野崎孝の訳が優れていると思うし、私はこの翻訳でサリンジャーに心酔してしまった。本書とは別の作品ではあるが、高校1年生の頃、「フラニー」のフラニーに真剣に恋していた。翻訳を読んでから、のちに英語を多少とも勉強して原文を読むと、たいていは「この訳し方、ちょっと合わないな」という印象を持ってしまうものだが、野崎訳については、少しも違和感がなかった。時代(1950年代後半アメリカ東海岸の中産階級)と言葉(1970年代の日本文化)とが一致していたのだと思う。
 
 長編『ザキャッチャーインザライ(ライ麦畑で捕まえて)』で有名な作者だが、サリンジャーは、アーネスト・ヘミングウェイ同様に長編には秀作がない、優れた短編作家だと思う。今でも大変な人気作家なので、英語版はいつでもどこでも手軽に入手できる。

5.『林達夫著作集』 林達夫著

 私の学問の師匠と、19歳の時からずっと勝手に崇拝させてもらっている大学者。世間的には、平凡社の大百科事典を編纂した「日本の百科全書派」というべき啓蒙主義者だが、本来は優れた西洋文化研究者。特にルネサンス文化の造詣と考察は、ヨーロッパの学者に引けを取らない。その饒舌で闊達、雲霞の如くの蘊蓄と重層的比喩に溢れた、絢爛華麗な文章は、晩年の傑作「精神史」に象徴される。このような文書を書きたいと、ずっと願っている。

6.『禅と日本文化』 鈴木大拙著 北側桃雄訳

 日本の著名な禅僧であり、イギリス人の妻を持つことから、英語で禅と日本文化を紹介したのが、この本。したがって、原文は平易な英文であり、これを弟子が日本語訳したため、かなりわかりやすい文章になっている。

 なお、禅について多くの言葉を費やしても、空回りするだけで、その本質に迫ることは不可能なので、本書にある芭蕉の俳句を引用させてもらう。

やがて死ぬ
けしきはみえず
蝉の声

7.『とらんぷ譚』 中井英夫著

 トランプの4種類のカード52枚+ジョーカー2枚を加えた、54編の連作短編小説集。4種類のカードは、それぞれ独立した小説にもなっている。お薦めは、『幻想博物館』の「チッペンデールの寝台またはロココ風の友情について」。この題名だけで、作者の趣味・趣向がよくわかると思う。中井も優れた短編小説家だが、長編作品では、日本の推理小説ベスト10に必ず入る『虚無への供物』が有名。この作品で、東京には目黒(不動)、目白(不動)以外に、目赤(不動)、目青(不動)があったことを、初めて知った。

8.『吉田一穂詩集』 吉田一穂著

 独特の研ぎ澄まされ削り取られた究極の言葉使いから(同時代のサミュエル・ベケット作品にも似ている)、詩壇からは正当に評価されなかった孤高の詩人。「海の聖母(マドンナ)!」とか、「亡くしたサンタマリア号の設計図」などの表現にしびれた(参考までに、サンタマリア号とは、クリストファー・コロンブスが新大陸航海に使った帆船の名前)。

 孤高とはいいながら、唯一「母」と題する以下の短詩は、比較的有名だ。( )内表記は原文ではルビを使用。

「ああ、麗しい距離(ディスタンス)
 常に遠のいていく風景
 哀しみの彼方、母への
 捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)」
 
 季節は、少し肌寒い春の初めだろう。久しぶりに田舎に返り、墓参りをする。家の古びた窓から煌々と光る月を見ながら、実家に残された母が愛用していたピアノを「ポーン」と弾いてみた。その音の響きと母への郷愁とが、不思議と一致して、遠く切ない気持ちが湧いてくる。そんな詩だと思う。

9.マンガどうわ『なんじゃもんじゃ博士 ハラハラ編&ドキドキ編』 長 新太著

 別役実という劇作家がいるが、読み方がわからないという人がいる。つまり、別+役実か別役+実か。正解は後者で、さらに「べつやく+みのる」と読む。この別役さんは、日本のサミュエル・ベケットと称される優れた劇作家で、そして、長新太のお友達だ。ちなみに、こちらはわかりやすいと思うが、長+新太で「ちょう+しんた」と読む。本名は鈴木しゅう(秋の下に手を書く漢字)治。芸術家というのが正しい肩書だが、童話・絵本作家として著名。したがって、童話・絵本作家として活躍した20世紀の現代芸術家というのが良いと思う。

 頭と心がちょっと疲れたなと思ったら、長新太の絵本を読みたい。どんな薬よりもよく効きます。やがて、「ピー!」という鳥の声とともに、初夏の爽やかな高原の風が、心地よく吹き込んでくることでしょう。

10.絵本『ゆきが やんだら』 酒井駒子著

 題名通りの子供(ひらがなとカタカナが読める年齢以上)向けの、文章も絵も心温まる絵本です。主人公のうさぎの母と子が、帰宅するお父さんを待つというそれだけのストーリーですが、うさぎだからかも知れないが、自分の妻と子に見えてしまい、(職場や居酒屋にいなくとも)早く家に帰りたいと思ってしまう。

 特に子供が凄く愛らしくて、2歳児の姿をよく知っていると感心してしまいます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?