言葉を書くことを好きになって欲しい話

今の選択は正解だった。

どこかにそう書かれていたり、言われてたりすると、間違った経験はできなかったけど、本当にそれで良かったのと思ってしまうことがある。限られた時間だから、できるなら苦しい時間は避けたいと考えるのは当然かもしれない。ボクが正解と感じられる選択をしたと言い切れるものがないから僻んでいるだけなら良いのだけれど。

ボクは失敗することから逃げてきた。今が正解だと胸を張れなくて、そんな自分が嫌になるときもある。だけど、子どもたちは、ボクがそんなことを考えているなんて知らなくて、ひらがな練習用にボクが紙に書いたお手本を見てケラケラ笑っていた。

B5ノートを1枚ちぎり、半分に切ると縦列にマス目が9つできた。「あいうえお」と書くと、4マス余った。そこに字のバランスが難しい「あうおえ」と順不同で書いているのを見て、「あいうえおあうおえ?? キャーーーーなにこれ? 変なのーー!まちがってるやん!!」とはしゃいでいた。まさかこれがウケるなんて思わなかった。「は行」まで書いていたから、2人が落ち着くのをそっと見守った。昨晩、21時半、夜更かしの時間帯に眠気が覚めるようなイベントを作ってしまったと焦ったけど、笑い疲れてすぐに眠ってしまった。

印刷すれば練習用のお手本なんて簡単に作れてしまうけど、ボクが通っていた書道教室のことを思い出して、お手本は手書きじゃなきゃダメだと思い作ることにした。まだ朗読して笑われただけで1文字も練習してくれていない。タブレット端末の文字を見るより、紙の上に鉛筆で書かれた文字を見て欲しい。ボクがタブレット端末を利用した教材に抵抗があるから、なんとかして手書きに興味をもってもらいたいと思っている。これが正解なのか分からない。ただ、笑ってくれたから導入のハードルは低いかもしれない。

次は、「吾輩は猫である」のような小説から、子どもたちでも親しみやすい言葉が含まれた文章を書いたり、「ありがとう」のような日常生活で大切にしたい言葉を書いたりしたい。今はまだ文字を綺麗に書けるようになって欲しいというボクの想いだけが先行しているけど、大人になって「書道を経験しておけばよかった」と後悔させないために、ボクのできることを細々と続けたい。

昔、総務課に市役所へ提出する資料を書いてもらったとき、あまりにも貧弱な字で「大丈夫?」と心配になったことがある。書道師範のような字は求めないけど、整った文字は読む人に安心感を与えてくれる。子どもたちが客観的に自分の字を理解するのは、学校の授業がキッカケになることが多そうだけど、それより前から書道に触れる機会はつくってあげたい。

あと20年経っても、文字を書く文化がなくなるとは思えないし、むしろデジタルからアナログへの回帰が促されているような気もする。技術が進んで、ペンタブでも紙に鉛筆で書く感触が忠実に再現できるようになっているかもしれないし、勝手に美文字に補正してくれる機能もあるかもしれないけど、記帳など手書きの機会がゼロになることはない。そのためだけに練習するのかと思われてしまいそうだけど、自分の字が綺麗だと言葉をたくさん書きたくなる。ボクはそう感じるから、子どもたちも気持ちを言葉に書き出せるようになって欲しい。親のエゴかもしれないけれど。

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