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闇に光る遊園地

わたしは暗闇の中でこんなに燦々と灯りを発光させている遊園地を見たことがない。
遊園地は夕方になると閉園の音楽が流れて夜になると閉まり、家に帰らなければいけないのがお決まりの流れ。
わたしが今日見たのは、夜から始まり、帰るのを忘れさせてくれるほど、夢中にさせてくれる遊園地だった。
夜=帰る=寂しい
という流れを打ち消してくれるグループ。
その名もSEKAI NO OWARI。
私がまずいちばん初めに衝撃を受けたのは、
スターライトパレードのMVを見たときだ。
夜眠れない夜に部屋から抜け出し、ふらふらと歩いてたら燦々と光る音楽のパレードを発見するという内容。
夜だからって寝に帰らなくてもいいんだ、眠れなくてずっとパレードに参加してても誰にも怒られないんだ、と思える。
私たちは時間でたくさん縛られていて、疲れるということすら感じることもなくなっている。
でも実際はかなり疲れていて、自由に飢えている。
「現実から逃げてはいけない」
けっして待ってはくれない「時間」からそんなふうに囁かれているようだ。
そんな現実とはうってかわり、
自由に開いてるので気軽に聴きに来てね、というふうに何からも縛られずにお互いが居れる空間という発想が本当に素敵。だからこそ夜にやるパレードなんだろう。
こんなことが起こることはまずないからこそ、理想であり、幻想的な空間になっているのだが、それが実際のライブでも全く同じ体験ができる。
闇の中にたくさんの人がいて遊園地の中でみんなが同じ体験をする。
孤独じゃないし、嫌なことや不安なこと全てそのときは忘れさせてくれる。
誰もが夢の中で見た、憧れとトキメキと優しさで充満した暖かい気持ちになる。
「夜」もいいな。と思えるのだ。
そんなあたたかい気持ちにさせてくれるのは、セカオワの作り出す雰囲気や音楽、フカセの声など全てに詰まっている。
どうしても「夜」に執着してしまうのだが、
やはり、セカオワの舞台セットや歌詞のベースが夜や夜の森の中など、基本暗闇なのだ。
セカオワの根源がなんなのかフカセに聞かないとわからないが、
そのひとにとっての自由を持つこと
があると思う。
自由の幅はそれぞれ違うと思うけど、現実ではなにかしら少なからず縛られていて、唯一「夜」は一日の中で限られた自由なのだ。
ただ多くの人はその自由でさえ、不安やネガティブなことで蝕まれていることが多い。
朝夜の繰り返し
と白昼の夢でフカセも歌っているが、夜が過ぎたら朝という絶望感を抱く人は多いのではないか。
歌の力は私たちの生活に絶大な影響を与えていると思うが、セカオワの曲はただ単に応援ソングではなく、夜をどうしたら乗り越えられるだろう、といったようなフカセ自身の実体験的な、親近感を覚えるのだ。
フカセを見てピーターパンを思い出すのはそういうことだ。
眠れない夜に抜け出しても大丈夫、
常識を常識と受け止めず考える、
そういうのはたしかに現実的じゃないけど、
優しさや思いやりの区域だ。もっとあってもいいんじゃないかなと思う。
星新一ならそんな世界を描いてくれそうだな。なんて妄想するのが楽しい。
明日も仕事だし寝なきゃ、といつものようにまた夜に急かされている。
でも今日は自由になれた。
普段考えないことを考えられた。 
それは、ノートとペンを買いたいなと思ったこと。それも可愛い色のペン。
なにを描きたいか想像した。好きなことを描きたいと思った。そんなんスマホでもいいじゃんと思ったが、それはなんか違う。
スマホには自由が少ない。文字も自分のものじゃない。色も選べない。感情もない。
自由は思いっきり自由でないと自由じゃない。
人は思いっきり自由になれたとき楽しいんだなと今日学んだ。
思いっきりというのは些細なことでもいい。
そこに意志があれば。
特に考えがなくてもいい。無意識に意志が働くこともある。
最後に今日食べたもの
朝 ドーナツ
昼 コンビニのおにぎり、コンビニチキン、東 
  京ドームのホットドッグ半分、サーティワ 
  ンアイスクリーム
夜 コンビニのナポリタン、オレンジジュース
なんか、ほぼコンビニだけど、やっぱ非日常な体験をしたからか、コンビニ飯でも楽しかった。

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