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自分にも他人にも一貫性を求めすぎるな

今回の記事では「自分にも他人にも一貫性を求めすぎるな」という内容を書いていきたい。

スポーツ現場に関わるトレーニング指導を行ってきて20年。

 振り返ってみると、私の周りで結果を出す人、出してきている人には、朝令暮改というタイプの人がすごく多いことに気がついた。

朝、言っていたことが、夕方には「ちょっと待って。◯◯と話してみたんだけど、あっちの方が絶対に良いから、こんな風に変えよう。」みたいなことを堂々とできる人が多いのだ。

 藤田文武氏に学ぶ朝令暮改型リーダーの流れ

 私の戦友の1人、大阪維新の会の幹事長を務める衆議院議員、藤田文武氏もそうだ。

タチリュウコンディショニングジムというスポーツジムと整骨院併設の施設を一緒に立ち上げたが、そこを始めたときはそもそもマニュアルがない。

その中で、こうやっていこうという風に前日に決めたことがあっても、翌日の昼ご飯を食べながら「弘田さん、ちょっと言ってたあそこのところの受付の対応を変えますわ。こっちの方が絶対いいです。電話対応だと、…」みたいな感じだった。

 「えー、マジで!?あんなに話し合ったのに…。」と思いながらも、やってみたらそっちの方がいいよねということは、山ほどあった。

 他にも「ちょっと1週間、これでやってみませんか?」なんて言われて、整骨院とジムの連動を試してみて、「やっぱり前の方がいいですね。戻しましょう。すいませんでした。ちょっと試してみたかったんで…」みたいなことを日常茶飯事で行っていた。

 

こういった体験を通して、やはり正解思考というよりは、どんどんやってみて、より良いものかどうかという実験思考というか、仮説思考みたいなもの。

こういった思考こそが大事なんだな、という学びを得たような気がする。

 朝令暮改型のリーダーというのは、30年前や20年前、10年前と比べると、その比率は今、どんどん増えているいう感覚がある。

そして、その理由の一つには、世の中の常識やセオリーが、ものすごいスピードで変わってきているから、なのは間違いないだろう。

 

銀行のあり方の変化とスマートフォン後の世界を改めて

 わかりやすい例が銀行の役割だ。

30年前であれば銀行に入れば安泰であり、お金も銀行に預ければ年率が3%、バブルの時期には最高で7%ということもあった。

100万円を預ければ、何もしなくても1年間で107万円になるという時代。銀行に預けてさえいれば、投資のことやお金の価値を考える必要がなかった時代もあったわけだ。

今は銀行をどういう風に使うかというのは、正直難しくなってきた。今後、銀行がどんどん増えていくとか、役割が増えていくイメージは誰も持っていないだろう。

劇的な変化の他の例は、スマートフォンの発達も挙げられる。iPhoneが初めてできた時に、素晴らしいと言った人は、100人のうちの10人もいなかったのではないか。

 そもそも、スマートフォンをどれだけの人が持つのか?電話として掛けづらいのになぜ?という反応だったのだから。

 結果的にスマホの普及により、一般的に販売されていたカメラがどんどん不要になっていったことは驚きだったし、QRコードというシステムの広がりは信じられないスピードだった。

 今では飛行機も紙ではなく、QRコードで搭乗できるようになり、ライブ・コンサートやスポーツ観戦もQRコードが基本になった。そもそも、お金を持たずクレジットカードも使わずに、スマートフォンさえ持っていればQRコードで決済できてしまう。

そんな世の中が来るなんて、2000年前後、アメリカから帰ってきたばかりの24、25の私には全く想像もついていなかったのだから、隔世の感がある。

 

ルールチェンジ対応に邪魔な一貫性へのこだわり

こういったルールチェンジに素早く対応しアレンジができる、いわゆるジャズ型のプレーヤーが求められるようになってきているのを強く感じる。

 しかし、生真面目な人ほど一貫性にこだわる傾向がある。

例えば、「スマートフォンなんて使わない。」と言っていた少し年配の方。

本当はスマートフォンが便利そうだし、今ではらくらくフォンなどの小さな文字ではなく、年配の方でも分かりやすく使えるスマートフォンがあるけれども、頑なにガラケーを使い続けている、みたいなケース。

ガラケーを使い続けることが悪いことではない。
本当はスマートフォンが便利そうだし、使ってみたいけれど過去に、
「あんなもんは若いもんだけが使うものなんだよ。年寄りがあんなもん使うなんて、みっともないだけだ!」
と、大見得を切ってしまった手前、その一貫性に拘ってしまう。

そんな心理状態が問題なのだ。

周りの人からすれば、苦笑いしつつ、「結局、あの人もスマートフォンにしたねぇ…」ぐらいで済むはずだが、本人は一度言ったことに対する一貫性を保ちたくて、行動を変えられないわけだ。

 これを「外集団同一バイアス」というそう。このバイアスが、意外と我々を縛りつけてしまう。特に保守的な人ほど、なかなか変えることができない。

 

バイアスは「一種の手抜き」

一貫性を求めすぎると、結局、窮屈になってしまう。わかってはいるけれど、なかなか解消方法を見つけるのは難しいだろう。

 そんな人が知っておくべきなのは、バイアスはそもそも一種の手抜きだという事実。脳が楽をするために、こういった時にはこうやって反応する、こういったことにはこうやって答えを出す!といった自動化の仕業であり、一次処理なのだ。

自分の頭を使ってしっかりと咀嚼して考えるということをしていないので、「あれって駄目だよ!」と反射的に言葉が出たりする。

 もしあなたが、何かの事項やサービスに対して、思わず口を衝いて出た経験があるなら、そんなときは要注意だ。

 頑なに、

・これはこうでしょ?
・こんなのおかしい!
・そんなことを発信するやつは間違っている!!

…白黒をはっきりとつけたがるような、一貫性を求めすぎるのは、今後の世の中においては致命的。

周りの人たちと力を合わせて協業するような、アライアンスを組める可能性も間違いなく下がるだろう。

 

まとめ

 アラフィフの年齢となった私は、30代以降、だんだん周りから注意していただいたり、親身にアドバイスをしていただけることがグンと減ってきた。

 中年以降の世代ではなおさら、「自分にも他人にも一貫性を求めすぎない」というのは、今後ますます大事な姿勢になるのではないか、と感じている。

 あなたはどうだろうか?一貫性や矛盾のなさにこだわりすぎてはいないだろうか。

 今一度、自問自答してみてほしい。

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