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失敗学のススメ~読売ジャイアンツ球場の右中間~

そろそろ時効ということでいいだろうか?
そんな今だからこそ話せる話題を文字にしてみたい。

気がつけば15年以上前の出来事だ。テーマとしては『失敗学のススメ』ということで私の体験を基として、ちょっとした提案をしていきたい。

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上手な転び方を学ぶように失敗しよう

仕事をしていく上で、まだ指導してもらえる若いうちほど、恥をかいたり、失敗をしておいた方が良い。これはよくいわれることであり真理だ。

ただ上手に失敗しておかないと、1回の失敗で致命傷になるような大きなミスや取り返しのつかないような失敗をすることがあるかもしれない。

やはりちょこちょこと小さな失敗をし続けていって、柔道の受け身のようなテクニックを身につけること。これが必要になってくるのだ。

その上で問題があった失敗に関しては適宜修正していき、同じような失敗を繰り返さないようにしたい。

経験なしにそのサイクルを回すことはできないので、致命傷にならないレベルで、やはり上手に若いときに失敗を重ねて欲しい。

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私が20代でやらかした大きな失敗

思い切った失敗は後々活きてくることもある。

そんなことを伝えるために、20代で私がやらかした失敗談というか、問題を共有させていただこう。

2005年のことだ。私は千葉ロッテマリーンズというプロ野球チームの2軍のチーフコンディショニング担当としてトレーニング全般を管理していた。

当時29歳の若造。まだまだ頼りない若手スタッフではあったが、その年がロッテでの仕事に就いてから3年目のシーズン。そろそろ独り立ちし信用してもらえる実績を築いていきたいと張り切り、同時に大きな重圧を感じながら日々を過ごしていた。

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ゴールデンウィークに入り2軍の試合も7連戦のスケジュールになっていた。

1軍予備軍も多く抱えていて、当時このタイミングでの怪我人を出す事はなんとしても避けたかった。

疲れが見え始める一軍から、二軍から戦力になりうる選手たちが招集される時期だからこそ、そのことを最優先に考えていた時期だったのである。

ゴールデンウィーク初戦の相手は東京読売ジャイアンツ。ここから3連戦というタイミングだった。

当時の千葉ロッテの2軍監督は60半ばを超えた大ベテランの方だった。洒脱で理解のある監督だったが、この世代の方にとって読売巨人軍との対戦は特別だった。

事あるごとに「ジャイアンツにだけは2軍とはいえ恥ずかしい試合はするな」とおっしゃったりしていた。

しかし7連戦の初戦のゲームは試合内容としては最悪。先発投手が四球を連発し、序盤で7点差をつけられていいところがほとんどない試合となってしまった。

事件が起きたのは試合終了直後である。

顔を真っ赤にした監督が選手全員を集めると、「なんて恥ずかしい試合をするんだ。全員で外野を走ってこい」と罰走を命じたのである。

一軍ではボビーバレンタイン監督の下、良くも悪くもアメリカのベースボール文化が広がっていた当時。そもそもプロの集団をまとめて罰として走らせるというのが、私にはどうにも我慢ならなかった。

私自身もトレーニングやコンディショニングの基礎というのは、アメリカ留学中の3年間で学んだ。やはりそこに合理性というか整合性がないものを認めたくなかったのだ。

「監督、このあと6試合続きます。試合を壊してしまった先発投手に姿勢を示すために走らせるというのはわかります。しかし、野手も含めて登板してないリリーフ投手を走らせるのはデメリットしかないんです!」

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父親以上歳の離れた2軍監督に勇気を振り絞ってそう伝えた。

しかし、結果としては、監督をかえって興奮させてしまった。ポール・ポールと呼ばれる典型的な野球のランニングプログラム、外野の端から端をひたすら走る罰走がスタートしてしまったのである。

今ならもう少し上手なアプローチができたと思う。しかし当時自分は29の若造。

「俺自身には色々普段からいってくるのに、こんな状況になると一切知らんぷりかよ」
ちょっと八つ当たりではあるのだが、こんな状況になると、全く目を合わせてくれず「我関せず」の態度を示す、他の技術コーチにも腹が立ってきた。

罰走が数本済んだところで、自分の中でプツンと何かが切れてしまったのである。

『オッケェ、お疲れさん!!これでランニング終わりにします。この後のケアも怠らずに明日からに備えること!終わります!終わります!!』

全く監督からの許可がないにも関わらず、大声で全選手をストップさせて無理やり終わらせてしまったのだ。

当然2軍監督は大激怒。キスされるんじゃないかというところまで顔を近づけられて、「誰が止めていいっていった?」

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しかし私としてはもう覚悟は決めてしまっていた。ある意味テンションが上がっているので
「こんな罰走に何の意味があるんですか?これを許したらトレーニング担当として私がいる意味がないじゃないですか!!」
と同じぐらいの大声で言い返した。

「うるさい!馬鹿者!!わしが監督じゃ。そこにずっと立っとけ!!」

このセリフ、おっしゃることはごもっともである。監督の指示を完全無視し、大声で言い返すことは、完全な反抗姿勢だ。

…ただ、なぜ監督が学校の廊下の如く立ってろとおっしゃったのかは謎だった。とにもかくにも、相手チームであるジャイアンツ球場の右中間に、なぜかトレーニング担当の若造である私1人がポツンと立たされるということになった。

感覚的には20~30分くらい立っていたと感じた。
とても長く感じたが、実際は10~15分ぐらいだったかも知れない。

必死にフォローに回っていた、当時の同い年の2軍マネージャーが
「おい、弘田。もういいってよ。もう帰ろう。ジャイアンツ球場だし」
と呼びに来てくれて、ようやくその場を離れることができた。

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意外な副産物

あー、これはたぶんクビだなぁ…
馬鹿なことしちゃったなぁ。
でもあの状況で止めないなんて自分の存在否定でしかない。
やるしかなかったんだろうけど、もっと上手にできなかったもんかしら、首になってからの仕事どうしようかなぁ…

もう子供も2人いた時期なので、右中間に1人でそんなことを考えていたのをよく覚えてる。

翌日監督室に呼び出された。
最悪クビになること、最低でも罰金を覚悟していたが、どちらもなかった。

短気なところがある2軍監督だったが、やはり年の功というかとても人情味のある方でもあった。

「わしもカッとなってしまってすまん。ただあんな止め方をされるとわしとしても立場がないから今後、考えてな」
という内容のことをおっしゃってくださり、ことなきを得た。

私の考え方自体が間違っていたとは今でも思っていない。ただもう少し上手な根回しや止め方は絶対あったはずだ。この失敗から、どんな本にも書いていないような、有益なたくさんのことを学んだ。

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そしてこの出来事には思いもよらない副作用もあった。私のことをまだまだ若造だと捉えていた選手の多くが、この件を通じて一様に認め始めてくれたのである。

「マジで弘田、終わったと思った」
「ほんと気をつけろよ。クビになっちゃうぞ」
といってくださるベテラン選手もいたし、
「正直嬉しかったな。こういうことって知らんぷりする人、今までたくさん見てきたからさ。違うなと思ったよ」
と声をかけてくれる同世代の選手や若い選手もいたのである。

けっこうインパクトのある話だったようで、この出来事は元ロッテ出身で裏方スタッフとして巨人に移籍した方も含めて、あっという間に1軍メンバーにも広まってしまった。

こういった出来事もリアルタイムで知っているため、同い年でまだ親交のある当時のキャッチャーだった橋本将や渡辺俊介投手などは
「当時俺らなんかとは比べ物にならないくらい雄士は尖ってたから!」
と茶化されたりしている。

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まとめ

気恥ずかしい自分の失敗談。カミングアウトすることによって、失敗しないように立ち振る舞うのではなく、転び方を含めた失敗を上手に重ねることを意識してほしい。そんな思いで記事を書いた。

また自分なりの信念を持ち、若さゆえの「熱さ」を伴ったミスに関しては、けっこう周りの年配者であったり仲間は寛容で助けてくれたりするものだ。

伝え方や態度には充分気をつけなくてはいけないが、怖がりすぎずに後々「お、あいつ結構やるな」と言ってもらえるような前のめりな失敗をしてもらえたら嬉しい。

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